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死ぬかと思って救急車を呼んだ話

2019年にnote掲載した「入院日記」を、2024年の創作大賞に応募するためリライトしました。
内視鏡手術をした闘病記です。似た症状で辛かったり入院される方、医療関係の方の役に立ちますように。


プロローグ


それは地吹雪が吹きすさぶ寒い2月のある日。

そもそも、そのふた月前あたりから、わたしの体調はイマイチどころかイマサンくらいよくない状態が続いていました。
主な症状は胃腸です。ご飯は食べられるのだけれど胃もたれします。しかも食べた後、背中が痛くなるのです。まるで水分を取らないまま大きなパンや中華まんを急いで飲み込んだように、胃の左後ろあたりが圧迫されて痛みます。

近所のクリニックに行きましたが特に悪い所は見当たらず原因不明でした。しばらく休んでいるとよくなるので、だましだまし過ごす毎日。

忙しい日々でした。
以前に比べ、職場での責任は格段に重くなっていました。
とても大きな仕事があって、毎日三歩進んで二歩下がるような状況。へとへとで帰宅して、買ってきたお惣菜を子どもに食べさせて自分はぐったりソファで横になるようなことが続いていました。
さらにそんな時に限って遠方に住む実家の親が入院したのです。無理矢理休みを取りPCと資料一式を持って飛行機で行き来しました。無理矢理休むので戻ってきてからの後始末も大変で、それでまた残業みたいな、そんな毎日でした。

当時は50代でしたが、30代の時と同じようにブルドーザーで土を蹴散らすみたいに生きていたんですね。白状するとそういう自分がちょっと誇らしいような歪んだ自尊心もありました。
仕事はがっつりやるし業績も上げて家事もやって子どものPTAにも行くし親の介護もするぜ。
24時間働いてるわよ文句ある? みたいな。
昭和か。はい、昭和の生まれです。

第0日 救急車カモーン!


その日はオットが出張で不在でした。

当時、家にいたのは高1の息子だけ。「お父さんいないから夕食はオムライスにしよう」と言ってでかいオムライスを作って二人で食べました。高校生用に肉も油もぎっしり、卵もガッツリでスタミナ満点の奴です。うまうま。

食べて1時間後、とつぜん強烈な痛みがみぞおちと背中を襲いました。

うわ…あ……い…………痛い……

軽い痛みはこれまでも何度かありました。だから近所のクリニックにも行ったのです。でも血液や他の検査結果に異常がなく、とりあえず胃か十二指腸でしょうと制酸剤などが出ていました。それで多少は改善したのです。

しかしこの日の痛みは今までにない激烈なものでした。
どんな格好をしても痛い。
痛いというより、みぞおちのあたりに巨大な硬いゴムボールがあってそれがどんどん膨らんでいくような圧迫痛。
苦しい。オットもいないし、もう耐えられないと必死に風呂場まで這っていき、入っていた息子に「救急車呼んで」と言いました。

なんだかわからないまま裸で119番に電話する息子。ところが電話が通じたとたん、痛みが嘘のように消えてしまったのです。

「ああ、治まった。ごめん、大丈夫だわ。大丈夫みたい。すみません」

慌てて電話の向こうの救急の方に謝らせました。やみくもなことで救急車を呼ばないという良識は少なくともあるわけで。でもついさっき、自分で電話をかけられないくらい痛かったのいうのも事実で。

119番は忙しいだろうに、「また具合悪かったら電話して下さい」と言ってくれたそうです。
ごめんなさいごめんなさい。
しかし直後にすぐまたその言葉にすがることになろうとは。

ああ治った良かったと思って自分も風呂に入りました。ところが再度、嫌な予感がおそってきたのです。

これは、来る!

すぐ風呂から出ました。裸だったので痛みが強くならないうちに慌てて寝間着を着ました。
髪を洗っていたので、とりあえず前髪だけ乾かしました。
しかし後ろ髪を乾かすことなく、アレが再度やってきたのです。

痛い、痛い、痛い!!!!

上から巨大な岩にぎゅうぎゅう押しつぶされているような痛み。声が出ません。
声どころか、あまりに痛くて呼吸ができません。
わたし死ぬかも、と生まれて初めて思いました。
苦しい、息したい、痛い!

