中国留学に至るまでの回想 その3

2005-04-21 16:00:15

その年の秋に台湾に行った。
年明けに母のお父さん、つまり祖父が亡くなったんやけど、
私お葬式に台湾に帰れなかったんだ。
だからちょっと遅れたけど、その法要に。

久しぶりに叔母(母の妹)、叔父(母の弟)にも会った。

叔母は母から私がタイに留学したいってことを聞いてたらしく、
その話題を振ってきた。
「タイに何の勉強しに行くの?」って。
私は「英語。」って答えた。

叔母 「英語を勉強するのに、何でタイなの?
   英語が勉強したくて、ちゃんとした発音を身に付けたいなら
   イギリスやアメリカのほうがいいんじゃないの?」

   「タイならではの舞踊、芸術なんかの勉強するんだったら、
   留学先としてタイを選ぶことに関して、文句は言わないけど、
   あなたがタイを留学先に選んだ動機がいまいち納得できない。」

この叔母の発言、かなりショックやった。

「タイで何の勉強するの?」って質問は、
既に色んな人から浴びせられてた。
「英語。」って私は答えてたけど、
答えるたびにちょっとずつ自分の中で、
「英語…やんな…?」って気持ちが大きくなっていってた。
実は。

好きなタイで英語が勉強できるっていう、
一石二鳥なプランやと思ってたわけやけど、
果たして、ほんとに英語に興味があったのか?
答えは「NO」

タイに旅行に行ってからタイにはまってしまって、
「タイいいわ~♪」って思ってた。
それがきっかけでタイに留学したいって思い始めたけど、
英語を勉強したいわけでもなく、
たまたまそういうパンフレットを見つけただけで、
タイの文化を勉強したいのかって言われたら、
そうでもなかった。

タイに行きたいってずっと思ってたけど、
それはタイ旅行の延長線上の気分だっただけで、
英語にもタイの文化にも興味なくて、
そういった私の中の矛盾、
動機の不純性、短絡的思考をズバッと指摘されてしまって、
かなり凹んだ。

叔母 「あなたは大学で経済、貿易、経営を勉強してるんでしょ?
   どうしてその分野をもっと深めないの?」

私 「興味ない」

叔母 「興味がないのはまだ勉強が不十分で知識が足りないから。
   最初は誰だって知識はないし、
   興味も湧かないし、
   勉強するのがしんどいと思う。
   だけど、勉強して『あぁ、こういうことだったのか』っていうことが積み重なってくると、
   その分野がどんどん面白くなってくる。」

   「一流のバイオリニストも、小さい頃は練習が嫌で嫌で仕方ない。
    だけどそれを積み重ねる内に、
    徐々にバイオリンというものが自分に中に根差してくる。
    気付いた頃にはバイオリンが自分の全てになってる。
    これは例え話だけど、
    あなたもそれぐらい、何か一つの分野を深めなさい。」

   「それから、大学を休学して留学するって言ってるみたいだけど、
   ちゃんと卒業してからにしなさい。
   留学して、何か興味あるものを見つけて、
   この国でもっと勉強したいって思った時に、
   日本でまだ遣り残したことがあったら、
   すぐ飛び込めないじゃない。
   何をするにしても、
   中途半端な状態じゃなくて、
   身の周りを綺麗にしておいたほうが、
   ちゃんと地に足をつけることができると思う。」
  
  「叔父さん、今上海へ仕事しに行ってるから、
   この冬に私上海に遊びに行くんだけど、あなたも一緒に行ってみない?
   中国は今、本当にすごい。
   成長のスピードが違う。
   街も人も活気があって、
   中国のことを勉強することは、
   あなたにとって、とてもいい刺激になると思う。」
   
これはその時の会話やねんけど、
ほんま全部覚えてる。
叔母の言葉は私にとっては衝撃的かつ、新鮮な言葉やった。

台湾から帰ってきて、
叔母の言葉を反芻しながら、色んなこと考えてた。

大学でやってる勉強…、
嫌いじゃないし、興味あることはあるんやけど、
あまり面白くなかった。
叔母の指摘通り、確かに勉強不足だったと思う。
知識を増やしたら、
テレビのニュースや社会情勢もちょっとは面白く感じるのかも。

何か一つの分野を極める…、私が興味ある分野って?
アジア。

休学しようと思った理由…、
就活の際の新卒、既卒の違いから。
言ってみれば、損得感情。
何か一つのことを見つけて、
それを突き詰めるのに1年や2年じゃ足りへんと思う。
休学できる期間は限りがある。
確かに叔母の言うように、
身軽にして行ったほうが、
地に足が着く。

中国。
行ったことないし中国語も喋れへん。
でも母が台湾出身ってこともあって、
小さい頃から、中国語には触れてきた。
母方の親戚はみんな日本語で喋ってくれたけど、
母を含めコミュニケーションのすれ違いって、結構あった。
私が中国語喋れたら、ちょっとは違ったのかも。

上海かぁ。
どんなとこなんやろ。
行ってみようかな。。。

前回も述べたけど、
私は一度こうと決めたら、それしか見えなくなる。
それに向かって進んでる時は、やる気満々、
脇目も振らずに猪突猛進。
だけど、自分の矛盾に気付いたりして
いったん自分自身に疑問を持ち始めると、
ガラガラと音を立てて崩れていく。
「何でやろ、何でこう思ったんやろ、
分からへん、どうしたらいいか分からへん」ってなる。
すごく単純で、柔軟性がなくて、頭の回転遅いと自分でも思う。


叔母の言葉があまりに衝撃的で、
また単純にそれを受け入れてしまったけど、
このことは、改めて自分を見つめ直す、
いいきっかけになったと思う。

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