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「仮説検証型」の理科授業~理論編~

今回は理論編です。

そもそも「仮説」とは何なのか、なぜ「仮説」が必要なのか、授業における「仮説」の扱いなどをまとめました。

1.そもそも「仮説」とは何なのか

色々な論文・書籍を見てきて、私個人としては「仮説」の絶対的に正しい定義というものは存在していないと感じています。教育実践家や研究者それぞれに考えがあり、多かれ少なかれその定義に個人差がイメージです。

ただ、それではここから先の話に進めませんので、私が現段階で「仮説」として捉えているものは何なのかを述べておきたいと思います。

私は理科の授業で、「仮説」を扱う場合、

「仮説」とは、問題に対する現段階の説明であり、検証可能なもの。

と捉えて授業をしています。
しかし、これをそのまま伝えても子どもは混乱するので、授業では、

「仮説」とは、問題に対する「今の段階」の自分(みんな)の答え。

と説明しています。

2.「仮説」の設定はただのクイズではなく論理的な思考のプロセス!

その昔、仮説の設定は「単なる科学的な想像」として論理的なプロセスとして位置づけられなかった時期もあったようです。

しかし徐々に仮説を考えることは論理性をもつものだとする主張も出てきて、知能指数やGPA、読解力と統計的に優位な関係が見られるといったことも明らかにされてきました。

つまり、仮説の設定は単なるクイズ的な要素ではなく、子どもたちの日常的な見方をもとにして考え、推論する論理的な思考のプロセスであるということです。

普段の授業で、問題を立て「結果はどうなるかな?予想してみよう!」も悪くはないですが、クイズ的な扱いに終始しているとしたら非常にもったいないわけです。

3.「仮説」と「予想」って何が違う?

「仮説」と「予想」って何が違うんでしょうか?おそらくほとんどの先生方が「なんとなく」使っているのが現状ではないでしょうか。理科が専門ではない先生が授業をすることも多い小学校ではなおさらです。

「仮説」と「予想」の使い分けが明確でなく、仮説とは何なのかの共通理解ができているとは言い難い状況にあることは、多くの研究で指摘されてきたことでもあります。

様々なとらえ方がありますが、ここでは私自身の定義として「仮説」と「予想」の違いを示しておきます。
まず、「仮説」は前述しましたが、

「仮説」とは、問題に対する現段階の説明であり、検証可能なもの。

と捉えています。
次に「予想」ですが、

「予想」とは、仮説が正しいとしたときに予測される実験・観察の結果。

と捉えています。

Lawson(1995)の考えをもとにしていますが、自分の中ではこれが一番しっくり来ています。

理科の教科書には、「問題」の次に「予想」がドカンと出てきますが、それと同時に「実験の見通し」が記載されていることがあります。この「実験の見通し」を「予想」として捉えているわけです。

ドカンと出てくる教科書の「予想」を「仮説を立てよう」とかにしてくれると、大変ありがたいのになぁ…と勝手に思っています。

また、「概要編」では「予想」を先に行う形で載せていましたが、それは初期においては有効だからです。徐々に、段階を上げていくので「概要編」に載せているような予想は行わなくなっていきます。

4.「仮説」があるから子どもたちは主体的になる

私がなぜ「仮説検証型」にこだわるかと聞かれれば、これに尽きます。

とにかく、子どもたちの動きが変わるのです。「仮説を検証するんだ」という意識が子どもたちに浸透しているときの授業と、そうでない時の子どもたちの学びに向かう姿には本当に大きな差があります。

みなさんは「理科の授業」と聞かれると何をイメージするでしょうか。

おそらく、「実験・観察」を思い浮かべるのではないかと思います。そして、これは子どもたちも一緒です。

「実験とか観察が楽しいから理科が好きです!」というのは大変結構なことです。私もそうでした。しかし、これだけだと危ないと思うのです。「実験・観察」が「目的」になってしまうと、理科で身につけさせたい資質・能力が身につきにくくなるおそれがあります。

昨年「ふりこの運動」の授業を行っていた際、考察の場面である女の子がこんなことを言いました。

「実験は楽しいんだけど、こうやって考えるのか難しくて嫌なんだよなぁ」

「考えるのは難しいけど、それが楽しい」ならいいのですが、「考えるのが面倒」「考えるのはだるい」だとしたらそれは理科の資質・能力を育む授業になっていないことになります。

「実験・観察」が体験的な楽しさに終始してしまうと、自分ごとの問題解決の授業にはなりません。「実験・観察」をあくまで手段として捉え、自分の考えを創り、確かなものにしていくことに楽しさを感じていくような理科授業にしていきたいものです。

そこで、「仮説の検証」が不可欠になります。問題に対して、自分の見方を働かせて、現段階での答え(仮説)を出す。しかし、それが本当であるという確証はない。だから、実験方法を考え、実施し、その根拠となる結果を出す。そしてその結果をもとに、仮説の検証を行なっていくのです。1人でじっくり取り組む子もいれば、何人かで議論している子どももいます。それらの姿に共通しているのは、問題を自分ごととして捉え、主体的に学んでいるという点です。

仮説を立て、問題が自分ごととなった瞬間に、自然と子どもたちは動き出します。こうした過程においては、「実験・観察」はそれ自体が目的ではなく、手段となります。

自分の「仮説」が本当らしく、形をもったものになっていく感覚の中でこそ、子どもたちは主体的になります。そんな時、教師は授業者というより、子どもたちの学びを支える支援者のような存在になっているはずです。

実験が終わると「次何するんですかー」の声が上がる授業とはおさらばです。「仮説検証型」では、実験が終わった後にこそより主体的な子どもたちの姿を見ることができます。

5.学習指導要領における「仮説」の位置づけは…?

最後に、学習指導要領における「仮説」の位置づけについて簡単に触れておきたいと思います。

小学校学習指導要領【理科編】には、「根拠のある予想や仮説を発想し~」という記述が連発されています。先に述べましたが、学習指導要領においても「予想」と「仮説」が混同されております。そこに違和感は感じますが、仮説の設定が学習指導要領的にも大切にされている事実は、少し目を通せばすぐにわかります。

また、中央教育審議会答申(2016)において、理科の学習過程を図で示したものがこちらになります。

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この図には「仮説の設定」、そしてそれをもとにした「検証計画の立案」が明示されています。「高等学校基礎科目の例」とはありますが、理科における資質・能力の育成において、文部科学省としても「仮説の設定」を無視していないということが分かります。

6.おわりに

「仮説検証型」を実施するにあたって、実施するに足る根拠として自分が調べてきたもの、それをもとに練り上げてきた考えなどを示しました。

説明不十分な点があることも、重々承知しております。ご指摘いただけたら、嬉しい限りです。

7.参考文献

Lowson(1995)Science Teaching and the Development of Thinking
Quinn & George(1975)Teaching hypothesis formation
今村哲史(2021)「初頭理科教育ハンドブック」、山形大学出版会
小林辰至(2017)「探求における仮説の設定に至る推論の思考様式」
中村大輝・松浦拓也(2018)「仮説設定における思考過程とその合理性に関する基礎研究」
文部科学省(2017)小学校学習指導要領【理科編】
山口真人・田中保樹・小林辰至(2015)「科学的な問題解決において児童・生徒に仮説を設定させる指導の方略」

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