「おねがい…もういちど…きゅうきゅうしゃよんで……」

それだけ口にするのにどれほどのエネルギーが必要だったか。
気を失うこともできず、痛みで空気を吸えなくて視界が滲みます。
苦しい、苦しい、苦しい痛い痛い助けて!!!!

幸いなことにすぐに救急隊が到着しました。後ろ髪はドライが間に合わずべとべとで自宅の寝間着姿。
でも背に腹は代えられないというか背も腹も痛い!
自力で動けずストレッチャーに乗せられて救急車に運び込まれました。
それでもまだ痛い苦しい痛い苦しい……

なすすべもなくわたしは少し先の救急病院に運ばれていったのでした。
う~う~というサイレンが現実でないみたいで、救急車がスピードを変えるたびに車の振動でまた痛みが強くなり、助けて助けてと心で叫びました。声は出ません。
高1息子はわたしのバッグと靴を持ってついてきてくれました。いや、もう本当にありがとう。君がいてくれて本当に本当に助かったよ。

第1日 入院が決まるまで

着いた病院でER(救急の部屋)に運ばれ、ベッドに横たわりました。夜中に担ぎ込まれたのですぐに日付が変わります。救急車が来てホッとしたのか少しだけ痛みは和らぎましたがまだ間欠的に襲ってきます。
痛い。さっきほどじゃないけど痛い。歩いてトイレに行けないくらいは痛い。
看護師さんすみません。トイレに行きたいので車椅子でつれてって下さい。

不幸中の幸いだったのは、症状が出ている時に血液検査ができたことです。若い当番医さんがやってきて、
「肝臓の値が悪いので、胆石じゃないかと思います」
と告げられました。
「夜なので今できないから、明日の朝、詳しく検査しましょう」
ああ、それが原因なのね。今までわからなかったけどそうなのね。
この若い当番医さんが神様のように見えました。マスクで顔はよく見えなかったけど。

胆石かあ。

胆嚢は、親族も悪い人が多いです。石ができやすい体質なのかもしれません。
胆石というと右側の背中上部が痛いのが定石らしいのですが、わたしの場合、常に左側の背中上部が痛んでいました。そういうこともあるんだなあ。

ともあれ、原因がわかれば何とかなると痛い中で考えました。
高1息子にお金を渡してタクシーで家に帰らせ、強い鎮痛剤をもらったので3時間ほどは眠れたでしょうか。時間のたつのが遅いこと。救急(ER)のベッドは狭くて、ベッドがある場所も狭くてカーテンでちょろっと囲ってあるだけでした。そこでずっと、ずーっと痛みに耐えて朝を待ちました。

救急なのでとにかく患者が次々に来る来る。その中でルーティンワークのように淡々と働くスタッフたち。ERというのは大変な職場ですね。

みんなすごい!
でも痛い……

やがて朝が来て、お医者さんや看護師さんが夜勤から日勤に交代しました。
あ、新しいお医者さんだ。

今日の先生は中年のベテラン風男性です。「夜勤の医師から引き継ぎました」と自己紹介され、胆石が疑われるのでこれこれの検査をしたいと承諾書にサインさせられます。

もうなんでもしてくれ。そして原因を突き止めてくれ!

普通のCT、造影剤を使ったCTといくつも検査を行い、最後にドクターが
「やっぱり胆石が濃厚なので内視鏡を使った造影検査をして、胆管に石があれば内視鏡の先っぽに付いたバスケットみたいな器具で取ります」
と告げました。

内視鏡!?

