価値観の相違
勤務校では、休校が続く中で少しでも子どもと教師のつながりをもちたいという思いが実現し、GW明けから学年内で毎日輪番制で子どもたちへのメール配信をしている。(使っているデバイスは親のもの。つまり親ももちろん目にする。)
私としては、もっとできることがあるというもどかしさはあるものの、この取り組みを校長から打ち出してくれたことは嬉しく思っている。
以前に記事にしたまなびCafeで話題になったことが、形になったというのもあるが、それよりも子どもと何かしらでつながれるということが何より嬉しい。
私は、自分の順番になるまで、どんなことを伝えようかと考えている。できれば、というより、絶対にコロナ禍をなかったことにして課題のことやメッセージ性の低いものは送っていけないと決めている。
そんな中、昨日、日直で出勤した。
副校長とメール配信の話をしていると、自分の順番を待たずに、まとめて配信予約をして学校メールに保存している職員がいるという。
また、同僚からは学年で内容を統一してできるだけ個性が出づらい状態で配信している学年があることを聞いた。
正直残念な気持ちになった。
私は、社会情勢を見ながら、どんなことを発信すべきか、どんな内容が子どもの支えになったり、探究心を促せたり、深く思考するきっかけとなったりするか、いろいろと考えて配信前日になんとかまとめ上げている。だから、余計に業務的で表面的に片付けている同僚のやり方が残念なのだ。
課題がジャンジャンと家に送り込まれ、時間割が配布され、予定通りできないと親に叱られるとう悪循環となっている家庭は少なくないだろう。
それにもかかわらず、唯一と言ってもよい子どもへの教師の言葉が発信されるメールの取り組みを、単なる事務的な業務として片付けてしまっている。
同僚はそういった事実を知り、次のようなことを私にLINEで伝えてきた。
「休校とか関係なく、普段から子どもとそういう関わり方をしてるのかもしれませんね。事務的になっている人は。」
こんなに教師側の時間ができても事務的に片付けようとする教員がいることは、非常に残念だ。何人かの同僚も、そういった態度で臨む人に悲しさを感じている。
しかし、これが現実なのだ。
こういった価値観の相違の溝を、埋めるのではなく、どのように調和させて教育活動を良好に進めていくべきか。時間はかかるが、調和を図るための一人として働きかけていきたい。とにかく対話を重ねていく。
価値観に相違がある同僚との対話は極めて重要だ。
そこに「合意形成」といったものは求めず、とにかく対話を重ねていく中で何かしらの方向性が見えてくる。
そう信じて、働きかけていきたい。
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