ベトナム4年目駐在妻、現地就職×未経験キャリアに挑戦します。
これは小豆島に生まれ育ち、外の世界を知らなかった中学生の頃の私が、島外の高校を受験する時に漠然と抱いていた夢です。
ただ結果的にはこの夢に挑戦する前に、諦めることになります。
今日はそんな私が駐在妻になり現地就職を通じて、一度諦めた夢に再チャレンジしようとしている話を徒然に書いてみようと思います。
外の世界にココロオドル島人
私は小豆島という瀬戸内海に浮かぶ島出身です。
小豆島のことを知らない人からはよく「みんな知り合いなの?」と聞かれますが、そんなことはありません。笑
私が暮らしていたその当時の小豆島の人口は約3万人(今は約25,000人とだいぶ減りました)。
私が住んでいた当時、小学校は10以上、中学校は3つ、高校は2つあり、瀬戸内海では淡路島の次に大きな島です。(今は私の通っていた中学校は隣町の学校と合併してしまいましたが……。)
とはいえ、保育園も幼稚園も小学校も1クラス。
中学校はかろうじて3クラスありましたが、名前を知らない子は一人もおらず、基本的にみんな近所の友だち。
友人関係は良好。
人数が少ないため、少し頑張れば良い成績や賞を取りやすいし、学級委員や生徒会にも選ばれるので、周りの人から注目されやすく、居心地の良い環境でした。
ただ生まれも育ちも小豆島で島のことしか知らず、昔はSNSもWebも今よりも発達していなかったこともあり、もっと広い世界を見たいし、いろんな人と知り合いたいという欲求が日に日に強くなっていました。
そのため高校は島を出て、高松にある高校へ船で進学することを決意。(生まれてから今まで、私と同じく船で高校通学していた人に出会ったことがありません。もしいたらすぐに仲良くなれると思うので、メッセージください。笑)
また"海外"という、より広い世界やいろんな人と知り合える環境に興味を持ち、他のクラスよりも英語の授業が多く、修学旅行がわりに海外ホームステイプログラムのある、国際英語コースという特別クラスのある高校に進学しました。
とにかく私は外の世界を知りたかったんです。
海外ホームステイで夢破れる
そんな高校1年生の3月、私たちのクラス特権の2週間のオーストラリアホームステイプログラムの時期がやってきました。
それは私にとって初海外体験。不安な気持ちもありましたが、ワクワクが止まりませんでした。(海外経験がなさすぎて2週間の海外滞在に、クラスで私一人、機内持ち込み用のスーツケースで挑んだのは、今でも語り継がれる笑い話。)
そしてホームステイファミリーとの2週間の海外生活がスタート。
ただ私にとってこの2週間はしんどくて辛い体験となります。
言語の壁、慣れない食生活、大好きな家族と離れ離れ。
あんなに夢見ていた海外生活にも関わらず、一瞬で心が折れました。
極め付けは軽い人種差別。
ホームステイ先の家族に連れられ教会に行った時のことです。
ただ教会にいただけでしたが、子どもたちから急に石をぶつけられました。
親指だけを下に向けるジェスチャーで「◯ね」という合図も送られました。
おそらくキリスト教信者ではない日本人が教会に来るな!という意味合いだったのかなと。
彼らは推定小学生くらいだったので、そんなに悪気はなく、ただの遊び心だったのかもしれないし、私の勝手な妄想に過ぎない可能性もあると思います。
ただその当時の私にとっては衝撃的で、こんな場所で生活、ましてや仕事していくなんて無理だと直感的に思ってしまったんです。(豆腐メンタル炸裂)
日本に帰国後、急激に英語を学ぶ意欲が落ち、外国人とコミュニケーションを取りたいという欲求がなくなり、「海外で働きたい」という夢は簡単に破れることになります。
島人、駐在妻になる
新卒では総合人材サービス会社に入社。
一応海外拠点のある会社でしたが、私には無縁の世界と化していました。
ただ転勤族の夫との結婚を機に退職し、東京から夫の配属先の香川へ引っ越すことに。
そんな夫の夢は「海外で働くこと」でした。
私が一度諦めた夢を、夫は追いかけていたんです。
おそらく私と同じぐらいの英語力しかなかった夫でしたが、ずっと「海外に行きたい」と周りの人に言い続け、少しでも海外転勤の可能性を高められるように、毎朝6時に起きて英語の勉強をし続けていました。
そんなある日、夫から「ベトナム駐在になるかも」と一言。
夫の努力が実り、ついに夢が叶うことになったんです。
ただ、まさかこんなに早く海外に行く日が来るとは思っていなかったので、動揺しました。
それは長女が2歳、長男が0歳でまだ生まれたばかりのタイミング。さらにコロナ真っ最中の時期。
こんな小さな子を連れて、どうやってコロナ禍の発展途上国で生活するのか。正直、すごく不安でした。