内視鏡と言えば人間ドックでやる胃カメラでしょ?
あの、私のいっちばん大嫌いな、ゲーゲーする胃カメラだよね?!
鎮静剤を使っても苦しい胃カメラだよね?!!
(注:個人の感想です)

幸いなことに検査&治療の内視鏡手術は意識のない中で行われました。気がついたのは戻ってきたERのベッドの上。先生ありがとう。喉がちょっと痛いけど(入れるとき引っかかったのか?)そんなの関係ねえ。

そのまま入院も決まりました。

しかし急患なので病室の準備ができていません。しばらく待たされます。結果がどうなったのか聞く余裕はありません。そのうちバタバタとストレッチャーにのせられ、病室に落ち着いたのは夜になってからでした。

夜の7時頃にオット到着。

出張後、走って駆けつけてくれたのです。でも鎮静剤がまだ残っていてあんまりマトモに会話できません。
というか、眠い。
入院に必要なグッズをいくつか頼んだ後、彼がそこにいるのに力尽き果てて寝てしまいました。ごめんね。

しかしもちろんぐっすり朝までというわけにはいきません。この夜も何度も起きました。
痛かったり誰かがうめいたり。いいや、入院してるから昼寝しよう。最後にそう思ったのは夜中の2時頃だったでしょうか。

第2日 病名:総胆管結石


寝ては起き、寝ては起きを繰り返し、二日目の朝が来ました。
いろんな管につながれてベッドに寝ています。起き上がれない。寝返りはうてるので、ゆっくりと右を向いたり左を向いたりします。4人部屋で、窓際のベッドです。

朝の9時前になって濃い色の白衣(スクラブというやつですね)を着た女性が現れました。

「主治医になった○○です」と挨拶されます。

おお、若い!
美人!
ちょっと坂道とかAKBに居て時々センターを取りそうな感じ。

「石は取れましたよ。小さいのでしたが」
ああよかった。でも先生、まだ痛いんですけど。

わたしの病名は総胆管結石でした。
胆嚢本体から出ている胆管の末端は十二指腸につながっています。その出口に砂のような胆石が詰まったらしいのです。

医師団は口から十二指腸まで内視鏡を入れ、胆管の出口である十二指腸乳頭という場所を切って、内視鏡の頭についたバスケット状の器具で石を取り出したそうです。切った穴はそのままにしておくと癒着してしまうので、小さなステント(金属のチューブみたいなもの)を入れてあるとのことでした。あとでググったらものすごく一般的な治療みたい。

ともあれ説明はわかりやすく、こちらの話も十分聞いて下さってうまくコミュニケーションの取れそうな方でした。それに正直、この、多分常勤の中でかなりお若い先生が主治医だということは、自分の病状はそんなにひどく悪くないのではと勝手に思い込んだのです。内視鏡の途中で不審な点があったり小難しくなりそうな患者だったら、ベテランの方が主治医になったんじゃないか。実際はわかりませんが、いいや、ポジティブシンキングです。いぇい!

腹の方は、レベルは下がったものの相変わらず背中が痛く、みぞおちもときどき焼けるような感じがあります。何より一日数回、鯉がぴょんと飛び跳ねるようなうねりがみぞおちを襲うのです。

いやーん、これなに?!

すごく気持ち悪い。内視鏡手術以前にはなかった動きです。まるで内臓が痙攣してるような。わたしどうなってるんだろう、石は取れたと聞いたのに何で楽にならないんだろう、そんなことをぐるぐる考えながらずっと寝ていました。絶食なので食事もないのですが、食欲自体がありませんでした。

第3日 現状維持


翌日から管が点滴だけになって、前日までよりはやや人間に戻ってきました。しかし、まだ痛い。背中とみぞおちの痛みが間欠的に襲ってきます。救急車で運ばれた時の痛さが10とすると、2~4くらい。時に5~6くらいになります。しかも、術後、徐々に良くなっていく感じが全くない。ずーっと同じ。

この日の昼から食事が出ました。三分がゆ、ほぐした煮魚、刻んだ白菜と青菜のおひたし。味噌汁はわかめのような細かいものが入っています。

でもまったく食欲がありません。2日間何も食べていないのに。だっておなかと背中が痛いんです。胆石がなくなったはずなのにずーっと痛いんです。点滴してるから食べられなくてもいいよねって気持ちでした。

ところで点滴の針というのはものすごく進化しているのですね。この日も、そして実は退院直前まで点滴用の置き針は針なんだから金属だと信じ込んでいました。
だから手を動かして少し触れたりすると(うわああ大変だ! 血管を突き破っちゃう!)と慌てていたのです。

違います。

点滴用の置き針は、最初に血管に入れる時は金属の針かもしれませんが、入ったらすぐにその針を抜いちゃうんです。針の周りにあった細いプラスチック部分(カテーテル)が血管の中に残ります。だから「金属の置き針」じゃないんです。留め置いてあるのはプラスチック部分だけ。
これを知った時、

おお科学の進歩すげー!

