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登山やクライミングは、自分自身であることをしっかり保持することが、生命保存のカギ

こんにちは。クライマーのKinnyです。

最近、心理学を勉強しており、異質ビリーフという言葉を知りました。

異質であってはならないというビリーフのことです。

登山やクライミングで、自分軸を失うと、遭難や事故のリスクが増えます。

というのも、
・どれくらいの速さで歩けるか?
・水をどれくらい飲むか?
・どれくらい担げるか?
などは、個人個人で、当然、異なるもので、それぞれに合わせた計画が必要だからです。

■ 異質ビリーフとは?
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異質ビリーフの背景には、まずは日本独自の「同じことが良いこと」という価値観や、集団の持つ「同調圧力」的な風土が関係しているように思います。
文化的に「同じ!」という枠が強いこれまでの時代は、みんなその枠に自分を合わせてきましたし、そう出来る人が世の中でうまくやれる人でした。
けれど、人間はそもそも一人一人違うものであり、感じ方もペースもさまざまです。
その中で、どうしても自分の感覚が「みんな」と違うのでは?と感じてしまった繊細な人は、その違いを「いけないもの、おかしいもの」と受け取ってしまいます。
そして、そんな自分を否定せざるを得なくなってしまいます。
ーーーーーーーーーーー 大塚あやこさんのメマガより引用

九州は、東京・大阪の都会に比べて文化的には後進的ですし、同調圧力が特に強い土地柄で、特に、男性は男らしくあらねばならぬという同調圧力、女性は男性を立てなくてはならないという同調圧力が、特段に強い儒教的な価値観が残る土地です。

そういう土地で、登山やクライミングをする、となると…リスクが特に高いです。

例えば、遭難者を多数出している阿蘇根子岳は、もろくて危険だと分かっているのにも関わらず、根強い人気があります。行って滑落し死ぬ人が絶えません。

比叡など、宮崎や屋久島の岩場は、特に、5.8、40mランナウトに燃える、っていう40年前の思想で設計されています。

ランナウトとは、ロープの出ている長さが、地面までの距離より長いということで、要するにロープで確保している意味がない、ということですが… 端的に言えば、死の危険がある、という意味です。

クライミングをしていれば、危険は避けていても、岩の構成上、ランナウトしなくてはならない場所が出てきます。そのときに本気にならないのは、生命保存の法則から、不可能ですが、だからって、わざとランナウトさせる、それが燃えるからやる、っていうのは、時代錯誤です。

もうすでに何がかっこいいか?という価値観では、5.14Rの時代です。(Rはランナウトの意味)

しかし、同調圧力で登ると、九州などは40年前の価値観のまま、5.8Rになってしまいます。新人クライマーに洗礼のように与えられます。

この低グレードでランナウトさせる習慣が、原理的にいかにビギナークライマーにとって危険か?

そこの自覚がないので、ランナウトしたルートの登りに行って落ちて死ぬクライミング初心者が絶えません。

ランナウトをわざとさせる、それがかっこいいのだ、と思ってしまうと、5.14Rにチャレンジする実力が付く前に、5.9Rで、あるいは5.10aR で、5.10bRで…、限界が来て、落ちてしまう。これが、原理的帰結です。

Rがついたままグレードを上げ続ければ、5.14を登る実力が付く前に、原理的に必然的に死が訪れることになっています。

■ 体格によってリスクが異なることに自覚がない

九州にかぎらず、日本の岩場では、男性の平均身長に合わさって、ボルトが打たれているので、Rしなくなるのが、5.11から…です。5.13なんて1m置きにボルトが打たれています。5.13登っている人のほうがよほど怖がりってことです。あるいは、よほど安全って意味です。

ここを理解せず、易しくランナウトしたルートを、登れ登れと、他者、とくにクライミングの理解がまだ浅い、初心者に薦めるのは、死ね死ね、と言っているのと原理的に同じです。

ちなみに、5.8Rを登ってよいのは、2グレード上をオンサイト出来る人です。
間違っても、5.8限界の人ではありませんが、実際は、2グレード上を登っても、クライマーがコントロールできないリスクが存在しますので、ランナウトを登るのは、賢い選択肢とはいえません。

■ 体格によってクライミングの安全性は異なる

同じ5.9であっても、背が高い人が登り、手が届く位置にボルトが打たれていれば、安全ですが、背が低い人が登り、手が届く位置にボルトがないとなると?当然、危険です。

このような体格による、安全・非安全の差が、理解されていない。

説明しても、俺はそうは思わない、で終わる人もいます。

想像力の欠如はクライミング界で深刻です。

クライミングは、そもそも危険なので、さらにわざわざ危険にする必要はないです。

ここまでクライミングの話題でしたが、登山においても、自分の体の感じ方を大事にすることが肝心です。

寒ければ、”誰に言われなくても”服を着る、のどが渇けば言われなくても水を飲む、お腹が空けば、誰に言われなくても食べる、雨が降れば合羽を着る、こういう具体的なアクションを取れなくなっている状態の人… 雨が降っていて、雨合羽も持っているのに着ない…それで低体温症で死んでしまった…そういう人が遭難者に多いです。

みんながいくから、皆のやる通りに行動する…これは、山では、まったく安全性と合理的な因果関係がない行動、です。

みんなと同じで安全なのは、下界だけ。

山では、自分の感性に従い、自分の命は自分で守りましょう。一人一個しかありませんから。

逆に言えば、それを学びにいく、自分を取り戻しに行くのが山なのですから!

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