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昭和のgifted - 42 忘れることが苦手

前回のお話しはこちら

こないだこんなことがあってね、

と話し始めてしばらくたったときに、ふいに聞いてくれてた人が「いやいやそんな詳細に覚えてるの?」と尋ねられて、恐らく私の記憶の中には確かにあるんだけどそんなにディテールって覚えてないものなの?って不思議に思ったことをつらつらと。

私は座学的なお勉強は苦手。学ぶべき理由がそこにないとなかなか頭に入ってこない。

一方で、2人きりで話していたりする場合は集中しているせいか「あの時こういってたもんね」はかなりの精度で覚えている。

私が母とまだ交流があった頃、「編み物送ってくれるならセーターじゃなくてカーディガンがいいわ。歳とると被って着る服しんどい。」と言われたのでそれからはカーディガンを作って毎年送っていた。

そしたら物を受け取った母から電話がかかってきて「めちゃくちゃ可愛い!ママの好きな色〜!なんでカーディガン欲しいってわかったの〜!」って言われた。

いや、カーディガン欲しいって言ってたじゃん。
好きな色って、基本的にパステル系の淡い色合いとか複雑な配信好きじゃん。自分はこれが好きってめちゃくちゃ言ってたじゃん。

母に作ったカーディガン
母に作ったカーディガン
母に作ったカーディガン

なんでだ。自分で言ったことも忘れてるのか。

後々聞いたらテレビ見て「美味しそう〜!食べたいわー!」って言ってたものを父が覚えてきて買ってきたときも「これ食べたいと思ってたんだけど、なんでわかったのー!」って言って喧嘩したそうだ。

自己中すげぇ。父可哀想。って思った。

このくらい脳内お花畑で自分で言ったことも覚えてない母のことを30歳過ぎたころにようやく「こういう人を天真爛漫」って言うんだろうな、幸せな人だな。と思うようになった。

私が卑屈になったのは母のせいかもしれないが、私がまだ死んでいないのもこれくらい自己中でいて良いんだなって学習をさせてくれた母のお陰かもしれない。

友達と飲みに行って、その先で初めましての人と話すきっかけができたとき、一緒にいる友達は私のことを「いろいろすごいの!だからめちゃくちゃ大好きな友達!」と紹介してくれる。

どんなところが凄いの?って聞かれたらときに友達がしてくれる他己紹介に私は耳を塞ぎたくなることがある。

だいぶ端折ったら間違ってないかもだけど、ディテールが違う…それはだいぶ誤解を招きかねない説明だ…と。

引っかかる度に「違うよー!」って言いながら補足をするけれど、補足を咀嚼できるレベルの人でないと違わなくない?ってなってしまうことが多くて勝手に高評価に変換されるのがかなり辛い。

まぁでも彼、彼女たちのお陰で「なんか凄い人」と認識されて、名実共に私もなんか凄くなったんだと思うからよしとしないとだ。言われたいのに言われない人もいるんだから。

「あの時こう言ってたじゃん」

は諸刃の剣だ。時に人を喜ばせるが時に人を追い込んでしまう。自分にとっても諸刃の剣で、些細なことでも思い出して楽しい気持ちになれる分、嫌なことがあると芋蔓式に嫌な記憶が引き摺り出される。

いつまでも昔のことを掘り返すみたいに言われることもあるけど、忘れられないんだから仕方ないじゃん。
しかも私の記憶は全部線で繋がっていて、因果関係を想像することも含めて残っているから似たようなことが起こる度にそれらを面で捉えてしまう。

私が「いいこと思いついたー!」ってなるのもおそらく記憶の片隅にアイデアのかけらみたいなものがたくさん詰まっていて、何か新しいかけらに出会ったときにそれまでに存在していたかけらがくっついてアウトプットされるんだろう。

昔「企画の仕事はやりすぎるとネタが枯渇するからある程度やったらその後は昔のアイデアをアレンジするしかなくなるよ」と言われたことがあったが、私の場合は一応未だに枯渇してない。

その話を聞いたときも「アイデアなんて無限に湧くだろ」と思っていたけれど、それは私が変わってるからだけの話だったようだ。

仕事に使える能力だからメリットにはなるけど、静かに暮らすには忘れられないということがデメリットになることもある。

嫌な事は忘れたい。

気持ちの切り替えが上手くないのはこういう性質のせいなんだろうな。

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