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APD/LiD、診断のその先

2023年6月時点での、医療面でのAPD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難症)の状況


この記事はあくまでAPD/LiDの一当事者としての意見であり、所属する組織、グループの意見を代表するものではありません。

最近の状況
ここ数年での、日本におけるAPD/LiDの状況は急速に変化してきてきました
2018年以前にはあくまで限られた聴覚を専門とする研究者の興味の対象でしかなかったものが、それ以降は社会情勢の変化も相まってその認知度の幅も様々な広がりを見せています。

医学的な診断が出る環境も徐々にですが整いつつあり、今年の聴覚医学会やAMED研究班の研究報告によって、「診断」のハードルはさらに下がる事が期待されます。

ですが、ある意味1つの課題をクリアする事で次の課題が存在感を増してきているように感じます。
その点について、今日はちょっと書いてみようかなと。
大きく今回は二つの点を取り上げます。

「診断」の後

今現在、医学的にAPD/LiDかどうかの判断を専門家に仰ぐことは数年前よりは格段にハードルがさがりました
「各地方に一か所」だった医療機関が「各県に一か所」に近づきつつあります。
もちろん、100万人単位のこの症状を持つ方の数に対しては大幅に不足している事は言うまでもなく、
初診まで半年待ち、診断まで一年以上かかる状態が珍しくもない事は当事者からしても大きな問題です。

ですが、「待つことさえできれば」なんとかなる状況が様々な医療者の方の尽力や当事者の協力もあって形になり始めるにつれて
「診断の後」にどうするかという問題が大きな壁になりつつあると感じています。

公的支援は?学校や職場にどう説明する?
当事者は先ず何を学んで、何を周囲に説明して、何を理解してもらうことを優先するべき?
自分も何か変わらなければいけないの?
これらの情報は、多くの場合自身を「健常者」あるいは少なくとも「健聴」だと思って人生を送ってきた人にとっては全く予備知識がない、段取りの組み方の分からない取り組みになります。

「障害」がある人にはどんな権利があり、障害があろうとなかろうとその人の尊厳を守るために今の日本の社会にどんな仕組みが用意されているのか
自分の自治体は果たして聴覚障害者に対してどう支援しているのか、どんな団体や活用できる資源があるのか

聴覚特別支援学校や難聴学級を経験していれば、この辺りは当然どこかで学びますが
通常学級で育つと「もし自分が障害者になったら」という事は基本的に学ばないようです、この辺は日本らしいといえば日本らしいですね
自己権利擁護(セルフアドボカシー)、合理的配慮、軽中度難聴児に対する補聴器購入費等助成事業等はAPD/LiDの方も活用できる制度や権利です

それでも「知らない」制度は窓口で交渉できませんし、「知らない」権利は自分の盾になりません
そしてこれらについて丁寧に伝えて教育するのは、少なくとも医療機関の仕事の領域からは逸脱しています(口頭で触れて頂く先生は多いけど)

じゃあ誰がそのような人達に自分の尊厳を守るために教育するのか、APD/LiDだけに限らず、軽中度難聴や中途難聴、オーディトリーニューロパシーや隠れ難聴と言った「見えづらい」聴覚障害etc
当事者がコミュニティで共助によって伝えるか、親や当人が独学で資料を集めて学ぶかしかないのが現実だと思います。

もちろん、個別でみれば地域で支援するセーフティネットがある地域もありますが
日本全体として見れば、「診断の後」に何もない地域が多いのではないでしょうか。
私の主催している交流会などでも伝えられる範囲では伝えていますが、障害を後天的に自覚したり、後天的に発症したり、成人してから自覚した場合
社会での位置づけが曖昧な症状や障害は極めて社会的に不利なままです。

認知が広まるのはいいけれど

最近は、APD/LiDの認知が医療者の間でも徐々に広まるにつれ
心療内科や精神科を受診する方がかかりつけ医に相談したりする事も増えてきたようです。
もちろん、そのような診療科の先生方の中にもAPD/LiDの論文や文献に通じて関心を持って下さっている先生方が少数ながらおられる事は存じていますし、それはとても有難い事です。

ですが、実際に当事者の方のお話を現時点で聞いている限りは
多くの場合に耳鼻科と連携して「まずは難聴の可能性があるかも」としっかり調べて頂いた経験がある方が殆どおられません
心理的な要因や神経発達症を同時に持っている方が少なくない事は事実ですが、それらと難聴は当然全く違うシステムで別個に生じ得るもので、それぞれに違う対応が求められる事はあります。

実際にAPD/LiDを疑って大学病院等にかかった結果として、耳鼻科領域では耳硬化症や内耳の水腫、一側性難聴や軽度難聴未満の聴力低下が見つかる方が少なくありません
オーディトリーニューロパシーや隠れ難聴の方もおられます。
また画像検査の結果、脳腫瘍やその他脳に関係する部位の問題(動脈瘤とか)が見つかる方も毎年おられます。
少なくとも耳鼻科でAPD/LiDを診て下さっている先生方は皆様その辺をご存知ですので、それらの可能性も含めて調べておられます。

ですが、仮に精神科や心療内科の口頭の問診だけで「APDかもね」と言われて当人が納得してしまう場合
それらの可能性がきちんと考慮されていない可能性が高いです
そしてそれらの症状の中には手術や治療による改善の可能性があるもの
早期発見で悪化が防げるものが「あります」

これらが見逃されるとしてたら、それは当事者にとって大きなマイナスになり得ます。
私自身も当事者として、「APD/LiDは聞こえの特性のようなものだ」とは思っていますが、それが治るなら治るに越した事はないのが正直な気持ちです。
ましてや悪化しないに越した事はありません。

この辺が、十分共有されないままに医療の面で認知が広まるのは、メリットとデメリットのバランスが悪いな、と思っているのが正直な気持ちです。

ただ、これを当事者が声を上げてどうにかできるかというと正直かなり難しいようで
医療の世界での科を跨いでの認識や情報の共有のハードルの高さが正直あまりピンとは来ていませんが、何人かの先生に相談したところ皆さん一様にかなり難しい表情をなさっていたので
「あぁ、それほど難しいものなんだな」と察するしかないのですが。

結びに

今現在、日本でAPD/LiDに関心を持ち、それぞれの専門領域において取り組んで下さっている様々な専門家の先生方は皆様本当に素晴らしい方々です。
全ての方にお会いした事があるわけではありませんが、一部直接面識がある先生方も皆様が当事者の事を心から案じておられ、自分ができる事を十二分に行って下さっています。

それがやっと実を結び始めたのがこの数年ですが
荒野に花が咲きはじめたにもかかわらず、落ちた種が育つ土地がいまだにないのが日本におけるAPD/LiDの状況に似ているかもしれません。
必要なものは多様性を認める社会なのか、寛容性なのか、多職種連携なのか、「グレーゾーン」を認める社会なのか
恐らくもっと根っこの部分で「他の人の幸福に関心を持つ」事が薄れてしまった今の社会がそもそもの問題のような気もしますが。

APD/LiDの「今」の問題として、診断の「後」、そして「どう広まるか」に当事者がどう声を上げて訴えるのかを考えないといけないなあと「個人的に」感じています。

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