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ズボラの見本の人がやるようになった事

私は社会人1年9ヶ月で寿退社し
もうその頃には妊娠4ヶ月で
4都道府県離れた場所で
実家暮らしからいきなり専業主婦になった。

母と2人で暮らしていても
家事は
自分でやらないと気が済まない母がやるので
全くわからず
なんとなく,きっと,こうやるんだよね
という家事もどきを1,2年した。

そして初めて母が家に来た時に
家中の大掃除をして
やり方も教えてくれて
道具,グッズも揃えて帰っていった。

お掃除のプロを呼んだようだった。

それから私は
むしろなぜそれまでやらなかったのか
家を綺麗に保つ方法をネットで見て
新品同様となった家を
そのままキレイにしておくことにした。

まぁ今と違ってYouTubeやTwitterが
出始めた頃で
動画検索する文化は無かったはずだ。
とりあえずブログ,HP,Facebookという時代。

水回りは1日1回はタオルで拭き上げる。
ガス台も汚したら拭く。

とりあえずこれだけで違う。

あれから10年たち
それに加えて

自分が入ったら必ずトイレの便座裏を拭く。
毎日玄関を掃く。

が追加された。

慣れてしまえばなんてことはない。
トイレで用を足したら流す,
シャンプーをしたら流す,のと同じ当たり前さで
これらをやれるようになった。

これらが普通になってしまえば
もう
他の事もやりたくなる性分になっているだろうから
家が汚いということはなくなるだろう。

標準でズボラな性格ではあるので
亡くなった几帳面な母から見たら
まだまだな所があるのはわかっている。
ちゃんと◯◯もやりなさい,と
頭の中で聞こえてくるからだ。

生きていくのが大変だろうなと思うぐらいの
几帳面で完璧主義者な母から
よくこんな適当な大雑把な娘が仕上がったもんだな,と
不思議である。

そのおかげで今は多少綺麗好きになったので
怒られてばかりのあの頃も
感謝しなければ。

いや,しなければ,と言うと義務的だ。

何をするにも"ちゃんとしなさい"と
言ってくれてありがとう。

今でも何をするにも頭の中で
"ちゃんとしなさい"が聞こえてくる。
昔は"ちゃんと"って何だよ,とイライラしていたが
今はその意味がわかる。

それにしても"ちゃんと"とは便利な言葉である。

エッセイ本の出版の為に書き続けます!よろしくお願いします!