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なりたいものになれなかった自分

SNSをつらつら見ていて、涼雨零音さんの発言にふと昔の自分が思い出された。

そうなんだよね。世の中にはびっくりするような人がたくさんいる。

わたしが在籍していたのは勉強のできる子がたくさん居る学校だった。勉強だけかと思ったら、彼らの何パーセントかは勉強もできるし運動もバリバリで楽器を弾かせてもプロ級とか、そういう人たちだった。いったいなんでどれにも秀でることができるんだろう、わけわかんない能力の高さである。そういう人たちが世の中にはいる。

10代のわたしは音楽系と美術系が好きだった。どういう仕事があるのかも知らないでできればそちらの方面に進めればと漠然と考えていた。当時の進路指導なんていいかげんなものだったので適性もへったくれもなく,やりたい奴は自分でがんばれ~みたいな感じだったと思う(わたしの学校がそうだっただけかもしれないが)。

音楽は、小学校中学年から習い始めたピアノをちんたら好きなように弾いていた。苦手なバッハは練習しないから1年たっても2曲くらいしか進まなかった。(今になってみると本当に先生ごめんなさい)
一度半分本気で「音楽の方に行こうかな」と言ったら、「今のレベルじゃ音大どころか教育学部の中学音楽も無理」(実技で落ちる)と言われたのですんなり諦めた。確かに同年代より下手だったし、勝手にショパンだのリストだの楽譜を買ってきたけどどれも中途半端で最後まで弾けていない。そんなレベルでは最初からアウトである。

マンガを描くのも大好きだったが、デッサンは習ったこともなく人物のパースは常に狂っていた。ところが同じような立場で一度も絵なんか習ったことがないのに超うまい人間というのは居るのだ。どう見ても脳の構造というか視覚情報の取り入れと出力のレベルが違っている仲間が入っていた同人誌に何人も居た。かなわないと思った。プロになった先輩達の絵はため息が出るほど美しかったし、真似てもとてもその域に達することはできなかった。こちらも、16歳くらいの段階で「こりゃアカン、プロは無理や」としみじみ感じた。

わたしは職業や仕事のことをあまりにも知らなかったのだと思う。世の中にはこんなにたくさんの仕事があるのに。昭和のあの時代、誰もキャリア教育なんて言わなかったし、親も結構考え方が偏っていたし、その狭い世界の中で知っている仕事は片手で数えられるほどしかなかった。だいたい実家は裕福ではなく、「芸術系に進むのはお金かかるから勘弁ね」という雰囲気だったし。

残ったのはそこそこ中くらいな勉強だけだったので、芸術系でない何かの大学に進むことにした。一番好きだったのは圧倒的に文学。その中でも英語か、フランス語やドイツ語などヨーロッパ系言語とその文学に憧れていた。読んでいた本がそちら方面ばかりだったので。

でも周囲が「文学部は花嫁修行」という考えを持っていたのでそこだけは避けなければならなかった。文学部に進学したらその先は見合い結婚しかない。その人生は死んでも嫌だった。親が不仲なわけでもないのに結婚って女にとって人生の墓場で不幸が死ぬまで続くと思っていたのはなぜだろう。小説というかゴシップ雑誌を読みすぎたのかもしれない。確かに母と祖母(姑)の相性はよくなかったし、愛情深い父だったが昭和ヒトケタで常に家に居なかった。

それで手に職をと一番苦手だった物理を取って国立理系コースを選んだ。暴挙である。暴挙だが、女で「手に職」といって思いつくのは医療系しかなかったのだ。けれど苦手なことをやっているのだから当然成績は振るわず、希望した大学にはことごとく門を閉ざされた。残ったのは滑り止めに受けた私大文学部だけ。親戚一同からは嫁コースに行ったと安心された。なんてことだ。

でもわたしは負けなかった。

周囲が望むレールにだけは乗るまいと足掻いた。結局、結婚が嫌なのではなく、勝手に押し付けられた期待に沿うのが嫌だったのだ。実家周辺の「ええとこ文化」に準じること、つまりお家柄も立派で優秀な男性の奥様になって専業主婦として生きることを期待されるのがとてもとても嫌だったのだ。

大学4年は多分一生で一番勉強していたと思う。当時は昭和で、ほとんどの企業で女性はお飾りだった。文学部卒で働き続けるには公務員になるか、モラトリアム期間として大学院に進むことしか考えられなかった。それなのにその頼みの公務員試験にも落ちてしまった。あとがなかった。この崖から落ちたら「どこぞの奥様」という奈落の底にはまり二度と出てこられないのだと思った。今思えばそうでもないんだけど。

とにかく一生で一番くらいの努力と、親を騙すような小ずるい策も弄して、わたしは見合い結婚から逃れた。人より何年も長く学校に通って、結果として最初は考えてもみなかった仕事に就いた。実力不足で恥をかいたり失敗したりもした。それでも、ヘロヘロになりながらも、何とか大穴をあけずそれなりに勤め上げた(と思う)。仕事が自分に向いていたかどうかはわからない。もっと持てる力を存分に発揮できる別の仕事があったかもしれない。

だけど人生、転がるように色々あって、それはそれで面白かったし今も面白く暮らしている。「なりたいもの」には一切なれなかったが、それでも人生は続くし楽しいこともたくさんある。何が自分に向いているのかは何十年も生きてきたが未だにわからない。それでいいのかもしれない。
これからも臆せず新しいことに挑戦して転がっていこうと思う。
皆様もまた一緒に遊んで下さい。

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