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ポンコツ狂詩曲(ラプソディ)

「ともこさんは何か不得意なこととか、あるんですか」

これを言われて正直「心底驚いた」。昨夜(日本では)のポップアップCafeBarDonnaでの話。びっくりしすぎてポンコツな自分、のことを披露してしまった。

ポンコツもいいところ、な私は「自分が出来る」ことが本気でわからない。もちろん、自己評価基準が厳しめというものもあるだろうが、冷静に考えて私はたいして何もできない。継続はもちろん出来ない。さらにはディスレクシア(文字が認識出来ない)がひどく、40才になった頃から本を読むのが実はとてもつらい。片手に紙片なり定規なりを置いて読むのだ。ここに老眼も始まって、朝晩に本をゆっくり読む、ということがまず不可能になってしまった。

出来る、ということをレベル10までとしたら、私のは6〜7、時に奇蹟がおきて8となる。でもまぁ、世で求められるのが4−5というのが多いので、相対的に出来てしまう。
でも素晴らしく何かが出来るわけではない、それが私だ。

昔は器用貧乏と思っていた。でも本当は自分が一番よく分かっているのだ、
「こんな適当に誤魔化したものなら 誰でも出来る」

こういうひとはnote界隈に多いだろうと思う。


多くの天賦の才を持った人達と出会えば出会うほど人生に謙虚にならざるを得ない。努力が形になり素晴らしい人になんて出会ったら降参とばかりにお腹を出す犬のようになってしまう。
年令もあるのだろうが、今は周りの人が年令問わずとにかく素晴らしすぎて、出会えたというだけで色んな事に感謝が出来るし、生きるのが楽になった。

出来ない自分を若い頃は許せなかった。生きる意味がないと追い詰めた。
今はこの自分でOKと思う。ポンコツがポンコツなりに頑張ってるんだ。いいじゃないか。しかもラッキーなことにポンコツを補うパートナーにも恵まれた。

家事が「ど」下手で、掃除なんて全く行き届かないのが私。よく気付くとオットがハンディタイプの掃除機をごそごそ出して、バスルームの方からぶいーん、という音が聞こえる。2週間に一度はオットがシャワールームの掃除をしている。なんだったら家中掃除機をかけてくれていることもある。

どんだけ私はポンコツ主婦なの、と思う(あるいはこれは女性が家事をこなして当たり前、という思い込みが根強い証拠でもある)が、ケンカをふっかけてこないで自分でやってくれるオットには本当に感謝しかない。そして多分私の潔いポンコツ具合はどこかでパートナーの救いになってるんだと思う。(・・・違ったら怖いな)


ポンコツからスタートするのはいいですよ。小さくて新たな成功体験と受け取れることが沢山あるから。ごはんが美味しく出来ても、玄関前を掃き掃除しても。笑
そして、ポンコツと知るからこそ努力をしてみようといつも思っている。ああ、そうか、私「が」出来ること、それはどのくらい続くかは別として「とにかく一生懸命やること」かな。

ポンコツポジティブ、バンザイ。

(本来のCafeBarDonnaはとても心地よくいられる場所で、しかもすごく素敵な情報?ことばたち?が飛び交います。ポンコツのことでいろいろ考えたのは私だけのはずw)






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