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阿部智里の八咫烏シリーズに触れて6<『望月の烏』まで読了>



烏成分が足りない



アニメ『烏は主を選ばない』も終わってしまって、なんとなく烏ロス状態に陥っている。
緑羽の文庫本が発行されるなど、ロスにならないようタイミングを計らいながら烏が露出されているが、私は早く続きが読みたい。。。

昔からのファンの人たちは毎回根気よく新刊が出るのを待ち続けている。いわんや、にわかファンの私などその末席でおとなしく待ってしかるべき存在なのに、気持ちは何となく愚痴めいてしまう。
そんな時こそ、じっくりこのシリーズを読み直すに限る。
何回も読んでると流れにこだわらずついランダム読みになってしまう。
順不同でその時の気分で、どれを読むかセレクトしている。

ランダム読みながら
その時々思いついたこと記録していく


●鶴が音って話し方や雰囲気が茶の花に似てる。将来茶の花のようなおばあちゃんになりそう

●もし路近が紫苑の宮と翠寛と帯同していたら、南家傍流の蛍と紫苑の宮が路近の手引きでどこかで会っていてもおかしくない

●澄生が西家を出奔する前に、西家当主顕彦に挨拶をした。その時、最後の最後に当主は澄生のことを「貴方」と呼んだ。当主が敬語を使う相手は宗家しかいない。やはり紫苑の宮?

●山内に月が見えるなら、星も見えるはず。山内から見える宇宙ってどんな存在なんだろう

●澄生は本気で人間界の政治システムを褒めているのだろうか? 壮大な嫌みではなく?

●雪哉が怒りや悲しみ、喪失感、苦しさを味わうときはいつも雨が降っている。暗い空気を染みこませた墨汁のような雨が

●東家は風見鶏だったのに、いくら南家の協力と後押しがあったとは言え、高子をトカゲのしっぽに仕立て上げ、奈月彦暗殺まで計画・実行するとは!

●『楽園の烏』の冒頭で「よぉ、生きているか?」と声を掛けて部屋に入ってきたのは本当に朔王?

●『空棺の烏』でケガをした明留を見舞う雪哉。明留の口に無理矢理押し込んだ金柑は若宮から預かった見舞い品だろうに。明留に教えてやってくれよ、雪哉。明留はきっと喜んだよ

●翠寛に関わることになると路近はルンルンスキップでやってくる。翠寛に燭台で殴られても怒らない。翠寛は全否定だろうが路近は翠寛が好きでたまらない

●真の金烏はどんな悪党でもどんなポンコツ八咫烏でも慈愛を持つことしかできないはずなのに、面と向かって私はあなたが嫌いだと言われたあせびさん。「本当に、可哀想に」

●澄生は馬の人権じゃない、馬権? の存在に対し問題意識を持っている。でも本人は毎朝飛車乗って朝廷に通って来る。そこに自己矛盾はないのかー

●藤波の心を本当に壊したのは早蕨だと思う。医術の心得がある早蕨に洗脳されて、奈月彦暗殺の最後の切り札として利用されたのだと思う。その後、自死したのも口封じのため頭にそうプログラムされていたのかも。
藤波さえもトカゲの尻尾にされていた。彼女の人生に思いを巡らせると、どこでボタンをかけ間違えたのかと思わずにいられない

●雪哉が留学を終えたら相談したいことがあると言っていた奈月彦。紫苑の宮を暗殺の魔の手から逃がすため留学させたかったのでは? その相談だった気がする。ちょうど紫苑の宮ぐらいの年齢で10年ぐらい奈月彦も留学していた

●2部の阿部先生は、ジェンダーやフェミニズムをかなり意識してストーリーに組み込んできている。ということは、奈月彦が新たな山内を作った後の君主は当然紫苑の宮となるはず。初の女性金烏代だ。
そこにしょせん世襲が、という批判を受けないためにも、『望月の烏』で紫苑の宮を「澄生」として、実力で朝廷にやってきた優秀な人物であるという設定を盛り込んだのか

●13~4歳の時、若宮にピーピーと鳴いたり、馬鹿かあんたー!とよく叫んでた雪哉。その頃と同じ年齢の凪彦に、自分の過去を棚に上げ、まぁー、冷たいことこの上ない


などなど。とりとめない思いを独り言のように頭で巡らせながら読んでいると、だんだん気持ちも立て直されて前向きになってくる。
とは、決してならない。早く続きが読みたいよ~

人間界での共存は難しい?



