人生の運転手になっているかどうか。誰がその道を決めるのか。バンライフから学ぶ人生の生き方~VanLife体験記 Vol.11~

こんばんは。木下雄斗です。

人生の運転手とはどういうことか。人間はみんな生まれてから自分自身の考えで選択し行動していると思いますが、振り返ってみたときに本当にそうなのかと考える必要があり、こんな問いかけをしてみたいと思います。

「生きている全ての人は、1分1秒、死に向かって進んでいる中で、その車を運転しているのは誰なのか?」そして、「自分はその車のハンドルを握れているのか?」、「誰かに運転を任せて、助手席に乗っていないか?」

誰かに決めてもらってした行動、社会の慣習があり、常識があるからできないと思っている行動などなど、自分の行動を決めるときに、「それがしたい」なのか「ひっぱられて、やらされているのか」は一度考えてみることが大切だと思います。

いつの間にか自分を我慢させているのか、もしくは、責任を取りたくなくて、人任せにしていないかを改めて考える必要があるのです。

私も、たくさんの昔のことを思い返してみると、中学生の時カンボジアでの経験や、高校での留学経験を経て、他人からの評価やノイズに惑わされずに生きていこうと決めて、自分がやりたいことに集中してきました。

でも、そのやりたいことだ!と思っていたことも、実はそうではないこともあるなーと最近思っていました。
それは、例えば社会常識だったり、ネームバリューだったり、知らない誰かの評価などなど、、、、
”それが良いと知っている”のではなく、”それが良いと信じていただけ”だったことも多くあったように思いました。

ある物事について知っていると言うより、信じていることが多いです。わたしが選んだ同志社大学も、行ったことのない親戚が、あの大学はいいよ。とか働いている会社も大手だからずっといたほうがいいよと言ってくれるのですが、そう言ったことは大体信じているだけなのです。そして信じた通りにならない時は期待を裏切られたように感じ、責める時があります。

だから、わたしも、その区別がついてない時、信じてた様にならなかった時、「そんなはずはなかった!」みたいな言葉が出ていて、それは知らない誰かに運転させてたんだと思いました。

だから、自分に運転させましょう。ワクワクする方向、幸せな方向に、自らハンドルを切りましょう。

これらは、わたしがバンライフをしているときに感じることであります。例えばネットの評価を信じて行く時、美味しそうだと自分が感じて動く時、楽しそうだからハンドルを切る時など、1つ1つの行動を人生に重ねることができると思います。

事故したとき、その運転者が自分じゃなかったら死ぬほど後悔しそうですよね(笑)だから、マツダじゃないけど、Be a Driverであり続けたいと思えました。

ではまた!

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