昭和のgifted-66「思い」は止めるな
前回のお話しはこちら
「ダメだってわかってるけど、泣いちゃう」
とか
「こう思うのは良くないとはわかってるけど、苛々する」
とかは言わない方がいい。「わかってるけど」って大人ぶりたいだけの言い訳なんだ。だからそ気持ちが本当はどうなのかはわかる人にはわかってしまう。
わかってても止められない気持ちは止めない方がいい。
止めれる程度なんだったら気にもするな。
「でも気になっちゃう!」は酔ってるだけだ。
日本は「和をもって尊しとなす」が美徳とされて久しいから忖度とか慮ることが良いとされるけど、そんなの何年前の理想だよ。
島国で"和"が乱れると生存戦略に関わる一大事になりかねないから統制を試みただけの話だ。
正直、忖度とか慮ることにに辟易している私は法律が許してくれるのであればイラっといた相手は殴りたい。
事実、抑えきれなくて40歳になってまで胸ぐらをつかんだことがある。
「かっとなって」ではあるが、そうではない。耐えに耐え続けて限界がきたってだけの話で、それで糾弾されるのであればかかってこいや!!!という覚悟を持って手を出した。
自分よりも背が高い、男性に対して。
この時、ただ事象として「私が誰かの胸ぐらを掴んだ」という事実だけが問題視された。こんな事象を問題視するのなんか本当はどうかしてる。
どうして問題になるかというと、想像力の足りない人たちが自分本意で相手に迷惑をかけるからであって、沸点を超える感情は爆発した方がヒトのためではあると思う。
こういうことを公に言えない世の中なのは、想像力の乏しい人たちが自分勝手に解釈を捻じ曲げて「やらかしてしまう」弱い人が増えてしまったせいだ。
甘やかすと人は増長する。
でも、きちんと自分を律することができる人には、多分、辛くて仕方ない。
きちんと想像力を働かすことができるがゆえに自分を押さえるのってどれくらい辛いんだろう。
きちんと想像力を働かすことができるはずなのに、それを理解してくれない人に囲まれることがどれくらい辛いんだろう。
私はめちゃくちゃ辛かった。
たくさんたくさん考えて、周りのことを考えて、だから求められるロールを演じたり、上手に距離を置くようになり、どんどん「誰も私のことをわかってくれない」ってずっと思ってた。
事実、ちゃんとわかってくれる人はいたものの、相対する絶対数からすると片手で数えられれば良いほどのものなので諦めるようになり、殻に閉じこもっていた方が楽だった。
でも、人生には終わりがある。
以前にも書いたかもしれないが、「50歳で転職したのにもう勤続30年になっちゃったのよ〜」という80歳の誕生日を迎えた人の言葉が突き刺さって、なんだかんだ辛いのに死ねないと思って40歳を迎えた私は「ここから、今までの倍生きないといけないんだとすると、もう毎日ハッピーじゃないと割が合わない」と思った。
私がこうして開き直るまで40年かかった。
だから気持ちにフタをできる人はフタすればいいよ。
思いの深度の問題で、気持ちにフタをすることでしんどいとか辛いって思うタイプの人は無理しない方がいい。
本当は気持ちにフタなんてしたくないよ〜って思いながら上手に自分に言い聞かせることができる人がほとんどなんだから、きちんと感情を爆発させることができるのであれば、思いは止めない方がいい。
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