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祝オスカー!「ミナリ」ユン・ヨジョン&「パラサイト」ポン・ジュノ対談ざっくり翻訳

「ユン・ヨジョン先生、楽しい撮影だったんでしょう?(ポン・ジュノ)」「他人事だと思って簡単にいうわね〜。私、結構大変だったのよ(ユン・ヨジョン)」

こんな軽口から始まる韓国初のオスカー監督とオスカー女優の豪華すぎる対談。韓国の映画メディア「CINE21」のインタビュー映像がなかなか面白かったのでざっくり訳してみました。意訳、そして誤訳もあるかもしれませんがお許しを。​

ポン・ジュノ(以下監督):シナリオについてお伺いします。リー・アイザック監督(以下リー監督)は英語で書いていたのだろうと思うのですが、誰かがちゃんと訳してくれたんですか?それとも最初から英語で読みましたか?セリフの8割は韓国語でしたが。

ユン・ヨジョン(以下ユン):英語で来ましたよ。(脚本の)何が私の心をつき動かしたかというとね、生き生きとした“本当の話だ“と感じられたこと。何ページか読んですぐプロデューサーに電話したんですよ。「これって監督ご本人の実話?」って。そしたらそうだって。だから「私、やるわ」って答えましたよ。たまたまスケジュールが空いていたから。それが全ての始まりよね。

監督:読んですぐに即決したんですね。

ユン:私はなんでもすぐに決めるタイプだから。

監督:シナリオはどこで読んでたんですか?

ユン:家で。

監督:僕は映画監督であり脚本家でもある。俳優さんたちにシナリオ送ったら、どんな場所でどんなふうに読まれているか気になるし、ドキドキするんです。読んでいる時に誰かに邪魔されないかな、できれば携帯の電源を切ってから読んで欲しいなとか。あらゆることを考えてしまって。だからユン先生が「ミナリ」と出会った時のことが気になりますね。英語で全部読んでから?

ユン:私はシナリオを読む途中ですぐ送り主に電話しました。ほんの数ページしか読まずにね。

監督:そうやって即決なさっても後悔しなかったでしょう。その後でリー監督に会われたんですね。

ユン:そうなの。でも後悔ナシなんて言えたもんじゃないね。即決して即後悔。行って苦労してまた後悔して。

監督:「ミナリ」の撮影期間は24日でしたよね。

ユン:20…何日か。とにかく私はタルサ(オクラホマ州)に5週間いました。(本来の)私の出番が終わった後もさらに追加で撮影があって。

監督:繊細で美しい情緒を持つ映画なのに、たった25日程度で作られたと聞いて驚きました。監督も俳優たちもスゴイなと思います。慣れない土地で撮影したことって今まであまりなかったのでは?

ユン:慣れない場所って感じじゃなかったの。だって宿泊先とセットの往復だけだったから。その周辺は何も気にならなかった。

監督:あのトレーラーハウス、中はサウンドステージと撮影セットになっていましたよね?

ユン:家。本物の移動式トレーラーハウスを持ってきたんですよ。

監督:監督はああいうお家で育ったんですもんね。

ユン:屋外に出るシーンを除いて撮影場所はずっとあそこ。孫たちとミナリを見に小川へ行くシーンがあるんですが、とても大変でした。広大な土地なので虫も多くてね。

でも全ては私の「勘違い」から始まったこと。今回のプロデュースは「PLAN B」という会社だったんだけど「PLAN Bって何?」って聞いたらブラッド・ピットが運営する会社だと。ほら、私たちってスターが好きじゃない?(笑)「多額の予算が出そう」って期待して「いくら出してくれるって?」って聞くとプロデューサーが英語で「200million」って言ったの。韓国でいう20億ウォン(※日本円で2億程度)なのに私が200億ウォンって勘違いしちゃったのね。

監督:ゼロ一つ付けちゃいましたね

ユン:計算が苦手なの私。だから「じゃあ、やろう!」って言ったのに結局は20億ウォン。最近の韓国映画だってそんな低予算じゃ作らないわよね。だから私のニックネームは「ボンビョン(災難)ユン先生」よ。

監督:アメリカでもその程度の規模だとかなり低予算ですが、そんな中でも良い映画は多数生まれていますよね。「ミナリ」もその代表例だと思いますよ。「災難」と表現するほどキツい状況でも、脚本やキャラクター、監督を信頼していたからこそ参加されたんだと思います。ユン先生はこれまでも数々の素晴らしい作品に出演されていて、印象的なキャラクターも非常に多いですし…

ユン:私をからかってるの?(笑)

監督:もう、最後まで聞いてくださいよ(笑)こんな数字を数えるのは申し訳ないですがキム・ギヨン監督の「火女」は1971年。(デビュー)50周年ですよ。「蟲女(チュンニョ)」やパク・チョルス監督の「Mother(エミ)」、あれば僕が高校生の時に劇場で見て大きな衝撃を受けましたよ。イム・サンス監督、イ・ジェヨン監督の作品もたくさん撮られてますよね。「バッカスレディ」も本当に最高な映画とキャラクターでした。そんな中で「ミナリ」ではなんというか…歴代トップの「愛らしいキャラクター」でしたね。それは否定できないはずです。

例えば「蟲女(チュンニョ)」を好きな人もいるし「蜜の味~テイスト・オブ・マネー~」を好きな人もいるしキャラクターについては好き嫌い分かれるでしょう。でも今回は一番ラブリーな役でしたよ。シナリオを読む時、そうなるって思いませんでした?

