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毒親と呼ばないで

私には子供がいませんが、この年末年始に実家へ帰り、姉弟家族や親戚家族の子供たちと少しの時間を過ごしました。人を育てることをやってみたいなあという気持ちと子供って大変そうだなあという気持ちが入り交じり複雑な気持ちになりました。

目の前で繰り広げられていた親と子のやりとりを観察しながら自分の生い立ちと照らし合わせていました。

私の親が私にしてくれたことが、私にとって良いことばかりではなかったということを、心理学の視点を混ぜながら記述していきたいと思います。この記事では私の親の教育方針は、私にとって良くない影響を与えた面もあるということを書きます。

しかし、それはあくまでも親が私にしてくれたことのほんの一部分であり、私は私の親を否定するつもりは全くありません。私は両親を筆頭に家族全員に感謝しています。今の私があるのは、みんなのおかげであると思っていることだけは、先に述べておきます。

子育てをされている方々を中心に少しでも参考にしていただけるのであれば大変嬉しく思います。

学生時代

私の母親は教育熱心でした。小学校受験も中学校受験もさせてもらいましたし、習い事も複数させてもらいました。お陰様で、小学校は結局地元の公立小学校でしたが、中学以降は高い授業料を払ってくれて私立に行かせてもらいました。これらについてはお金の面だけでもかなり努力をしてくれたと思いますので本当に感謝しています。

しかし、この中に ″私の意志″ はほとんどありませんでした。

正確に表現すると、私の考えや希望も言っていましたが、親が良いと思いそうなことを言おうとしてました。そして実際に親の考えと違うことを主張すると、ことごとく却下されていました。

今思えば親が敷いてくれたレールの上を歩くだけの学生時代でした。大学や大学院すらも自分で完全には決めていませんでした。今どきの理系は大学院まで進学するものだという考えも刷り込まれ、何の目標もやりたいこともないまま大学院に進学しました。

私は社会人になって、一人暮らしを始めるまで、ずっと親の顔色を伺っていましたし、大きな決断はほぼ親がしていました。

その時は何も感じていませんでしたが、社会人になって一人で生きていかなければならない状況になり、親の敷いたレールで生きてきたことの大きな反動を受けることとなりました。

一人で生きていく

私が社会人になって最初にぶち当たった壁は、何でも教えてもらえるという勘違いをしていたことでした。

初めて就職した職場は、常に締切に追われるような職場でした。私の育成担当を筆頭とする先輩方はみんな忙しく、私に丁寧に一から十まで指導する時間はありませんでした。

私が質問をしても、まずは自分で考えてからそれでもどうしてもわからなかったら聞いてくれと言われました。

ここまではよかったのですが、自分なりに調べても調べ方が甘いことが多く、「あそこは見たのか、ここは見たのか」と色々突っ込まれ、一つでも欠けているとちゃんと調べてから聞け!といつも怒られていました。

先輩ってこんな感じなの?と衝撃を受け、ここではやっていけないとすぐに思いました。

なぜなら私には ″自分で何とかする力″ が全く育っていなかったからです。

学生が終わるまでは、わからないことがあれば親に聞く。何なら、悩んだり迷ったりする余地がないくらい親が事前にほぼ答えを示してくれて(レールを敷いて)いたため、自分の頭で考えることがほぼありませんでした。

なぜ勉強をしないといけないのか。
進学先はどこにすべきか。
どんな友達と付き合えばいいのか。
自分のやりたいことは何なのか。
部活は何にするのか。
などを自分の本心で判断するという経験をしたことがなかったために、最初の職場でも先輩や上司が全て自分が成長する環境を整えてくれていると思っていたのです。

友達や部活についても本当にとやかく言われていました。自分の家で友達と遊び、友達が帰った後に、あの子は良いとかあの子は良くないと逐一評価されました。良くないと評価された友達は徐々に距離を保つようになりました。

小学生の頃は野球をやりたいと親に言いましたが、すぐに体調を崩すからダメだと言われました。高校でテニス部に入ると言った時は、テニスは生涯スポーツだから良いのではないなとの評価をされました。

