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街の開発に思うこと

私の住む国分寺市の中心駅である国分寺駅。

再開発が進んでいる。

私は市内に住んでいるとはいえ、駅からは離れている。まだ少し国分寺の古き良き風景が残されている場所が、私の住まいだ。

ずっと国分寺に住んでいる知り合いからは、我が家の周りは国分寺の原風景的なものを感じるそうだ。そんなところなんだなぁ。

さて、携帯の乗り換えについて相談をしに久しぶりに国分寺駅へ。携帯の相談が終わると、時計が止まっていることに気付く。

なんというタイミング。

電池切れだ。すぐに駅ビルに入っている時計屋さんへ。

30分待つということで、駅北口を歩きながら他の買い物を済ませに。

ずいぶんと開発が進んでいる。工事中のロータリーが来るたびに通れる道が変わっている。

ほんの少し立ち止まりながら、再開発工事の風景を眺める。

そして、また歩きながら自分が生まれ育った街の開発と自分の思いを振り返った。

私は、立川市で生まれ育ったわけだが、立川駅はもうずいぶんと開発され、「都会」になってしまった。

小学生の頃によく行った立川駅南口にある"むぎばたけ"は今はもうない。駄菓子屋である。まだモノレールも通っていない、ビルも立っていない、空が開いている頃の、道路沿いにあったオリオン書房には、よくコロコロコミックや図鑑(物語的なものにはほとんど手を出せなかった少年)を買いに行った。

おもちゃ屋もあり、クマの人形が太鼓を叩いて笛を鳴らし、隣には猿の人形がシンバルを叩いて合奏している賑やかな光景は今でも懐かしく鮮明に覚えている。

また、古い煎餅屋さんもあったっけ。

今は、恐らくパチンコ屋のプレゴが入ってる辺りだろうか。

その頃の街から、どんどんどんどんビルが立ち、空は狭くなり、以前の面影は一気に消えていった。

私は、そんな自分の街が好きではなくなってしまった。

大きさとしては小さいけれど、街を失ったという小さな怒りを高校生でもっていたように思う。

居酒屋やパチンコをはじめとするギャンブルや風俗店が幅をきかせ、巨大デパート、駅直結マンションなどなど、今も次々に開発が進んでいる。

たまに駅周辺をぐるっとしてみたりする。以前にあった建物や店などが完璧になくなってしまったわけではないが、

「もうここには、あの頃の思い出はないんだな」と思ってしまう。

それほど、物的にも心的にも失われたものが多すぎるのだと思う。

話を国分寺市に戻すと、どうやら再開発は半世紀ほどかけての実現だと聞く。

それほどの反発があったのだと、想像してしまう。

しかし、その反発はよい反発だったのではないかと思う。

街の開発というのは、本当に難しいことだなとつくづく感じた日だった。

経済や交通の便など、街の収益と利便性、ブランド性を求めるのは街の活性化をねらうためには、欠かせないものだと思う。

でも、そこには、多くの人の心がその土地その土地にあることを忘れてはいけない。

国分寺駅北口の開発に、私が立川駅周辺の開発で感じた憤りや喪失感をもっている人が必ずいるはずである。

もう物的な開発は計画通り進めていくことだろうから、市民の心的な面にもっと目を向け、物心両面にわたってよりよい街づくりがされることを期待したい。

この街に住もうと思ってよかったと感じている。だから、尚更、人を大切にした街となってもらいたい。


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