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短歌を詠んでみた

武田ひかさんがまいつき短歌祭をされたり、twitterで短歌を紹介されていて、それに影響されてちょっと自分でも言葉を57577に並べてみました。

応募すりゃいいって? いやいや、「57577に並べてみた」という感じなのでね。「短歌を詠む」まで行ってない気がするのです。でもとりあえずやってみたので公開します。やってみるのが大事なんだ。うん。

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放課後の図書館の細い窓越しに
グランド走るユニフォーム追う

グズグズと靴履き替える昇降口
いまに教室から出てくるかもと

教科書の国王の顔に髭を足し
あのクラスはいま理科室のはず

彼方から笑う君たちの一団に
素知らぬ顔でたてる聞き耳

いつもなら8時5分のバスで来る
今日に限っていなくてなんで?


と、5つ作ってみて気がつきました。これ全部、中学生か高校生の歌だよね? わたしは中学生の4倍以上年取っているのですが、どうして学校時代の情景を詠んじゃうんだろう?

他のこと、思いつかないんですよ。情景も何もかも。何か心に響いたことを思い出そうとすると、子どもの頃とか10代の頃のあれこれしか出てこない。

20代って何やってたんだろう? 10代の延長でズルズルと何の新しいこともなく過ぎていったのかも。20代って本来なら新しい世界に飛び込み、何にでも果敢に挑戦していく時期だと思うのにわたしは何をしていたんだろう?

30代は?
30代は子育てで死にそうになってた。生きるか死ぬか、というくらいストレスでしたね。上の子は夜泣きが酷かったし。夜が来るのが怖かったですもん。またあの夜泣きが始まるのか……って。

40代は……
40代は実は沼にハマって思い切りぶくぶく泥の中に沈んでました。あ、もちろん現実の生活はちゃんとやってましたよ。それに下の子は高齢出産だったので相変わらず子育て三昧だったし。PTA役員をやったり少年野球につきあったし合唱や吹奏楽のコンサートにも行きましたねえ。

50代になって新しい仕事を任されることになり、それを必死で数年やっているうちに病気になったんですよね。ああ、病気のことなら何か言葉になるかも。


来年の桜は本当に見られるか
今年限りの花見かもしれない

点滴は上手と下手で差が激しい
上手な人に当たれと祈る日

やってみたい行きたいところは多いのに
身体がついていかない悔しさ

病み上がり心配だから休めよと
みんな言うけど休みたくない

まだやれるまだやれるって絶対に
筋トレすれば体力つければ


なんか心の叫びになってきたなあ。こういうのでいいのかな?

こうやって言葉にしてみると、焦ってますね、自分。体力気力の衰えにめっちゃ抗ってる。こういう今の状態を直視したくないから、まだ若すぎて未来も見えなかった10代の頃の情景ばかり言葉にしたくなるのかしら。


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