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昭和のgifted - 30 恋とは愛とは

前回のお話しはこちら

「恋」とは下心、「愛」とは真心。

なんて言われていたり

「恋はいつしか愛へ変わる」

とか言われていたり、いろんな人にいろんな尺度で語られる恋や愛。

恋愛ソングに自分を重ね、切ない思いに身を寄せて泣いたり笑ったり感情が揺さぶられるのなんて日常茶飯事で、そうした感情の揺れを恐れる人は苦手と思う、そんなもの。

自分がギフテッドかどうかを気にする以前に「和歌の時代は恋焦がれすぎて死ぬ死ぬいう輩が多かったのに、最近だと会いたくても震える程度。他に没頭できることが増えた結果、誰かに恋する気持ちの尺度が薄くなっちゃってるのかもね」なんて言っていた。

平安の時代なんて蹴鞠か歌詠くらいしかやることなくて、和歌送り合うのも数日かかるし、恋をしたらそのことくらいしか考えることなくてさ、昭和〜平成初期の時代くらいになってもやっぱりやりとりするには固定電話しかなくて「本人以外が出たらどうしよう…」なんて考えちゃったりして、待ち合わせもミスったら駅の掲示板に書き込むくらいしかなくて、会いたいのに会えなくて恋に焦がれる時間がそれなりに用意されていたような気がする。

でも最近の子たちって他にも没頭できることいくらでもあるし、自分のペースを保ちたかったら推し活とかで置き換えれたりしちゃうし、声が聞きたくても比較的すぐ聞けちゃうし、恋に焦がれても死んでる場合じゃなくなっちゃって、なんかそれって本当に恋愛してんのかな?私とは価値観合わないなーって思ってた。

私はやっぱり恋をする、愛するってもっと深い感情で、気軽にお試しで付き合ってみる?とかはできなくて、人として信頼できるようになって少しずつ距離が近づいて、一緒にいると楽しくて、だからもっと一緒にいたくなって、自分のことをちゃんと見ていてもらいたくて、でもそんなこと言ったら重いと思われちゃいそうで…だから不安になって…だから離れていっちゃうって感じたら哀しくて、いや実際重いんだろうよ?メンヘラだよ?でも仕方ないじゃん、フリーランスで時間の余裕もめちゃくちゃあるから考えちゃうんだもん…

と、みたいな月並みな恋愛論に自分の気持ちを照らし合わせて酔っていた頃もあったんだが、重いとかメンヘラとかじゃなくてこれギフテッドだからでは?と思うようになった。そもそも理解されたいんだもん。重いに決まってる。

平成の時代に比べたら感情の重きが薄くなってる感自体は否めないけど、ちゃんと恋して愛に変わっていってお互いがお互いを必要としているカップルや夫婦ってそれなりにちゃんといる。

恋をしたら好きになったもらいたくて、嫌われるのが怖くて、お別れするときは辛すぎて何日も泣いちゃうくらいで、でも本当に愛してたら相手が幸せだったらそれでいいって思えるはず。

わりとこれが一般論化されてるけど、ギフテッドとそれに近しい感覚を持つ人たちは「恋に落ちたと思った瞬間から愛してる」ような気がした。

だとしたらなんかこれまで信じようと思っていた恋愛論や幸福論がひっくり返る気がした。

自分の気持ちが揺れるのが嫌だから恋愛苦手という人の話を聞きながら「多分本当に誰かを好きになったことないんだよ、恋に恋してるだけだよ」とか「本当に誰かのこと好きになったらそんな風に思わないよ」と先輩風吹かせてみたり、女子会で彼氏や旦那の愚痴大会が開かれるみたいな話聞いて「ちゃんと好きだったら悩み相談くらいはするかもしんないけど第三者に愚痴類とか意味わからん」と思ってたけどそもそもの感情移入度が違うんだとしたらそりゃわからん話だ。

ギフテッドは擬態しながら生きてるから恋をするまでのハードルが高い。でも愛を知ってるからハードルを超えてきてさえくれれば愛してしまう。

もう最初から愛しているからなんでもかんでも受け入れててしまうし、ダメになったとき信頼して愛したのに、と必要以上のダメージを受ける。

恋愛以外の人間関係でもダメージ喰らいやすいんだから恋愛で追うダメージなんか死一直線だ。

これまで波瀾万丈に恋多き人生を送ってきた方であろう私の「わかってもらえなかった、辛い」自分が重いからだ…みたいに思っていたことがギフテッドが由来するのであればむしろ良い時代になったもんじゃないか。

歩み寄りを見せてくれる人に、信頼できると思ったタイミングでギフテッドかもしれないと提示して、理解を得てもらう情報がそれなりにあって理解してもらえるかもしれないチャンスが転がっている。

拗れた男が寄ってきがち、くらいで落とし所を見つけようとしていたけど、彼らも何かしらがあって恋愛に対して不器用で「とりあえず付き合ってみない?」って言えてしまうタイプの人には告られたことすらなかったんだからなにかしらの特性を持って「この人なら」と嗅ぎ分ける何かがあるのかもしれない。

涙の数だけ強くなれるけど、強くなりすぎるのも、それを仕方ないと思うのもなんか早計な気がした。

愛してると思える人が側にいてくれるだけで、なんか頑張れる気持ちになれるのであれば多いに恋とか愛とかに悩めば良いと思う。

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