と驚嘆しました。内視鏡だって一昔前に比べればずいぶん小さくなっているし、時間がたてばたつほど本当にいろいろなことが進歩していくんですね。

ただし、点滴を入れるのはやはり人の手な訳です。つまり、看護師さんの。そしてこの看護師さんに、点滴や採血がすごく上手な人とそうでもない人がいるわけで。

おひとり若い方で、とても焦ってがんばるんだけどうまくいかなくて、3回続けて失敗されました。ううむ……(ノ◇`;)
一箇所は内出血でどよ~んと青黒くなりました。ええと、まあ私も50代の半ばを超え、年寄りは若いもんの成長をちゃんと見守るのが筋やろと思っていたんで、そこはがんばって我慢したのですが。
彼女、4回目にやっと成功されました。まさに実験台。身体が本調子でない時は結構きついものがあります。でもよく考えたら身体が元気な時に点滴はしませんね。
がんばれ彼女。点滴うまくなってくれ!(心の叫び)

さて、入ったのは4人部屋でしたが、どうも向かいのお二人の患者さんは自力で動けない様子です。腹が痛かろうと背中が痛かろうと自力で動けるありがたさをしみじみ感じました。お隣のベッドの方は自力で動いておられましたが、わたし自身が他人と話をするどころではなく、結局最後まですれ違った時に黙礼する程度で言葉を交わすことはありませんでした。

とにかくどよ~んと痛いんです。痛みの波が寄せては返し、寄せては返し。

夜中の1時に背中の痛みで目が覚めて、とうとうナースコールしました。点滴から鎮痛剤を入れてもらいます。それでやっと3~4時間ほど眠ることができました。

第4日 やさぐれ

次の日になってもまだ周期的に背中とみぞおちが痛みます。ずーっと同じ。良くならないので結構やさぐれた暗い気持ちで過ごしていました。

ご飯がこの日から5分粥になりましたが相変わらず食欲はゼロです。背中が痛い。思わず某SNSに「なおんねーよー!」とやけっぱちの書き込みをしました。何人かの友達が慰めて、というよりなだめてくれました。ありがとうございます。

石が取れたはずなのに痛い、
なぜ痛みが軽くなっていかないんだ、
なぜ回復しないんだ、
という「原因がわからない」苛立ちでしょうか。

これはお産の時にも感じたのですが、人間、相当辛くても「あと○○時間(○○日)たてば事態が変わる」という予想が、ずいぶん忍耐の助けになるように思います。その見込みが立たない時、やけっぱちな気持ちになったり、落ち込んだり、やる気がなくなったりするんですね。

さて、この日は夕方、オットと共に主治医から病状説明を受けました。

前にも書いたように石を取って切った十二指腸乳頭に癒着防止のステントチューブを入れてあります。本来ならどんどん良くなるはずが、手術翌日の血液検査で肝臓の値が軒並み4ケタ!

肝臓の値とは、GOTとかGPTとかγ-GTPとかです。健康診断にあるでしょう? 胆嚢は肝臓で作られた胆汁を保管する場所なので、胆石や胆嚢の炎症で肝臓の指標が悪化するのです。
4ケタだなんて、こんな値、見たことない。
だって通常は2ケタですよ。具合が悪くなりはじめた当初、近所のクリニックで検査した際は、GOTは18、GPTは20でした。正常値です。だから胆石だとはわからなかったんだけど。

その翌日の値は少し下がって、でもまだ3ケタでした。
総胆管にあった石は取れて処置は順調に終わったはずなのに、この値では点滴も外れないし退院もできません。胆嚢の中にはまだ他の石もありました。このままだとまた繰り返すし、と、近い将来に胆嚢摘出も勧められました。

痛みが治まる気配がないもんな。
みぞおちも、1日に3回くらいは ぴょん! と痙攣するし。
この日も夜中の3時にナースコールして点滴から鎮痛剤を入れてもらいました。それでやっと眠れました。いつ良くなるのでしょう?

