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昭和のgifted - 41 「自分が正しい」の守り方

前回のお話しはこちら

ついに41話目ですよ。びっくりしちゃうね!

私の独創性のことの続き(まだあるんかい)を振り返りたい気持ちもしつつ、壊滅的にお馬鹿な人たちの処し方について考えたい。

人の話を聞かない人。
聞いてるふりして理解しようとしない人。

はちゃめちゃに苦手である。

いや、私もすぐ人に噛み付く癖はあるが私が噛み付く場合は私なりにロジックがある場合だ。
ロジックが成り立っていない状態でおいそれと人に噛み付くことなんてしないし、なぜ反論されているのかの理由が知りたくて質問責めにすることもある。

ただ知りたいからなんだけど、人によっては自己防衛で適当なことを言ってるとか自分の間違いに気づかないようにしてる場合なんかは追い込まれているように感じるらしく、逆ギレされることも多々ある。

そうして最近ようやっと相手にも守るべき「自分の正しさ」があって、それが私が理解できる範疇の「正しさ」でなかったのであれば相容れないだけのことだと思えるようになった。

私の感覚では思いやりを持って接すれば人と人は折り合いをつけることができると信じている。
なのでできる限り対話を諦めたくない。

付け加えて思考がディープダイブするタイプの私は、常に精神と時の部屋に住んでいる状態だからいろいろと急いでしまうようだ。

時間が解決してくれる

人それぞれ思考に割ける時間の流れは違っているにも関わらず、それを理解はできていても自分に合わせてもらいたいと切に願ってきた。

でも、私のペースについてきてくれる人は少ない。そんなことはわかっているのに相手のペースの「時間が解決する」をただ待つしかできないことを苦痛に感じてしまう。

待ってる間にさらにディープダイブするから相手が折り合いをつけれるタイミングになったとき、私は何回も死んで人生今何周目?みたいな状態になってしまうからだ。

昨日は好きと言っていたのに、今日は嫌いと言っていて、明日は愛してるという。

そんな激しい移り変わりに共感できる人なんて稀だろう。

でも私がこれを書き残すことで理解はできなくともそういう人が居る、ということをいつか誰かが知ってくれるかもしれない。

そうした時にもしも歩み寄りを見せてくれるのであれば「君」には苦痛かもしれないけれど、まだ考えきれていないとか、考える余裕がないとか、その時々の「君」の状況を教えてくれるだけでも私は随分楽になれる。

そして私のことを考えてくれていると実感できれば無理やり責め立てることなんてできなくなる。

いつも、常に、「私自身の負担」が他の人には想像できないものだったとしても察知能力のある方が折れてあげなければならない境遇に心底疲れているんだ。

赤信号でもない、青信号でもない、黄信号の状態が私はしんどい。

赤信号だってわかってれば諦めもつく。でも黄信号って、次は青信号になるって疑う余地がないまま待ち続けないといけないから、信号が変わらない限り辛いんだ。

赤→黄→青。そして赤。

当たり前に変わりゆく環境の中で、永遠に変わらないかもしれないと思いながら街角に佇んで辛抱強く信号が変わるのを待っている。

変化を求める時、急いでいる時、信号待ちで苛々するのはどんな人にもあることじゃない?

のんびりしてられる人たちはそんなに苛々しなくてよくない?と思うかもしれないけれど、大事な面接とか商談があるんだと想像してもらえたら少しは優しい気持ちで歩み寄れるかもしれない。

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