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私がコーチになった理由 ー願いのために生きようー

大学を卒業し、一時は起業の道を選んだ私が、コーチという生き方に至った理由・経緯をここに記します。

「生き方」と書いたように、私はコーチングを単なる技術・仕事ではなく、価値観、信条、また自分や他者に対する在り方として捉えています。

そのため、この話は私の生い立ちから始まります。


1. 自己紹介

まずは知らない方のため、自己紹介をさせていただきます。

自己紹介

現在の私は、組織には属さず、フリーランスでコーチングをしています。

経歴としては、2020年秋に同志社大学社会学部を卒業し、昨年末までスタートアップを立ち上げようとしていました(が、断念)。

学生時代は、イラン留学、NPOの活動、シェアハウス、長期インターン、LGBTQ+の啓発活動、経営者向けカンファレンスのスタッフ、ワークショップ運営...など色々していました。

そんな学生時代とは対照的に、いまはコーチング中心のシンプルな暮らしをしています。

本当にしたいことだけで成り立つ日々は、穏やかで、心地よいものです。


(コーチングを受けてみたい方は、こちらもご覧ください。)



2. 至福と苦難 ー大学に入るまでー

阪神・淡路大震災の翌年に生まれた私は、大阪の都市部で育ちました。

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地元は閑静な住宅街ですが、家から日本一高いビルが見えたり、20分も自転車を漕げば繁華街に行けるような場所です。

昔は、絵を描いたり、動物をじっと眺めたりするのが好きで、「なぜ?」「これってどうなってるの?」と好奇心旺盛なところは今も変わりません。


私の人生は、高校生まで親や周りの大人たちに言われるがまま。兄姉と同じ塾で勉強し、同じスイミングスクールに通い、部活に入り、とりあえず大学受験。

ただ高校で入った水泳部は、とても自由(悪く言えば顧問がほったらかし)で、自分の泳ぎを探求し続けられる環境でした。

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中央が私。

指導者がいなかったので、自分で目標や練習メニューを考えたり、有名選手のフォームをマネしてみたり。その中で「過去のどんな時よりも速い自分」と出会う瞬間が、なによりも至福でした。


しかし、当然3年生になると引退し、受験に専念することとなります。

私にとって受験は、乗り越えたい試練というよりも、避けたい苦難でした。自らの意思で選んだのではなく、「そうするしかない」状況。

もちろん、私だけが特段苦しかった訳ではありませんし、受験以外の道もありました。ただ当時の自分は、社会はそういうものだと捉えていました。


練習と試合で充実していたはずの夏休みは、「勉強しかしてはいけない」という呪縛をかけられたような日々に。

どうやったら勉強が続くか、色々と模索はしました。が、どうしても身が入らず、1日中ベッドでスマホを眺めたり、ゲームをしたりする日々。英単語だけは毎日続いたけど、それ以外はほとんど頑張れた記憶がありません。

なまじ成績優秀な時期もあったせいか、プライドもあり、「実は全然捗っていない」と周囲に打ち明けることもできませんでした。

そんな状態で良い結果が出るわけもなく、浪人。そこからさらに精神が摩耗し続け、「自分はこんなにも努力できない人間なんだ」と自己認知するようになりました。

「もうすべて辞めてしまいたい」と思い悩んだ夜は、数え切れず。




3. 焦り ー大学時代ー

そんな負の塊と化した受験生活は、志望校には通らなかったものの、予備校のおかげでそれなりの形で終わりました。

そして大学では幸いなことに、人の可能性と向き合う団体と出会いました。ことあるごとに自分の価値観やVision、将来の夢などを考える機会があり、よく仲間たちと「こんな社会をつくっていきたい」という話をしました。

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赤い人の右にいるのが私(当時1年生)

また自己紹介で述べたように、本当にいろんなチャレンジをしました。






しかしそんな日々も、本当の意味で幸せとは言えませんでした。

受験をやり切れなかった自分、努力できない自分、結果を出せない自分...。いろんなチャレンジや、周囲の仲間に理想を語ることの原動力は、夢や希望なんかではなく、そんな負の歴史を払拭しようとする焦りでした。

どこに向かっているかもわからないのに、後ろを見ないようにして、息継ぎもせず泳ぎ続けるような日々。でも、そんな状態で泳ぎ続けられるわけもなく、何度も何度も失敗の波に呑まれ、その度に落ち込んでいました。