第5日~第6日 ステント、おまえだったのか

入院してから5日目、いよいよ再度の内視鏡で胃と十二指腸の具合を見、設置したステントチューブを取ってもらうことになりました。

再度の胃カメラ!
(厳密には胃カメラじゃなくて内視鏡なんでしょうが、「胃カメラ」の方が一般ピープルにはなじみが深いですよね?)

胃カメラ怖いと騒いだので対応していただいたのか、内視鏡どころか、終わった後、病室に戻った記憶がありません。車いすで送ってもらったのか? 全然わからないです。ま、いいか。

術後、背中の痛みがグンと軽くなりました。自分でびっくりするくらい。
さらにこれ以降、みぞおちが痙攣する感触は一切なくなりました。結局、異物が入ってて身体がイヤだイヤだと言っていたんでしょうか?

ご飯は7分がゆになりました。
何でも食べるぞー!
なんでもうまいぞー!!

翌日には点滴スタンドをガラガラ押して病院1階の売店まで行き、街の情報誌の最新号を買いました。レストランやカフェの特集です。そんなものを見たくなるほど元気になったということでしょう。

ああ痛くないって幸せだ。
あいた時間には小さいガラケーでネットにある他人の「胆嚢摘出体験記」を探して読みまくりました。昨日、主治医から胆嚢摘出手術を勧められていたので、どんなものなのか知りたかったのです。

血縁に胆石やら胆嚢摘出した人も何人かいて身近に実例を知っていたので、摘出と言われてもそれほど衝撃はありません。
そうですね~、やっぱそこですかね……というか、
やっぱり胆嚢、来ましたか……という感じです。

いろいろな体験記やネット上の情報を読めば読むほど、自分のが実に典型的な胆石で、定石にのっとった検査や処置が行われたんだなということがわかりました。そして胆嚢摘出手術は、なんと腹腔鏡だと1日で退院する場合もあるとか。

えっ、それはイヤだ。だってまだ痛いって皆さん書いてますよ。せめて4日くらいは入院していたい。いくら腹腔鏡とはいえ、やはりおなかをちょこっと切るわけですから。

幸い、入院していた病院は手術もできるし、翌日退院させるタイプではなさそうです。根性なしなので胆嚢摘出の際はもう少しゆっくりさせて下さい。

ステントを取って「おお、これは完全復活だっ!」と確信したものの、揺り戻しはありました。ひどくはないけど背中が重痛かったり吐き気がしてきたり。そう簡単には回復しませんね。

でも、でもですね、いったん食事になると具合悪くても食べられてしまう残念な「太った人クオリティ」というものがあるんですよ。わたしは胆石になるだけあって結構ボリュームのある体型でした。
つまり「4F」ってやつです。この言葉は友人医師が教えてくれました。

胆石になりやすいのは
・Forty or Fifty(40~50代)
・Female(女性)
・Fatty(太ってる)
・Fair の4F。
全部当てはまる。

最後のFairは「全身状態の良さ(他に特に重篤な病気がない)」という意味らしいんだけど、ここはひとつ「美人」ってことにしておいてもらえませんか。ダメか。

ともあれ食事はおいしいけど、なんかヤバい気もしたので半分で止めておきました。1時間ほどするとおなじみの背中の痛みが軽めにやってきたので、完食しないで正解だったみたい。

うーん、早く良くならないかな。
まあ、前よりずっと回復はしているのです。
痛みもやがて少しずつ薄れていきました。

第7日 修造に出会う


結局、一度退院して間を置いてから再度入院し、胆嚢を取ることになりました。

みぞおちの痛みと鯉がはねるような痙攣は、ステント抜去以降、皆無です。やっぱあれはステントでしたねえ。そうとしか考えられない。朝、診察前に顔を出してくれた主治医からは、血液検査の値がずいぶん良くなったと言われました。

「明日とか明後日とか退院できますね」

よし、やったぞ。

さて、胆嚢摘出の際は、どうも事前に肺機能検査をするようです(注:この入院はコロナ前の話です)。麻酔との関係らしいんだけどあまりよく理解していません。ともあれ、言われて検査室に向かったのですが……

肺機能検査はかつて人間ドックでもしたことがあります。息を吸って思い切りたくさん吐く検査と、思い切り勢いよく吐く検査があります。そしてこの病院の検査技師の方がとてもすてき(爆)でした。

「はい、吸って吸って吸って吸って……」(ここは普通と同じ)

「一気に吐くーまだまだ行けるまだ行けるまだ行けるまだ行けるぞまだがんばれるまだがんばれるぞ(以下略)!!!!

