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またかよ入院日記 11(最終回)

かなりよくなってきた前回はこちら。


術後7日目

7日目の夜が明けました。
病院って眠れないんですよね。痛い時や不快な時も眠れないけど、痛くなくてもやっぱり眠れない。消灯時間を過ぎて暗い中でがんばってもギンギンでダメな時は看護師さんにお願いして薬をいただきました。
すると朝までぐっすりです。やったね。

もっと若い頃は薬で入眠することに大変抵抗がありました。20代とか30代の頃です。どういう機序にせよ薬を使うのは自然じゃないと思っていたので、よほど病気でつらい時以外は良くないとどこかで考えていました。

しかし年を取ると如実に眠れなくなるのです。

それは入院も自宅も関係なく、何の病気もなくても早朝覚醒したり、中途覚醒したり、眠りにつけなかったりが日常的に起こります。疾患というよりは長年生きてきて身体も脳もロートルになった証拠なのでしょう。老化です。錆び付き、劣化、くたびれた、だから正常に動かない、そういうことです。

そんな時、それでもがんばって薬を拒否していると、眠れないためにかえって身体や脳の負担が増え、いらん病気まで呼び込んでしまうことがありました。たとえば眠れないのが続いたら気持ちが落ち込みやすくなったり、免疫が落ちてコロナやインフルエンザにかかりやすくなったりとか。脳にだって通常以上にカスが貯まって認知症に向けて走り出しているかもしれません。

そんなわけで、50代の半ばに続けざまに病気をしてからは特に、
「年寄りは自分の身体を最優先に考え、使える薬は全部使っていく」
という方向に考え方を改めました。もちろん医師の指示に従いながら、ですけど。病院で出してくれる睡眠導入剤は副作用が少なくゆるやかなもので、多少は爽やかな朝を迎えることができました。
  

今回の手術の結果は

朝ごはんにクロワッサン

パンにしてもらった朝ごはん、この日はクロワッサンでした。これはおいしかった。もちろん街のブーランジェリーのできたてクロワッサンというわけにはいきませんが、それなりに。牛乳もついててハッピー。牛乳嫌いな患者さんがいたらこっそり交換したいです(しませんけど)。

子どもの頃は結構好き嫌いもあったし、いまも敢えて食べたいと思わない食材はたくさんあるんですけど、それでもゲテモノ以外は出されれば食べる自分は入院生活に適応しやすい方ではないかと思います。(蜂の子とかざざむしとか、イタリアのウジのわいたチーズなんかはダメだなあ。まあ得意な人はそれほど多くないと思うし病院では絶対に出ない)
食べ物の他、病院パジャマに抵抗はないし、毎日すっぴんでいるのにも抵抗はないし、イヤダイヤダといいながらしんどい治療も仕方なく受けるし。それなりに良い患者ではないでしょうか。自画自賛。

若くてあまり病気に縁が無い頃は、病気というのはお医者さんが治してくれるものだと思っていました。しかし幾多の病を経て、最近は考えも変わりました。

病気は、医師や看護師と患者が協同して治すものなのだと。

患者側に「治ろう」という意志があり、治癒に向けて患者なりに医療に協力する面がないと、医療側がせっかく最善を目指して行っている治療がうまくいかないことだってあります。
もちろんそれは病の内容にも寄りますけれどもね。患者がどうがんばってもうまくいかない場合もあるでしょう。だけどそれでも「一緒にがんばりましょう」と、患者含めて全員でチームとなることが医療なのかなってぼんやりと考えました。受け身でなく、できることをやっていく、というのが。

この日は退院に向けての診察がありました。
病院のスケジュールとしては、順調で何もなければこの次の日が退院の予定なのです。

主治医である米倉涼子(仮)医師はいつも通りの「失敗しませんから」風な雰囲気で
「病理の結果も出ました。大丈夫です。何も出ませんでした」
と教えてくれました。マスクで見えないけど多分笑顔よね。

無罪放免

やったーやったー!
もちろん定期的な検診はしばらく必要ですが、抗がん剤治療、化学療法、放射線治療、そういったものが当面は必要ないわけです。
手術創も順調な回復とのこと。さっそくオット氏にLINEして退院が決まったことを告げました。迎えに来てもらわないと。
 

そして退院へ

とうとう退院の日が来ました。
入院日、手術日、術後1~8日と、合計10日間の入院でした。
腹をガーッと切って臓器を取っちゃったのに、10日間で退院できるってすごいですね。しかも今はもうそんなに痛くない。改めて医学sugeeeeeと思います。
そして医学だけでなく、こまごまとしたケアで土台を支えてくれた看護の皆さん、看護以外の部分で少しでも心地よいようにと気遣って下さった職員の皆さん、大勢の人の手を借りて退院することができました。ありがとうございます。

朝10時までに退院手続きをするのでバタバタと荷物をまとめ、挨拶もそこそこに病室を出ました。服を着て靴を履いているのが不思議です。出迎えのオット氏に荷物を持ってもらい、わが家へと戻りました。
大きな空白があるような、それでいて何もなく手術前からシームレスで繋がっているような、妙な感じの日常に戻ってきました。

帰宅すると大きな花束が届いていました。
これは全く関係の無い方面から、病気とは関係なく偶然にこの日に届いたものでしたが、退院祝いのように思えて有難く飾らせていただきました。

百合の花々 香りがステキ

自分は運が良い方なのかなと思います。
今回も、前回の心臓カテーテルなども、重篤になる以前にたまたま偶然見つかり、健康で体力があるうちに負担のかかる治療を受けることができたからです。
これからもっと年を取り、さらにいろいろな病気や衰えとも遭遇していくと思いますが、医療を信じ、いくつであっても未来を夢見て精進しようと思います。

これで「開腹して子宮と卵巣を取っちゃった」体験談を終わります。
読んでくださってありがとうございました。


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