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人生とは、ままならんものである。

「人生とは、ままならんものである。」


大人になればほとんどの人がそう感じたことがあるだろう。

ままならないと痛感する状況というのは大小様々だ。

小さいものなら「久しぶりのデートの当日に会社から呼び出された。」とか、

大きいものなら「資金を貯めて念願の古着屋をオープンしたけど、コロナウイルスの影響で人が来なくてすぐに店を閉めることになった。」とか。

かく言う僕もままならんことを実感したことは何度もある。

この記事では僕の人生初ままならんを紹介しようと思う。



小学生というのは外でのびのびと遊ぶのが良しとされる。

なので幼少期からインドアだった僕も渋々ながら近所の公園に遊びに行った。


少し雨が降っていたが、僕は単純なので外に出てしまえば楽しかった。

知らない子たちに交じってサッカーをした。

できないながらも満足感があったし、たまに運よくゴールを決めたりすると名前も知らないチームメイトに褒められてとても嬉しかったのを今でも覚えている。


しかし、家に帰るとそんな楽しい気分も吹き飛ぶくらいに怒られた。

理由は買ってもらったばかりのTシャツが、もはや雑巾にメガ進化するしか道はないのでは、、、と思わざるを得ないほどズタボロになっていたからである。

間の悪いことに少し前にも真っ白の服をミートソースで駄目にしたところだったので、母の怒りはピークに達した。

あと2分説教が続けば母の血管は数本ちぎれていたに違いない。

「明日服を汚したら晩御飯抜くから。」

まるで執行猶予である。

でも僕は明日も外に行かなければならなかった。

そう、約束したのである。彼らと。「明日もサッカーをしよう!」と。


翌朝、目が覚めるとすぐにカーテンを開ける。

快晴。

まずは濡れて怒られる心配はいらないと、ガッツポーズをキメた。

家から出る寸前のところで母に見つかった。

しかし、母もまさか前日にこってり叱って次の日に遊びに行くとは思っていなかったようで面食らっていた。

後ろから聞こえる声をよそに、僕は公園へと向かった。



公園には誰もいなかった。

いくら待てども誰も来なかった。

今思えば、まあ子供なんて気分屋なので予定変更したのだろう。

僕は母を振り切ってまで来たのに誰もいないという虚しさと、今日は怒られずに済むという安堵を仲良く心に抱いた。

ひとりでしばらくブランコに乗り、ハイジごっこを満喫した僕は家に帰ることにした。


先ほどまでは虚しさと安堵が同居していた僕の心中では、既に安堵が一人暮らしを始めていた。

「家に着いたらエアコンの効いたリビングで寝転がってゲームをしよう」

そう考えていると目の前に大きな水たまりを発見した。

それを華麗によけた僕は、小学生ながらに厨二病を患っていたため、過行く車に

「ふっ、危ない子猫ちゃんだぜ、、、」と独り言ちた。

視線を水たまりから我が家へ移す。

家まで残り数m、僕は勝利を確信した。


その時である。


猛スピードで走るタクシーが大きな水たまりを駆け抜けていったのだ。

泥交じりの水でぐしゃぐしゃになる僕の服。


僕はその夜、手巻き寿司を食べる家族を横目にゲームした。

人生とは、ままならんものである。




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