すごい大音量で叫ぶ技師さん。こ、これは何かに似ている。何かというか誰かというか、よく見聞きする何かに……

あ、わかった。修造だ!

声のかけ方が松岡修造ですよ!!
至近距離で修造にでっかい声で励まされているみたい(大笑)
おかげで、もう一滴も出ないよってくらい息を吐くことができました。ステキ。こういうのってプロフェッショナルじゃないですか!

その後はMRIで膵管と胆管を撮りました。こちらはおなじみ、狭い筒に入ってガッチャンギッチャン言う中で指示に合わせて息を止めたり止めなかったりするのみ。多少、閉所恐怖なところがあるのですが、まあ目を閉じていればなんてことはありません。

夜になって看護師さんがやってきました。

「森野さん、どうですか?」
「明日か明後日退院できるって先生に言われました」
「あらどっちにします?」
え?
「えっと、自分で決めていいんですか?」
「いいですよ」
ホントかよ?
「じゃあ明日退院します」

というわけで、退院決定。
すぐに「明日退院」とオットに連絡します。いやあ便利ですね。もう携帯なしの生活は考えられません。昭和の昔はね……いや、やめましょう。

第8日 退院

退院の朝が来ました。
点滴用の留置針はもうありません。早く目覚めてしまい、白々と明けてゆく空を見ながら音を立てないようにベッドまわりの整頓をしました。

入院する羽目になって一番痛感したのは、ことばで症状を説明することの難しさでした。
痛い中、必死で正確に伝えようとしたのですが、果たして医師には伝わっていたのかどうか。どうも「患者が伝えようとする」のと、「医師が知りたい情報」って微妙にずれてるような気がして。できるだけ誤解なくわかりやすく説明しようとはしましたが、伝わってたんだろうか。診断がついて回復したってことは、伝わったのかなあ?

ふだんから、お医者さんに症状を説明するのは難しいと感じています。例えば痛みひとつにしても、チクチクとか、じんじんとか、いろんな痛みがあるじゃないですか。しかも自分自身は「チクチク」と「じんじん」の違いははっきりわかるけど、それは果たして他人に通じるものなのか。さらに同じ「チクチク」だって、患者ひとりひとり違う痛みかもしれないし。

そんな患者の話を総合して、どこに原因があるのか突き止めるお医者さんはすごいです。してみると、医師というのはミステリー・ハンターなんですね。問診や検査で証拠を集め、病気という謎を解明する。

でも問診だって患者がすべて正確に伝えられるとは限らず、証言が正しいかはわからないのです。本人が思い違いしていたり、他者(医師)に伝わらないような言い方をしているかもしれません。その中で知識と経験を頼りに犯人(病気)をつきとめていくのは大変な仕事だと思いました。

というわけで、胆石の疝痛発作は無事、おさまりました。

ふた月後には胆嚢摘出手術のために再入院します。
思えば50数年間、雨の日も風の日も胆汁を保管しては流し続けてくれた胆嚢。機能が悪くなったとは言え、その胆嚢とお別れしなければならないのは、変な例ですが生まれ育った実家が取り壊しになり引っ越さなければならなくなったような寂しさです。

しかしこのまま放置して、また詰まって救急車を呼ぶのはごめんです。胆嚢炎を起こしたり、炎症から胆嚢が他の臓器と癒着したり、ガン化したりしたらもっと大変になります。
決断に迷いはありませんでした。

ひとまず退院です。
久々のシャバの空気は冷たくて澄んでいました。
読んで下さってありがとうございました。
この経験談が同じように入院したり手術したりする方、医師や看護師などの方の患者理解の助けになれば嬉しいです。

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