「相沢友子問題」

漫画を原作としたドラマ。
脚本家がSNSで原作者不当介入と非難。
原作者が経過説明。
なぜか、ネットニュースが一斉に、時系列を前後させる手で脚本家を擁護。

だが10:1以上で脚本家が非難を浴びている。

まず、連載中作品でもあり原作者は改作なしとの条件で契約していた件。
脚本の原作逸脱につき、原作者は1-8話を修正、9、10話は急きょ脚本執筆。
原作者は出版社と協議の上、経過を発表したにすぎない件。

TV局プロデューサー、脚本家ともに、これまで同種のトラブルを起こし、原作者の執筆中断まで起こしている件。
脚本家が原作者非難の口火を切った件。

これらの要素が指摘されている。

国語力から脚本家に疑問

僕は、活字を生業としてきたので違う見方を提示します。

脚本家が原作者を非難した件
立場が逆だろ?
プロの書き手なら、原作の雰囲気を具体化する技術に自負があるはず。

脚本家がコメントを閉じた件
いかに一般人からの非難が集まろうが、プロの書き手なら、それらを黙らせる返答が書けただろう。

脚本家が著名人援軍を集め
プロの書き手なら………以下略。

要するに「文章で飯くってるだけの文章力」を見出せないのよ。
「ギョーカイ人脈」が武器。

で、高名な脚本家さんには失礼だが、自称ギョーカイ人が事故おこした場合の定番対応として「Wikipedia」を読んでみた。
やはり自称級にありがちな「誰と友達」が冒頭から続いていた。
Wikipediaの参照元に本人SNSが挙げられており、自分で書いたっぽい空気が………上杉隆氏に顕著なアレ………が強かった。

また、どーでもいい細事だが。
産経新聞を「産業経済新聞」と書いていた。
法人名は産業経済新聞社だが、新聞の題号としては65年前に使うのを止めている。脚本家という割には物事を調べないのだろうか? フジテレビの仕事が多かった割には不思議だ。

原作を改作し、恋愛要素を盛り込んだり、登場人物の性別を変えたりする「前科」が指摘されている。業界人的な価値観や慣れを指摘されているが、それに加え、原作を鑑賞し理解するだけの国語力を欠いているのではないか?と僕は感じた。

他方、Wikipediaの記述、これまでの業績、今回の原作者非難、炎上後の反撃、いずれも「ギョーカイ人脈」に依拠で一貫している。
「有名人と友達だから正しい」といった、力の誇示を支持しやすいヤフコメ民でさえ、非難が9割以上というのが新鮮だ。

国語力が無くても脚本家ができるのか?
現にやっておられる。高名な先生だ。
女子高生リポーターから歌手、女優、小説家、脚本家、と多くの称号を得てこられた。もしも脚本家をお辞めになっても、まだまだ女流講談師と写真家とジャーナリストと議員が残っている。

批判者は皆さん、脚本家とプロデューサーの原作改悪の前科を指摘しているが。玄人としてはもうちょいヒネった所を挙げておこう。
皆さんが思い出し難い「近過去」、あれは2年前の正月だ。「相棒」で労働運動が極端に愚かに描かれ、脈絡も変で、脚本家が直接、声明を出された事件があった。
右も左も、その真摯な発信に感服していたよなぁ。「さすが脚本家だ」と。

僕も、脚本家というのは、こういうレベルの方々だと思っている。

ネットニュースなどに顕著な「何でもいいから業界人になりたい」人を使ってコンテンツ盗用をやらせ「実力ない奴の方がゴチャゴチャ言わず、言うこと聞いて良い」の図式。
あの図式を脚本家に適用するのは無理だと思う。

消費者が多様性を示せ

あと、本件で散見されるのが。
「映像化には俗化改作が必須、大人にならなきゃ」と説く自称業界通。
「アニメ化では原作を尊重する、時代はアニメだ」と誇るアニオタ。

単なる映像化のための割愛や再構築ではなく、原作が持つテーマや人物造形や社会派の面を除去したがるギョーカイ人。
これ、売るための改作にならず、むしろ国内映像作品の不振を招いているのではないか?

漫画やアニメは、より狭い顧客層に向けて発表でき、多様なテーマを扱える。「アニメは原作尊重できる」ってのは、それかもしれない。
一方でTVは、作り手と受け手の間に、大勢の背広組や、何屋さんか分からない元お姉ちゃんを挟まねばならない。
TVが欲しいのは原作の題名とファンだけ、登場人物や筋書きは、ギョーカイ教義に則ってTV側で作る、という考えが、今も通用するのだろうか?
1953年にTVが始まった時は、ジャズメンと新聞落伍者の混成で始めたと聞く。それが独特の放埒文化を醸し出していたらしい。だが世代が入れ替わって上級国民になった。

「都内の上級国民の恋愛至上主義を常に放映せねばならない」
「思考や苦悩や批判があってはいけない」
本当にそうなんだろか?
確かに、夏休みに特急バスで原宿詣とか、東名海老名SAで番組グッズ買ってた層には、そういうのもウケるかも知れない。視聴者と同水準のワナビーを作り手に据えておけば、雑なジャストミートもありうる。

「上級国民サークルに所属する、こと自体が目的となり、そのメンバーにしてもらうためには、盗みや強姦やいじめを行って、サークルへの恭順を示す」
こういうマインドだと、不特定多数を感動させる芸術活動はできなくなりますね。
大衆も、作り手にスリ寄ってワンパターンを受け入れるのではなく、ホロ苦い、多様な作品を評価しましょうや。

メジャーの送り手たちを安易なシキタリから解放するため、マイナーな送り手に機会を与えるためにも、我々消費者はもっと賢明になりましょう。
小骨や苦味や雑味のある物、初めて見る物、そういう作品を評価する態度、明確に示していきましょう。
有名だから、批判したら炎上する、ボッチだと思われたくない………といった弱虫な思考を捨てましょうや。
「こういうのが大衆ウケ」「みんなそう言ってる」といったサクラ工作を試みる者には、鉄槌を下しましょうや。

けさ書き上げて、寝かせておいて、夕方にネット見てびっくり。
原作者が亡くなられ「脚本家を非難する者が、原作者を追い込んだ」という狡猾な責任回避であふれていた。
再発防止には、脚本家と日テレへのキャンセルカルチャーが不可欠だ。

https://note.com/kinokuniyanet/n/nc5d3a602c12a

https://note.com/kinokuniyanet/n/n88d0ae8cafd7















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