ユン:どうかしら。監督と演者の見方は違うでしょ。俳優は決められた部分だけを見るものです。自分の部分だけ。でも監督は全体像を見る。

私はリー監督に初めてお会いした時に聞いてみたの。「あなたのおばあさんに似せた方がいい?」って。きっと彼の中におばあさんの記憶が鮮やかに残っているはずだから、教えて欲しいと言ったら「真似しなくて大丈夫です。先生の思うように演じてください」って答えてくれた。それがとても気に入ってね。誰かの記憶に残る人を演じるときは、いろいろ知りたくなるんです。誰かの思い出を壊さないように、どんな表情をすればいいかとか。でもそれをしなくていい、と仰ったリー監督はスマートな方なんだなと思いましたよ。監督自身もパーソナルな部分を持ち出したくないようでした。

監督:先生におばあさんの写真を見せたりとか、そういうこともなく?

ユン:絶対にしなかったですね。

監督:そういうのって、とてもカッコいいですよね。以前リー監督と対談したときも少しそんな話をしたのですが、先生のキャラクター同様スティーブン・ユァンさんとハン・イェリさんも彼のご両親を演じている。でも思い出に固執する感じは一切なかったですね。ノスタルジーの中でもがきはじめるとキリがないですから。それでいて、映画には温かい情緒が感じられる。一方で登場人物が少しヒステリックだったりもして。その中でユン先生の演じた役は一番余裕を感じました。
舞台は確か70年代ですよね。「フライボーイ」のクァク・ギュソクさん(※)がTVに出てきてそう言っていたような

※韓国で70年代を中心に活動したコメディアン。愛称「フライボーイ」は彼のデビュー映画のタイトルに由来

ユン:80年代。

監督:80年代初頭ですか。(ミナリのおばあちゃんは)私たちがイメージする70〜80年代の実家のお母さん像とは違いますよね。この映画は家族の物語なので(どこで公開されても)普遍的な反応がありそうですが、韓国とアメリカでの違い、細かなニュアンスの差を比較してみるのも面白そうです。

スティーブン・ユァンの言語的背景も変わっていますよね。元々英語ネイティブなのに渡米してきた人のふりをして「コングリッシュ(韓国語訛りの英語)」を話したり、韓国語がペラペラなふりをしないといけない。もちろん彼は韓国語も上手だけど、少しだけつまる時もあるから。そんなあべこべの状況で演技していましたよね。先生も映画の中よりもずっと英語がお上手なのに「ペ●スブロークン」なんておっしゃってて(笑)話せないフリをしてましたし。監督からの注文はありましたか?普段より英語ができないように振る舞ってほしいとか。

ユン:シナリオにそう書いてあったんだもの。英語が話せない設定だって分かっていたしね。スティーブン・ユァンは韓国語を話そうと本当に努力していましたよ。私たちもみんなでサポートして、彼も頑張った。彼の語学の先生は現場に大勢いて。ハン・イェリに私、そして通訳さんたち。(だから)私がこんな事言っちゃダメなんだけど、最初にこの映画をサンダンス映画祭で見終わってスティーブンにかけた言葉は「あそこ、韓国語間違ってたね」だったわ。

監督:その部分はリー監督もちゃんと分からなかったんでしょう

ユン:そうでしょうね

監督:監督も英語ネイティブだから。スティーブン・ユァンは僕と「オクジャ」を撮り、イ・チャンドン監督と「バーニング」を撮ってハードな訓練を受けてから「ミナリ」にたどりついたので韓国語の演技は少しは…(慣れてきたのでは)。陸軍士官学校を卒業したように、かなり頑張って特訓したのではないかと。今回はわざとたどたどしくコリアンアクセントな英語を話す役だったので二重苦だったでしょうね。でもユン先生の場合はとても楽しんで演技されているようでしたが。英語のセリフもちょっと混ぜたりして。

ユン:他人事だと思って簡単に言ってくれるわね〜。私、結構大変だったのよ。肉体的に辛かったですよ。年配女優なのにクランクインの日から呼ばれたし。普通、ベテラン役者は初日のセットへ行かないものでしょ。初日の撮影現場ってまだセッティングが未完成だったり、トラブルがあったりとバタバタするものだから。それを避けたかったのに「初日に入ってください」って言われてしまって。私とデイビット(アラン・キム)のシーンでね。1週間のうち5日間撮影しなきゃいけない中でエアコンも故障し、何十人ものクルーがいて大混乱でしたよ。

監督:何月の撮影だったんですか?

