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ケセラセラ

11/3 曇り

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一昨日、精神科に行ってストラテラを処方してもらった。仕事において、注意が散漫になったり、思考が散らばったりといった自身のADHD的な側面が足を引っ張るようになったからだ。

昔からそういう気質があるような気はしていたが、この宿痾にキッパリと対処法を見出すいいタイミングだと思った。
それに、早めにメンタルクリニックで初診を受けておかないと、ピンチに陥った時にすぐに医療を頼ることができない。これは大学院時代の反省だ。

大学院の中退を決意したとき、身体が異常に熱くなったり、大学の近くにいるだけで足が震えたり、睡眠が充分にとれなかったり、シンプルに精神状態が終わっていた。
そこで専門家の手を借りようと思ったのだが、病院を探し始めてから初診を受けるまで、2週間程度かかってしまった。

やっとこさ診断を受け、睡眠薬を処方してもらえた。その後のカウンセリングは関西学院大学の心理科学実践センターで受けるように伝えられ、紹介状を書いてもらった。
だが、いざ電話してみたら、関学に学籍を置いていた私は心理科学実践センターでカウンセリングを受けられない旨を伝えられた。そういう規則らしかった。

結局他の医療施設をまた1から探すのがダルくなり、睡眠薬と画像生成AIでゲヘゲヘすることで、メンタルヘルスを今の水準まで戻した。
普通に人が死にかねない構造の欠陥だと感じた。

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中退の際の心療内科と、最近行った精神科の両方で伝えられたのは、「大人の発達障害」というキーワードだった。
心理学を学んでいた身分で白状するのは情けないが、こういうスティグマがベッタリと張り付くことに、少しの恐れがあった。
しかし、「悪いのは私じゃなくて、私の脳みそだということをハッキリさせておくか」と思い立ち、精神科の受診を決意した。

忘れ物が多い、何かに夢中になって他のことが手につかなくなる、小中学校の授業中はずっと妄想ばかりしていた。医師から尋ねられた質問には、すべて当てはまっていた。
カウンセリングと血液検査を済まして、処方箋を薬局に渡しに行った。
そこで受け取ったのがストラテラだった。シナプス間のノルアドレナリンとドパミンを増加させるADHD向けのお薬だ。

真っ青なカプセル型のこの薬を見たとき、マトリックスの赤い薬と青い薬を想起した。
赤い薬を飲めば、コンピューターシミュレーションの支配から逃れて、真実の現実世界へと戻ることができる。
青い薬を飲めば冒険は終わり、苦痛のない仮想現実で暮らしを続けることができる。
その色と反するが、ストラテラは赤い薬に似ているなと感じた。
ADHDというスティグマを引き受ける実感が湧いたのは、この青い薬を飲んだときだった。

正直、驚いた。
プログラミングをしているとき、普段より明らかに段取りが上手くいき、ミスの見逃しも圧倒的に少なかった。
自転車を運転すれば、これまでより視野が2-3割ほど広い。
あと何故か知らないが、脳みそがずっと震えているような感覚が続いた。脳がそこに「ある」ことの主張が、一日中激しかった。

「自分の人生が二、三の安っぽい生化学的トリックを中心にして動く」というイーガンの文章の通りだと思った。
色々噂を聞いて心構えができていたつもりでいたが、2週間分で千数百円の薬が、ここまで主観的な感覚を変えるとは、驚きだった。

ストラテラはコンサータのような即効性はなく、2週間ほどかけてドパミン・ノルアドレナリンの量を健常なレベルへと引き上げていく薬だ。
飲み始めてから2日ほどで色々と新しい発見があるので、しばらくは日記のネタには困らないだろう。
2週間後、これまでの重りを外した自分がどこまでデキる男になれるのかが楽しみだ。

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今日は東京都現代美術館に行ってきた。
現代アートは解説なしに鑑賞するのが難しいが、各作品ごとに解説文が置かれているなど、展示が非常に丁寧な美術館だった。
横尾忠則の特別展もやっていたので、初めて彼の作品を間近で見た。
そこで水曜日のダウンタウンのOPや、いくつかの広告が横尾忠則のオマージュであることを知った。

元ネタを知らないだけで、誰かのスタイルをオマージュした作品はこの世の中に溢れているのだろう。
横尾忠則の作品自体も、アンディ・ウォーホルや戦後の劇場ポスター、有名な宗教画をオマージュしたものが見受けられる。

パクリパクられ、芸術は続いていく。

勉強用に本を買います。