とはいえ、私にはついていかないという選択肢はありませんでした。
学生時代に父が単身赴任になり、家族関係がギクシャクしてしまったこともあり、家族が離れて暮らすことはどうしても避けたかったのです。
また、子どもたちにとって海外生活は、幼い頃から世界にはいろんな人や国、価値観や生き方があることを知るための、いい経験になると思いました。
そんなこんなで私はベトナムへの家族帯同を決意しました。
異国の地で切り拓いた新しいキャリア
2020年の12月、コロナで異様な空気の中、ベトナムへ旅立つことになりました。
渡航直前までは日本でWebデザインの仕事をしていましたが、Webデザイナーとしての今後のキャリアにモヤモヤしていたことと、渡航直後はなかなか稼働できないことを理由に、全ての仕事を手放して渡航しました。
コロナによる2週間のホテル隔離生活を機に、暇すぎる生活に耐えきれず、全く読書習慣のなかった私が読書を始めることに。(これは奇跡的な出来事。)
あらゆる電子書籍を読み漁りながら自分と向き合い、今後のキャリアを考えました。
その結果、私は前職時代から変わらない「人や企業の価値発揮をサポートしたい」という想いに気付きました。
その想いを元にホテル隔離中に、興味のある事業をされている企業や団体にDMを送ったり、現地の転職エージェントにも連絡して面談を実施したりしました。(思い立ったら即行動は昔からの特性です)
しかし最初のうちは子どもたちの預け先がなかったため、自宅保育しながら生活にまつわる情報収集したり、日本から来た荷物を整理したりと、まずは生活基盤を整えることに必死でした。
ベトナム渡航してから3ヶ月後には、なんとか子どもたちの預け先が決まり、日中自分の時間ができるようになりました。
その時期から、学んでみたいと思っていたコーチングをオンラインで学び、実際にお客様に提供し始めました。
さらに転勤族の妻のためのキャリアコミュニティkinocomを立ち上げ、キャリアや人生に仲間と共に向き合いたい転妻さんのための居場所作りも始めました。
コロナをきっかけにオンライン通話アプリやチャットツールが普及したおかげで、たとえ海外にいてもオンラインで学んだり、働いたりできるようになり、新しいキャリアを築くことにつながりました。
ただなぜかずっとモヤモヤしていたんです。
ベトナムだからこそできることを
家から一歩外に出ると、いろんな国の人に出会え、様々な言語が飛び交っています。
日本ではあり得ない光景や初めて食べる料理など、発見の連続。
ただ私はオンラインで主に日本の人と仕事をし、交流をしているため、基本的に日中外に出ることはありません。
私はせっかくベトナムにいるのに、ベトナムにいなくてもできることをやっていたんです。
そんな自分の生き方・働き方に疑問を持ち、2022年はベトナムのフリーペーパーで週2回、広告営業として働いてみたり、2023年はプロボノとして私と同じくキャリア支援関連の仕事をしている仲間たちとリアルイベントを開催したりしてみました。
一歩外の世界に出るだけで、リアルのつながりが増えたし、日本に住んでいたら出会えなかったような生き方や価値観を持っている人とたくさん出会う機会につながりました。
2024年、改めて描く将来の夢
そして2024年、年末年始にかけて改めて今後どんなキャリアを築いていきたいのか、じっくり考えてみました。
その結果、出てきた新しい夢は、「日本の魅力を世界に発信するサポートをする」ことでした。実は約1年半前にもこんなnoteを書いていました。
ベトナムに駐在してから、早3年。
海外生活をして初めて日本を外から見ることができ、改めて日本は本当に素晴らしい国であり、可能性に満ちた国だと思うようになりました。
日本のメディアやSNSでは「日本オワコン」という風潮もありますが、私は生まれ育った祖国や故郷を見捨てたくないと思っています。
私は限られた命や時間を、日本の魅力がより世界に伝わり、日本の可能性を最大化していくサポートをしたいと改めて思うようになりました。
具体的な手段はまだ見えていませんが、まずはWebデザインやマーケティング、ブランディング、グローバルの経験を積むことから始めようと思っています。
ただ私がこれまで主に携わってきたのはコーチング・キャリア領域や人材業界。
夢を叶えるまでの道のりを考えると、少し離れているように感じていました。
ベトナム4年目駐妻、新たなキャリアに挑戦
元々、夫の駐在予定期間は3年ぐらいと聞いていたので、本来であればもう帰国してもおかしくないタイミング。
ただどうやらまだ日本に帰れる目処はないらしく、少なくともあと1〜2年はいそうとのこと。
