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先週のkinologue【6/3-9】

蒸し暑さを感じるようになった先週、ベトナム料理のお誘い。感動的に美味しかったグリーンマンゴーと蒸し鶏とミントと青唐辛子のサラダは撮り損ねたけれど、締めの混ぜ麺も素晴らしかった。もちろんその後のチェー&ベトナムコーヒーも◎。やはり気候にあった料理を食べると格別な美味しさ♪

6月も中旬になろうとして焦りがあるものの、読書会→ゼミ→入試説明会→非常勤授業→研究会と連日忙しくて、仕事も研究もあまり進まず。先週は映画館には行かなかったが、青学で開催された研究会である映画を観ることができた。それは、メディア論の祖といわれるマーシャル・マクルーハンの思想と人生を追った『マクルーハンズ・ウェイク』(2002年、カナダ国立映画庁製作)。タイトルはマクルーハンがジェームズ・ジョイスが好きだったからか『フィネガンズ・ウェイク』からきているそう。何度チャレンジしても最後まで辿り着けないのはジョイスと似て、マクルーハンの著書もとてもわかりにくく、その意味でもぴったりかと。マクルーハンが映画出演しているのは有名な話で、70年代にウディ・アレンの『アニー・ホール』に本人役で出ている。著者写真でしか見たことのなかったマクルーハンが動く姿をその時に初めて見た。英文学者のマクルーハンがなぜメディアについて論じるようになったのか。映画を観てわかったのが、文学を文法学・修辞学・論理学の戦いと捉えていた彼の探究の先は、ツールとしての言語を超えて身体を拡張していく電子的世界のメディアだった。カウンターカルチャーの時代にキャッチーなフレーズ(メディアはメッセージである、グローバル・ビレッジなど)を送り出した思想家としてマスメディアにもてはやされ、日本も含む世界的なブームとなったが、マスメディアが研究においても産業においても勢いがあった60-70年代に、彼の思想の本質は理解されづらく発展していかなかった。インターネットが登場した90年代にマクルーハンはようやく再評価されたが、マクルーハンは脳の病になって話すことも書くことも出来なくなり、1980年に世を去った後のことだ。晩年のマクルーハンに関しては全く知らなかったので、衝撃だった。しかし、きっと身体を使った表現はできなくても、自分の中での探究は死ぬまで続いていた気がしてならない。
研究会を主催された青学の宮澤先生もそうだが、現在マクルーハンを研究する学者たちは、マクルーハンと同じように、他分野の専門家が多いことがまた興味深い。その姿勢こそがメディアを研究するということなのかもしれない。

学生と車座で語るゼミのスタイルはこの当時は画期的。葉巻とワイン片手の先生、今はムリか

薄曇りの日曜は4月のイベントの打ち上げに初参加。1時間じっくり炭火で焼いたスペアリブを食す。偶然にもメイプルシロップたっぷりのカナダ風の味付け。マクルーハンも食べたかしらん。飲んで、喋って、笑いながら、延々と食べる。食はホントに偉大なメディアだなぁ。

植えた覚えはないけれど立派に畑の隅で育ったロメインレタス?がスペアリブを引き立てる


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