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個別最適化の迷宮

3日(木)石川晋先生の国立連続講座だった。

改めて、自宅から自転車でひょいと行ける距離で晋先生のお話を聞けるのってありがたいなぁと思う。

さて、今回のテーマは「個別最適化の迷宮」だった。

私はそこまで個別最適化について勉強してきているわけではないが、個に応じた教育環境、教育活動は私たちの仕事には欠かすことのできない視点だと考えている。

そのため、今回はいつもにも増して楽しみだった。勤務校はGIGAスクール構想で一人一台のデバイスが来年度から本格的に入ってくる。

そう言った事情も相まって、一層楽しみだった。

日本の学校がこの10年間ほどでお金になることになっている。つまり、企業の食い物になってきていると言っても良い状況だ。

その企業の参入は、個々の教育のためという形で入っていることもあるが、果たしてそれは、

“本当にそれぞれの実態にあった、子ども一人一人の子どもを出発点として考えられ、本当にそれぞれの子どもの個別最適化を目的にしてスタートしていることなのか”

と。

晋先生から、築地久子さんのお話があった。社会科の授業をある一人のためにつくっていくというお話。

たった一人の子に与えた実践が全ての子につながっているという。

この考え方は、個別最適化と言えるのではないか。

確かに、授業計画を立てる時(時間にゆとりがある時)、必ず“ある子”が浮かぶ。築地さんのような綿密なことはできないが、パッと頭に浮かぶことがる。

あ〜そもそも学校教育現場の多くの教師は、個別最適化を自然的にやっているのではないかな。と思った。

話は進む。

仕方なく40人学級で、仕方なく学齢で分けられている環境の中で、個別最適化をしようとすると、そこに大なり小なり我慢を強いられる子どもも生まれてしまう恐れもある。いや、そういったことが個別最適化のような事態も起きている。個別最適化という名の、同調圧力のような。。。まさに迷宮。

途中、近くの参加者と対話の時間があった。

ある方が、「みなさん個別最適化の反対の言葉って何が浮かびますか?」と。

私は、すぐに「同調」という言葉が出た。はて、この人は何を言いたいのかと思い話しを聞いた。

「同調とか一斉指導ですよね。それなら、個別最適化っていいんじゃないかと思います。」

あ〜、やっぱり教師っていう仕事に就くと、どうも白黒でもの言いたくなるんだろうな。しかも、なんだかそれでは本質的な部分の説得力としては薄すぎはしなかな。と思いながら対話の時間が終わる。

“いや、一斉や集団を求める子もいれば、個別を求める子もいる。だから、個別の反対がどうこうって問題なのか。なんかそうやってどちらかを切り捨てるって、あっけない”

ということが、心に引っかかったまま講座は続く。

晋先生が「個別最適化は教師が与えるものですか?いや、違いますよね。個別最適化を進めるのは、そこにいる子どもたちですよね。」

いや〜、本当そうだな〜。対話でモヤっとしたことがスッキリした。

何か自分の立てた課題について、一人の子どもはタイピングをしながら、またはタッチしながらデバイスを活用している、一方、となりでは懸命にノートに手書きでまとめている子、敢えてネットを活用せずに辞書やポプラディアで必死に調べ物をしている子、デバイスのカメラ機能を最大限活用している子、なんか、そういった光景が個別最適化が起こっているってことなんじゃないかと思うのだけれど。違うのかな。

「はい。今日は、タブレットを使ってそれぞれの課題を解決しましょう。」

なんて、なんか個別なのか同調なのかよく分からないことが起こらないようにしたいな。と、GIGAスクール構想が広がっていく中で思うことだな。

個別最適化といった個に応じた教育環境や教育活動、支援体制はとても大切なことだ。

だからこそ、まず40人学級といった、教室中の通路を横向きにならないと通れない児童数の実態、学年制はすぐには崩せないけど、日常的に異学年で学び合える機会の設定、個別最適化を本気で取り組めるような社会、行政、学校、教師、地域、保護者、子どもが“本来的な個別最適化”を探究し、協同して実現していくことが大切になるんじゃないかと思う。時間はかかるけど。

このままではもうダメだと思うのだ。


今、東井義雄先生の本を手にしている。

「村を育てる学力」だ。

夏休む中に読み終えようと思ったが、なかなか読む時間を生み出せず、まだ読み途中だ。読んでいる中で、東井先生は“個別最適化”を匂わす実践をされている。しかも、この本は1957年が初版である。

個別最適化を始め、主体的・対話的で深い学び、アクティブ・ラーニング、GIGAスクール構想といった、なんだか新しい言葉が次々に学校に流れ込んでくる。ただ、築地先生や東井先生のように、日本の教師はそもそも個に応じた教育を積み重ねてきている。そういった蓄積を、これからの時代に教師として生きる私たちは、そういった歴史からも学ぶことが大切なのだと感じている。

それにしても、晋先生の講座は、毎回考えさせられる。

ありがたいことだ。

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