ユン:ミドル オブ ザ ジュライ!7月の一番暑い時。

監督:本当に暑そうですね。これまで多くの後輩たちとお仕事されてきたかと思いますが、どうでしたかハン・イェリと婿(スティーブン)は?お孫さんたちも立派な演技でしたが。お二人とは初めての共演でしたよね?

ユン:初めてでした。でもお互い一生懸命やることが大事。イェリは頑張る子ね。エアビーでも一緒に過ごしましたよ。スティーブンも最初はホテルにいたけれど途中で合流してきたの。そんな私たちが最初にもらった賞は「アンサンブルアワード」だったんですよ。だから言ったの「そのとおり」って。三人の息はピッタリ。一緒に暮らしたしね。

子役の子と一緒に演出するのは大変。子役や動物と一緒に演技するのはどうしたってそう。動物は「アクション!」も聞き取れないし。リー監督が子役へ演技指導するのを見て、本当に彼は私よりずっと人間ができてるなって思いましたよ。ほら、私って人ができてないから。ポン監督も噂に聞いているかもしれないけど(笑)

監督:聞いてないですよ(笑)

ユン:イライラしたら表に出ちゃうのよね。でも監督が子役から欲しい場面(演技)を引き出すのを見て、私も立ち上がって「助けなきゃ」って思いました。スティーブンとイェリはプロフェッショナルで問題なかったんだけれど。

監督:アランくんは演技経験が全くなかったのですか?

ユン:全くなかったんです。そういう子を連れてきて撮ったんです。

監督:それは驚きますね。孫娘役の方も?

ユン:彼女は少し経験があったみたいですが、アランは真っさらな演技。そんな7歳の子を連れてきて撮ったリー監督は人間ができていて、聡明さを持ち合わせた人物ですよ。私の息子がこうだったら良かったのに!って思ったわ。

監督:そのお話は後でまた聞くとして。お好きな家族映画は?

ユン:是枝裕和監督の撮る家族映画が好き。「歩いても歩いても」「そして父になる」、その後の作品もね。是枝監督って家族に対する何か…

監督:「哲学」がおありなんじゃないでしょうか。僕も一番好きな家族の映画をしいてあげるなら…

ユン:「浮気な家族」? ※ユン・ヨジョン出演作

監督:あはは!「浮気な家族」も素晴らしい作品ですが、僕も「歩いても歩いても」そして今回の「ミナリ」、そしてマイク・リーというイギリスの監督がいまして。

ユン:私、マイク・リー大好き!

監督:お好きなんですね。「秘密と嘘」好きですか?あの方も家族映画をたくさん撮ってますよね。

ユン:私「ウィリアム・ターナー」の話には失望した。なんであんなに長く撮ったのかしら?

監督:あの怒るところ?

ユン:すごく長くてイライラした。

監督:主人公役の俳優さんは立派ですよ。イギリスの労働階級の家族がたくさん出できましたね。あと、「夏時間(姉弟の夏の夜)」はご覧になりましたか?

ユン:私最近Netflixしか見てない。

監督:あの映画もすぐNetflixに上がるかな?「ミナリ」「夏時間」「歩いても歩いても」どれもずっと頭の中から離れない。マイク・リー映画もそうですが。そんな家族映画ですね。

そしてリー監督はご本人の家族の話を作りましたが。僕も「三つ子の魂百まで」というように(毎回)最後の方は流血沙汰のパニック展開にしちゃうのです。なぜか結局血の海へ行っちゃうんですよね。あーもう(この作風から)抜け出したいですよ、本当に。リー監督のように心が温まる映画を撮らなきゃって思いつつ、もう50代に。

ユン:私は驚いてるのよ。ポン監督がリー監督を支援しようと(今回のインタビューなどで作品PRの)サポートしてくれているのか、それとも本当にこの映画が好きなのかしらと

監督:本当に(ミナリは)良かったですよ。僕はひねくれ者だからか、しっとりとした情緒に浸っていたかと思うと、感傷的なものに耐えられなくなったりするんですよ。でも「ミナリ」はそういう作品じゃなかった。情緒的だけれど全く感傷的ではなく、温かいけれどウエットではない。

ユン:ポン監督とイム・サンス監督は社会学部を卒業してるからそういう視点なのね

監督:あははは!僕、社会学のこと全然分からないですけど。

ユン:鋭い視線で世の中を見てるんだわ。温かい視点を持ちましょう、私たちも。

Fin.

ユン・ヨジョンさんの過去作品の話や、最後の方はちょっと難しい部分もありましたが「ざっくり」楽しんでいただけたら幸いです。(大目に見てくださいね)

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