そして最終的には、何もかもうまくいかず、大学3年生の夏は1ヶ月ほど下宿に引きこもっていました。

「あの時どうすれば失敗しなかったんだろう」「一体なんのために生きているんだろう」と悩む日々。何度も何度も、涙で目を腫らしました。




4. 出会い ーコーチングを知り、コーチにー

コーチングを知ったのは、そんな時でした。

Twitterでフォローしていた方がコーチングを学び、発信を始めたのです。

そこからコーチングの考えに触れるようになり、ネガティブな言葉で溢れていた私の思考は、前向きで本質的なものに変わっていきました。

・できなかったことよりも、できたことに目を向ける
・無数にある改善点よりも、まずは上手くやれたところを見つけて肯定する
・「こうしなきゃ」という誰かの期待ではなく、「本当にしたいこと」と向き合う

このようにコーチの自分を生み出したことで、私は生まれ変わったのです。

実際に、イラン留学という思いもしない道が拓けたり、立ち上げた団体で「一緒に活動したい」と言ってくれる仲間が現れたり、お付き合いしてくれる方がいたり、誰かの使い回しではない、自分自身の世界で生きている感覚が得られるようになりました。


ただ明らかに進歩はあったものの、まだまだ脆く、不安定だった私。

卒業論文、想像できない留学生活、定まらない将来、いろんな人との関係...悩みや目の前のことに振り回される状況を、変え切れませんでした。

去年はそんな状態でスタートアップをやろうとして、気持ちの折り合いがつけられず断念。自分のプロダクトにビジネスとしての可能性は感じたものの、想いが乗り切らず、β版リリースの前に諦めました。

そしてその時、ようやく真の意味で気づきました。

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そして私の人生は、自分の気持ちや内に秘めた願いと向き合わず、誰かの期待に合わせたものだった、と。






大学受験は、結果としてやって良かったけど、決してやりたいことではありませんでした。学生時代のいろんなチャレンジでは、自分で意思決定して始めたはずが、知らぬ間に周囲の期待を自分の意思と勘違いし、無理していたことが多々ありました。

一方で振り返ると、高校の部活は「やりたくて仕方がない!」という気持ちで動いていました。あの気持ちが、私にとって本当の原動力だったのです。


このような経緯を経て、昨年の12月は、紙に自分の気持ちを書き出したり、人と話したりして、本当にしたいことを考えました。


そして、私は再びコーチングと巡り会います。

これまで何度かコーチングを受けて、感動するほどの気づきがあったこと。大学の授業でプロコーチの方のコーチングを拝見し、素晴らしく価値のある仕事だと感じたこと。コーチの方の発信で、私自身が救われたこと。

いろんな要素が重なり、「いま私がやりたいのは、コーチングだ」と直感しました。

そして、コーチングスクールの門を叩きました。




5. 願いの調和私が実現させたい未来

このような道を歩んできた私がいま思うのは、「願いを大切にしたい」ということです。私には、「願いの調和」というVisionがあります。

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私は、「願いのために生きる」人を増やすことに、この命を使いたいです。

そのためにまず、私自身が「願いのために生きる」を体現します。

そして、内なる願いに気づき、その願いのために生きる人を増やします。


具体的には、コーチングでこのような変化を生み出していきます。

① 願いを知る
 ▶︎ 自らの感情や本心と向き合い、過去の原体験と現在をつなげる
 ▶︎ 価値観、大切にしたいこと、自分らしさを言葉に
 ▶︎「本当にしたいこと」「在りたい姿」に気づく

② 理想を描き、未来へと進み始める
 ▶︎ 願いをもとに理想を描き、臨場感をもって想像する
 ▶︎ 理想から未来への道を描き、意識や行動に落とす

③ 行動して得られた感触をもとに、次にどうするかを探求する
 ▶︎ 意識・行動してみて、なにを感じたか整理する
 ▶︎ その後の進み方は人それぞれ
 例)新たな理想や願いの言語化、行動計画を立てる、モヤモヤと向き合う

ありがたいことに、仕事としてコーチングを始めてから、何人もの方が継続してコーチングを受けてくださっています。これからも1つ1つのご縁を大切にして、価値を広げていきます。




6. おわりに

ご覧いただき、ありがとうございました。

ここまで読んでいただいた方とは、今後もご縁があるとうれしいです。


コーチングを受けてみたい方は、こちらをご覧ください。

「こういう状態だけど、コーチングを使ってもいいの?」「今すぐ受けるのはちょっと...」といった方も、お気軽にご相談ください。


皆さまにも、願いのために生きる日々が訪れますように。


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