色彩心理学を考える as soon as アウトプット 4月

ここら辺で初心にかえって、色彩の勉強でもしちょおうかなってことで、私御用達の10年落ちで300円しか値下げないようなしょっぱい古本屋で「色彩心理学」って本を買ってみました。

まあ、色彩心理学ですし?そんな流行り廃りもないっしょってことで、基本的な知識を得ちゃう気満々です。

まあ、色彩心理学なので、色から受ける心理的な作用的な話はもちろんですが、私がサイコーだぜぃ!って言いながら読み進めた部分をここに書き留めておくことにします。

私に限らずみなさまそうかもしれませんが、普段生きていると、やっぱり仮説を立てちゃうじゃないですか?

かくゆう私も仮説立てまくりで生きているのですが、なかなか回収するのが難しかったりすることもあり、仮説立てっぱなし案件がいくつも存在してるんですが

たまにこう、本なんか読んでますと、すっかり忘れていた仮説の答えみたいなものが不意に登場してきたりなんかしたりすると、やっぱりか!!!サイコーだぜ!!!と、声を上げざるを得ない状況になるわけでございまして、今回もまさにまさに私の仮説を裏付ける事実がでてきたわけなんです。

というのも、絵なんか描いてますと、やっぱり上手く描けなくて、特に写実的な?見たままの絵ってゆうのが、とても難しいなーと思うわけなんですが、そんな時に、なんで上手く描けないのだろうと気になりまして、色々考えてみた結果、一つの仮説に辿り着いたわけなんです。

見たまま描くだけなのに、上手く描けない理由は、そのものの本当の形を知ってるから、その知識が邪魔してるんじゃかいかと。

本当にそのものを見たまま何か分からず、ただただ見て描くのであれば、もっと上手く描けるのではないか?と。

例えば、自転車を斜めから書くときに、見たまま書けばいいのですが、横から見た自転車の姿を知っているからこそ、見えてないけど知ってる部分を表現しようとしてしまったり、表現しないことに苦労したりするのではないかと。

海や川の水面なんかも、水というものを知ってしまっているからこそ、見たままの情報を表現することが難しくなるのではないかと。

そういう仮説を立てておったんですが、この色彩心理学の眼のメカニズムのお話でまさに、この仮説を立証する、人の習性というものがかかれておりました。

それが、知覚の恒常性というもので、眼球とカメラはよく比較されるのですが、大きな違いがこの恒常性でして、写真は見たものそのままを写しますが、眼には恒常性という、刺激対象がある程度変化しても、「明るさ、大きさ、形、色、音」などの知覚においては、同一であると分別されることが大きな違いと言われています。

知覚の恒常性とは
対象が同じであっても、見る方向や距離、照明などが異なれば、網膜に映る像もそれに合わせて変化するが、対象は比較的一定のものとして知覚される。これを知覚の恒常性と呼ぶ。

例えば、青い光の中でリンゴを見ても赤と認識するとか、見る角度が変わるとそのものが違う形になるが、同一のものと認識するみたいなこと。

この、恒常性こそが、見たものを見たままに描く場合邪魔になる存在の正体でした!!!
見つけた!やっぱ仮説は正しかったやん!と、大喜び。まさにこれです!このことが言いたかったんや!

ってゆう。いやーおもしろい機能ですよね?


って考えてたらまた一つ仮説が生まれました。
もしかして、昔から知ってる人は新たに知り合った人より若く感じる。これも、もしかして恒常性のせいなのでは!?!?

私はずっと、人を見るときにその人の歴史も重ね合わせて見るから、昔から知ってる人はより若い頃のその人を重ね合わせるから若く感じるのかな?と思ってたんです。記憶の一部なのかな?と。

でも、これも、恒常性の可能性ありますよね?10年前のその人と同じ人間だと認識する機能。実際は顔が少し変わってるはずなのに。。

ちょっと調べただけでは、この説を立証する記事が見つけられませんでしたが、また、サイコー!という記事にであうかもしれませんね。

こうやって、インプットと称して得た知識や情報をただ知識として蓄えるよりも、自分なりに考え、熟考し、新たな仮説を立てたり、自分なりの解釈を加えることが、私としては面白きことだと信じておりますので、これからもインプットにオリジナルの味付けをして、新たな仮説を立てて、この森羅万象を受け止めていきたいと思う所存です。






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