見出し画像

あなたの声は聞こえないけど

30 day book challengeの最中だけれど、今日は一回お休みをして別のことを書きたいと思う。

先日、たなかともこさんのこの記事を読んで驚いた。

この前にディスレクシア云々の記述はあったんだけど、疲れていれば文章が頭に入らないことは誰でもある。目が滑ることだってそんなに珍しいわけじゃない。だから元気がない時の話なんだと思っていた。

あんな活躍してる人でも弱点があるんだ……それが驚きの原因。もちろんご本人が書いているように診断されたわけじゃないし、若い頃はちがっていたのだと思う。でも、ともこさんはnote界隈で大活躍だけじゃなく、記事から垣間見る日常生活でも大活躍されているようだったから、そんな弱点があるなんて想像もできなかった。そしてそれまで以上に親近感がわいた。

今のところ、わたしは文字が目を滑ることはない。文章を読むのも、よほど疲れている時は別だけれど、それほど苦にならない。けれどわたしには別の所に大いにポンコツな部分がある。それは、目ではなく、耳。人の話し声がうまく聞き取れない。話していることはわかるのに何を言っているのかわからない。言葉が聞き取れないのだ。


軽度難聴に気づいたのは40代の前半だったと思う。その日は元旦で、家族全員でわたしの実家にいた。まだ小さかった子どもたちも夫や祖父母があれこれ相手してくれて、わたしは別の部屋にあったテレビのチャンネルをつけた。たまには自分の見たい番組を見てもいいじゃないの。

元旦には、いまも毎年、NHKがウィーンフィルのニューイヤーコンサートを実況してくれている。これが好きだ。チャンネルを合わせるとちょうど曲が始まるところだった。指揮棒が上がる。バイオリンパートがアップになり、全員が細かな音を奏でている……奏でて……?

聞こえない。

テレビの画面では明らかに演奏しているのに耳には何も聞こえてこなかった。ボリュームがおかしくなっているのかと上げてみたら微かに聞こえ始め、そして曲が進むにつれ音が大きくなり絶えきれないくらいのボリュームにクレッシェンドしていった。

「ちょっとうるさいわよ。なにやってんの?」
「ごめんごめん、ボリューム間違えちゃって」

隣の部屋から声がした。あわてて謝りボリュームを下げる。でも操作を間違えたのではなかった。聞こえなかったのだ。

クラシックはポップスに比べダイナミックレンジが広い。つまり、小さな音から大きな音までの幅が広い。ポップスを聴いていた時には気づかなかった聴力の衰えに気づいたのはこれが最初だったと思う。目で見えているのに耳で聞こえないことの驚き。でもその時はまだ、人の声は聞こえていた。

耳が聞こえないのは不安だし不便なので、大きな病院に行って検査を受けた。普通の聴力検査、ただの音ではなくて言葉の聞き取りの検査、平衡感覚の検査など、経験したことのないたくさんの検査をして言われたことは

「突発性難聴ではありません。あなたのは、老化と言うよりは体質的なものが大きいです。日常生活に困るようなら補聴器を考えましょう」

というものだった。つまり、治療して治るわけじゃないということだ。そういえば親も若い頃から耳の聞こえが悪かった。弱いところが遺伝したのだろう。

日常生活にそれほど困難はなかったので、それでもしばらくは放っておいたけれど、自分で感じる聴力は毎年少しずつ下がっていった。ここ数年、仕事に差し支えるほど人の声が聞き取れなくなってきたのでとうとう補聴器を使うことにした。これは眼鏡と一緒で慣れるのに時間がかかる。そしてずっとつけていると疲れる。いつか慣れる日は来るのだろうか。


実は補聴器を使っても聞こえていた時とまったく同じようにはならない。人によって、声の質によって、目の前にいても何を話しているのか全然わからないことがある。その人の口だけが動いていて。あるいは、ごにょごにょとした会話音は聞こえるが、言葉の意味は処理できないこともある。

ネット動画などでの音声も聞き取りづらい。神経を集中させていないと言葉がわからないのだ。このところ音声や動画配信で楽しそうな企画が一杯あるけれど、聞き取りにくいのでどうしても二の足を踏んでしまう。

ポップスは歌詞が聴き取れない。だからすっかり音楽も聴かなくなってしまった。字幕が出ないと何と歌っているのかわからないのだ。わたし以外の人は全員よく聞こえているのに。


それでも多くのことは文字情報でフォローできる。noteフェスは動画配信だったので失礼しちゃったけれど、こんな細かなレポートがあちこちに出ていてどんな様子だったかわかるのでありがたい。


そうか。

もしかするとわたしだって、文字を読むのがしんどい人に音声配信で文章の内容を伝えることができるかもしれない。できないところは助けてもらい、できるところをお返ししながら。

人間って、いずれは年を取るし、若くたっていつなんどき体や心にガタが来るかわからない。事故だってあり得る。だけど自分ができることをやり、お互いにカバーし合うことはできるだろう。カバーの仕方は人それぞれ。これからもできることをやっていければと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?