最初のノートで奈月彦が復活したら、新たな異次元に山内を再生させるか、奈月彦自身が山内になるか、と2つのパターンを妄想した。

この妄想以外に人間界に八咫烏を逃がし、溶け込ませて人間として生きていくという方法もあるのだが、そこは私的にかなりひっかかる。

まず卵で生まれるから溶け込みながら生きていくことは明らかに難しい。子孫を残すためには子作りは必須だし。
その上、人間界で生きていくってことはミュータントになるということ。
正確には、八咫烏は人間ではないし、突然変異や遺伝子操作で生まれたわけではないからミュータントとは言えないかもしれないが、人間界では烏になれる人間という存在そのものがミュータント的扱いになる。

よしんばバレずに生きていくってことは、烏である誇りと形態を捨てなくてはならない。これは八咫烏を捨てると同義。そんな再生はあり得ない。
まだ浜木綿の言うようにただの烏として人間界で生きていく方が、烏としての矜恃を感じる。

天狗は人間界に溶け込んでいそうだけど。
生まれた天狗の赤ちゃんは鼻がでかく赤くないのだろうか?とちょっと気になってしまう。

異次元ファンタジー小説に、そこまでの厳格な整合性を求めるのがそもそも野暮なことと分かってはいるが、あれやこれやパズルを組み立てるように読むのが楽しいから仕方ない。

治真の忠誠とは?


前回雪哉の忠誠はただ「待つこと」と書いた。
治真の忠誠は何だろうと気になる。

治真は雪斎のやることは全て受け入れる。たとえそれが人の道を外れていても受け入れる。
「受容」が治真の忠誠なような気がする。そこに治真個人の哲学はない。

二人の関わり方はある意味長束と路近の関係と似ている。治真は長束にとっての路近だ。違うのは長束は路近のことを怖がっていたが、雪哉は治真の忠誠を冷静に受け入れている。

治真はきっと雪斎が浜木綿や紫苑の宮を陰ながら支援しているのを知っている。そして治真がそのことを知っていることを雪哉もきっと知っている。だが、お互い口に出さず知らぬこととしているのが雪斎と治真の信頼の形だと思う。

待ち遠しい


次刊は来年春ぐらいかな? 多分その後、2冊ぐらい発刊されそうだから、完結するのにはまだ早くて3年かかるのか。。。
早く完結して欲しい。完結したら寂しくなるけど、通しでゆっくり読み直したい。

この先の物語には、私の妄想や想像を遙かに超えた着地点があるだろう。
どんな仕掛けが待っているのか、楽しみでしかたがない。

蛇足


私はほぼブログとかやったことがない。10年以上前、海外ミュージシャンのコンサートチケットが余ってしまって、周りの人たちも誰も欲しがらず、仕方なく欲しい人に定価でお譲りするために無理くりブログ開設して声がけをしたことがある。
期間も2週間ぐらいだったと記憶している。それが唯一のブログ経験だった。
今は譲渡も難しくなったが、昔はチケットさえ入手できれば会場に入れたものだ。

ちなみに要件だけを羅列して、アーティストの説明も簡単なブログだった上、うまくヒットさせる方法も知らない私がチケットを捌けるはずもなくそのまま誰の手にも渡らなかった。。。最後はやけっぱちでタダで差し上げます! と追記で書き込んだのに、誰も欲しがらなかった。。。
というより、誰の目にも止まらなかった。そんな悲しい思い出しかブログにはない。

今回勇気を出して色々書いてみた。記録になればいいやぐらいのつもりだったので、特にビュー数やスキの数をこだわっていなかった。
が! が! ですよ。ビュー数が増えるとなんか嬉しいと思えるようになり、スキがもらえるともっと嬉しいという気持ちが湧いてきた。

これが承認欲求というものか。普段無理やり押し隠しているので、こんなにあからさまにひょこり出てくる自我に本人が一番驚いている。
前回の反省を込めて、せめてXと連動させようとそこは頑張ったのも、目にとまるきっかけになったのかもしれない。

そして不思議なことに、もう記録もいいか〜とちらりと思うと何故かスキが押される。
え! まだこの駄文を面白いと思ってくれる人がいるんだ!、と思わされる。当然また書くモチベーションになってくる。
この現象ってnoteあるあるなんですかね?
よく理解していないので分からないが、とても嬉しい現象だ。

こんな拙い上に、独りよがりの妄想、戯言を読んでくださる皆さま、ありがとうございます。
(だからと言ってスキを強要しているわけじゃないですからね! 純粋にお礼を伝えたくて)


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