それならもう少し腰を据えて、一度諦めた海外で働く夢にチャレンジしてもいいかもしれないと思うようになりました。
また、ベトナムに来てからの3年間は、主にキャリアの方向性に悩んでいる方をコーチングやコミュニティ運営を通じてサポートしてきました。
ただ最近は、時間や場所にとらわれず働けるようになりたい方や、ビジネスをもっと伸ばしたい方など、支援させていただく方々の属性が少しずつ変わっている印象がありました。
そのため、これまで培ってきたコーチングやWebデザインスキル、マネジメント力を活かしつつ、ビジネスにおいて欠かせないブランディングやマーケティング力も身につけ、もっと人や企業の価値発揮をサポートしたいと思うようになりました。
そんな時に思い出したのが、pivotでも紹介されたベトナムで活躍している数々の日系企業のWeb制作実績のある某企業のこと。
PIZZA 4P'S
Binon Cacao
こんな素敵なWeb制作ができる会社がベトナムにもあるんだなぁ〜と前から思っていました。
たまたま夫が仕事でWeb制作会社を探しており、夫の知人が上記のWeb制作会社で働いているとのことで、以前から企業名は知っていました。
現在求人募集はしていないとのことでしたが、ダメ元でHPから直接問い合わせてみたところ、トントンと選考が進み、Webディレクター職として内定をいただきました。
Webディレクターとしてのミッションはお客様とベトナム人技術者をつなぐ架け橋になりながら、お客様の目指すゴールを叶えるクリエイティブの制作進行管理を行うこと。
またその企業はただWeb制作を行うだけではなく、ブランディングやマーケティングを用いて顧客の経営課題を解決することを大切にされています。
Webディレクターは未経験職種ではありますが、これまで培ってきたスキルや能力を活かしつつ、将来の夢に向かって自分のキャリアをさらにアップデートするためには、今の自分にとって必要な経験だと思いました。
また社長と3人のWebディレクター職以外はほぼベトナム人ということで、海外の方と一緒に働くことの大変さや難しさも相当学べそうな環境でした。(Webだけでなく英会話も勉強しないと。)
ただ、この決断に至るまでは、正直すごく悩みすぎて、病みました。笑
なぜならベトナムに来てからずっと頑張ってきた個人の活動を、一時的に手放すことになるからです。(下記、病みツイート)
今まで頑張ってきたことを手放すことは、アイデンティティロスのような感覚もあり、すごく勇気のいる決断でした。
さらにベトナム現地で働く際にはフルタイム就業&基本的には出勤となり、お手伝いさんに来てもらうことになります。
ちょうど娘が4月から小学校入学というタイミング。きっと特に最初の頃は娘の精神状態は不安定になるだろうし、4月は毎日早帰り&これからずっと毎日お弁当という生活がガラリと変わるタイミングでした。
プライベートの環境の変化もある中で、新しいキャリアにチャレンジすることはすごく不安だし、今回の決断が失敗だったらどうしようと思うこともあります。
ただたとえ想像以上に大変だったとしても、思ってたのと違う選択だったとしても、今チャレンジしなければきっと私の人生において後悔すると思い、今回の現地就職の決断に至りました。
さいごに
今回の苦渋の決断にあたり、勇気づけられた格言をご紹介します。
かの有名なYouTuber Atsueigoさんが海外のDeloitteからYouTuberになることを決断される時に参考にされたという格言です。
私にとってはベトナムで現地就職する道も、このまま個人事業主としてキャリアを築く道も、どちらも大変であることには変わりません。
ただこのままずっと住み続けられるわけではない期間限定のベトナム駐在期間にしか挑戦できない道を選ぶことが、よりユニークなキャリアや人生経験につながるだろうと判断しました。
ぜひ今いくつかの道を選ぶ岐路にいらっしゃる方は、この格言を参考にされてみてください。
そして3〜4月、VISA切り替えのため、母子だけで日本に一時帰国します!
約3週間の滞在で千葉→大阪→小豆島を大移動しながら、ベトナムでのフルタイム就業前の準備と日本での思い出作りに励む予定です。
もしタイミング的にお会いできる方がいらっしゃったらぜひ会いましょう!
今後の挑戦については引き続き各種SNSで発信する予定です。
もし応援いただける方いらっしゃいましたら、下記よりフォローいただけると嬉しいです👇
これからも応援よろしくお願いします!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?