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決意してること #ペアnote3月から

ひらやまさんのペアnoteのテーマ、3月のも5つあったのに、昨今のバタバタですっかり書けずにいました。せっかく出して下さったのだから書けるものだけでも、と思っています。

3月のペアnoteテーマたち
・人との出会い
・決意してること
・不安との向き合い方
・静かな気持ちになるとき
・noteへのお礼

その中から「決意してること」というテーマを取り上げました。なぜかすんなり気持ちに降りてきたので。

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決意してること

決意しているのは、生きること。

生きる。

立派なことをしようというのではなく、最後まで自分の手でご飯を食べ、自分の足で歩いて、自分の頭で考え、自分の心で感じる。そうやって最後まで生きていきたいと決意しています。

若かったらそんなこと当たり前すぎて考えもしなかったでしょう。少し前までは思いつきませんでした。考えるようになったのは高齢者を間近に見てから。ひとりで食べる、ひとりで歩ける、それが一番大事だという気がするのですね。

母は高齢で寝たきりの認知症です。施設でお世話になっています。遠距離なのでわたし自身は介護と言っても会いに行って顔を見て話しかける程度。その話もどこまで理解しているのか、だいたいわたしが娘だとわかっているのかもよくわかりません。もしかすると全部理解していて、言いたいことがことばにならないだけかも……とも思うんですけどね。5分経たないうちに全部忘れちゃっても。

誰からも「立派なお母さん」「立派な奥さん」と言われていた母ですが、認知症になってからはひとつずつ、できることを手放していきました。あんなに何でも知っていて、てきぱきと人の世話までしていたのに、いまは左手ひとつ動かすこともできません。頭がはっきりしていたらどんなに辛いだろうと思い、その点は認知症で良かったとすら思います。起きたことをすべて忘れてしまうし、痛みを感じる部分も鈍麻してきているので。

そういう母を見ていると、自分の手でご飯を食べる、曲がりなりにも内臓が働く、自分の足で歩いて移動ができる、それがどんなに大きなことか改めて思い知らされます。動けなくても母は母であることに変わりないのですけれど、主体としての「自分」はどこにあるんだろうな、と思うのです。

母の場合は不摂生したわけではなく予想しなかった不具合が重なって今に至るのですが、それでも「先達から学ぶ」ってことは大事でしょう。年をとっても足が使えるように今からウォーキングをする、体重の増加に気をつける、医者に言われたように毎日きちんと薬を飲む、ストレスやネガティブな気持ちをなるべく発散するなど、小さなことばかりですが心がけています。

最後まで歩く。自分の手で食べ、自分の身体で消化する。そうやって生きることをめざして。
それでも身体が動かなくなったら、そのときはまたそのときで運命を受け入れられるような、そんな風に生きていきたいと思っています。



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