この「評価」が私をいつのまにか、親の考え=私の考えにしていたのです。

自分の頭で考えて判断することが全く出来なかった私は
、最初の職場で「自分の頭で考えろ」「考える力が弱いな」を毎日連呼される度に、自分はバカなんだとだんだん自信をなくしていきます。

そして2年も経たず、この仕事で一生やっていくのは絶対に無理という絶望にたどり着き、退職をしてしまいました。

絶望の後に待っていたもの

2つ目の就職先は幸運にも職場環境が自分にとって悪くはありませんでした。それでも自分に自信がなかった私は、発言の一言一句が他人からどのように思われるのかが気になるような思考になっており、仕事が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

自分に自信がないため、仕事内容の覚えるのもかなりの時間がかかり、他人と会話をするのにもマイナスなことばかりが頭にチラついて、ろくに発言ができない状態でした。

この時の私の心境としては「もう社会人としてやっていけない。この先何十年も働くことなんて無理。」でした。

それに加えて、プライドが無駄に高い性格が相乗効果となり、自分に自信がないくせに、思い通りにいかないと機嫌が悪くなり怒りまくるという何とも救いようがない人間が完成してしまっていました。

このままではさすがにまずいと思いました。

この状況を打開してくれることを周りに期待していても何も起こらないということを身に染みて感じました。白馬に乗った王子様は現れません。

自分自身を変えようと思いました。

そう思っていると、関連動画めぐりをしていく中で自分を成長させるヒントとなる動画を少しずつ観るようになっていきました。AIがおすすめ関連動画として、どんどん出してくれます。

少し意識するだけで、目の前にヒントをたくさん示してくれます。すごい時代だと思います。

ここから心理学に出会い、習慣という概念に出会い、少しずつ前進しています。この部分については、今後色々と書いていきたいと思います。

今では、自分で自分の人生を作っていくという意識をしつつ、今後の人生何とか楽しくやっていけるかなと思えるようになってきました。

最後に

ここまで記述した内容はいろんな偶然が重なっており、単なる一つのエピソードでしかないとは思います。それでも、こんな接し方をすれば、こんな大人になる可能性があるという例をお見せすることで、少しでも参考になればという思いを込めました。

私は、教育熱心な親御さん達についてとても尊敬しています。自分を犠牲にして子供に尽くすことができることと、子供への愛情が本当に強いからこそ出来ることだと思います。

実際に私は親の愛を感じていました。今でも感謝の気持ちでいっぱいですし、この親の元に生まれてきて良かったと思っています。

ただ、親の価値観でガチガチに子供に教育をしてしまえば、 ″最大でも″ 親と同じレベルにまでしか到達しない可能性が高いと考えます。

だからこそ、子供の行動一つ一つに柔軟な対応をしていただきたいです。子供の才能を潰してほしくないです。私の家族・親戚の親たちは、これをしちゃダメ、あれをしちゃダメと先回りで子供を縛りつけているような接し方をしているように見えました。

同じ努力をするのであれば、子供の未来を考えて努力をしていただきたいです。子供が学校の勉強するのと同様に、子供がどのような大人になれば生きていけるのかを親も少しでも勉強をしていただきたいです。

時代の流れは速くなっています。勉強をし続けないとすぐに置いていかれる時代となってしまいました。勉強をしないで生き抜くことは不可能であるということを親が
モデリングとなってほしいです。そして、学ぶことは楽しいことであるということや、1ヶ月前・1年前にできなかったことが今できるようになっている快感をその背中で語ってほしいです。

私には子供がいませんので、子育ての大変さは身をもって体験していません。なので子育てについてはただの机上の空論でしかありません。実際に子育てをされている方々にとっては、そんなことを言われても現実にはそんな簡単ではないと仰るかもしれません。それは仰る通りだと思います。

でも、一つ言えることは、私は人生最後の最後まで勉強し続けたいと思います。

愚痴が半分の記事となってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうござます。何かしらの気づきを得ていただけるのであれば大変嬉しく思います。

(おわり)

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