ぼっち・ざ・ろっくから考える『キャラクター作り』
あけましておめでとうございます。
せっかくの年末年始のお休みですが、家族はコロナ、友人も体調不良で結果的に暇を持て余した結果、前クールで話題になっていた「ぼっち・ざ・ろっく!」を一気見しました。
というわけで、主人公である後藤ひとりのキャラクターについて、思ったことをつらつらと書いてみようと思います。
主人公を考えるにあたって、よく言われることが二点あります。
それが、
ということ。
後藤ひとりが魅力的なキャラクターとして成立している背景には、この二点がきちんと踏まえられたキャラ作りになっていることが伺えます。
「○○すぎるキャラクター」を考える
キャラクターが立たない…というのは、誰しもが通る道。
そんな時、よく言われるのが「○○すぎるキャラクター」です。
ただ真面目なだけではなく、真面目すぎるキャラクター。
ただ良い人なのではなく、良い人すぎるキャラクター。
という風に考えていくと、エピソードが深まりやすいといわれています。
この点、後藤ひとりは「ネガティブで卑屈すぎるキャラクター」ということができるでしょう。
ただのネガティブ思考や卑屈なだけのキャラクターは、見ていて不快に思う人も多いと思います。
一方で、後藤ひとりのネガティブ思考・卑屈さの描写は、ちょっと度を越えています。
独りの世界に閉じこもり、言われてもいないことを先回りして想像してしまう妄想力の高さ。
その結果、彼女は奇声を発したり奇行に走ったり、時にはツチノコになったり胞子になったり…。
一連の描写はかなり力が入っていて、気づけば見ているこっちが笑ってしまうほど。
後藤ひとりが卑屈すぎるが故に、なんでもないシーンに面白みが生まれ、些細なことに葛藤が生まれます。
物語の中で彼女が関わるバンドメンバー(虹夏、リョウ、郁代)たちも、呆れつつそれを面白がり、それを受け入れているのも今時だなあと感じました。
「憧れ性」と「共通性」
一方、主人公には「憧れ性」と「共通性」を持たせろというのもよく言われます。
後藤ひとりの「憧れ性」
例えばヒーローが主人公なら、正義を貫くカッコよさ(憧れ性)を持たせる。
ですが、それだけでは視聴者は主人公に感情移入ができません。自分とは違う世界の人間に、思い入れはなかなか湧きづらいですから。
そこで、ある種の弱み、例えば高所恐怖症であるといった性格(共通性)を与えます。
視聴者は主人公と自分を重ね合わせ、物語に入り込むことができ、主人公の喜びも葛藤も一緒に体験することができるわけです。
後藤ひとりにおける「憧れ性」は、「いざという時に覚醒すること」が挙げられるでしょう。
具体的なエピソードについては、以下(ネタばれ注意)
これらの覚醒をひとりの天性の才能ということもできるかもしれませんが、個人的には努力の結果だと思っています。
(3年間、1日6時間をギターの練習に費やすのは普通できませんよね)
「練習でできないことは本番でできない」とよく言われますが、後藤ひとりにとっては膨大な練習量が彼女の土壇場の覚醒を支えているのだと思います。
後藤ひとりの「共通性」
一方で、「共通性」は最初と被りますが「卑屈さ・ネガティブさ」と言えるでしょう。
ひとりほどではないにせよ、新しいことを始めたり、知らない人と出会ったり、人前に立ったりする時には恐怖を覚える人がほとんどでしょう。
ネガティブなことも考えるでしょう。
ひとりの等身大なネガティブ思考が、視聴者を感情移入させ、ひとりを応援することにつながるのだと思います。
というわけで、キャラクターを考える上で参考になりそうな点を思うままに書き連ねてみました。
もちろん、音楽愛に溢れる映像(特にライブシーン)、OP・ED・劇中の歌など、随所にこだわりを感じるアニメです。
各話はASIAN KUNG-FU GENERATIONの曲から引用されているため、それらを聞きながらぼざろの世界に浸るのも良いでしょう。
さくっと見られて元気になれる、年始にもおすすめのアニメです。
それでは。
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