昭和のgifted-65 人に、頼る。
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noteとか書き始めて、「ここは私の居場所じゃない」といろんなコミュニティを転々として、40年目に何人か「なんかあったら頼って!」と言ってくれる人たちに巡り会えた。
いろんな経験を経て、私がちゃんと「人に頼ってみる」ことをしてみようと思えるようになったから、独りで死んでしまうくらいなら死んだつもりになってなりふり構わず他人な迷惑をかけてみようと思ってみたからだ。
頼ったときに「ごめんなさい」と言われても「どうせそうだと思ってた」と笑えるくらい諦めの良さと、寛容な気持ちで余裕を持つことができるようになったからだ。
これまでは人を信じすぎて、何かある度に裏切られたと感じて、過呼吸起こして泣いて疲れて、病院に行っても原因不明といわれる諸症状が出て何度「もう死ぬ」と思ったかわからない。
それでもその都度、助けてくれる人は現れずこれまでやってきた。
またまた、そんなことないでしょ?って人は思うかもしれないけれど、私にとっては嘘偽りない事実なんだ。
もう詰みだな。
そう思う度になんだか不思議な巡り合わせでするっとそれまで関係性の深くなかったところで仕事をもらえたりして、そんな時ほどトントン拍子に話が進んで生きながらえてきた。
「ここじゃない」と思う場所は本当に「ここではない」。
狭い世界しか知らず、限界を感じて、辛い思いをした。私の学生時代はSNSなんて存在しなくて、裕福な家庭の子供がようやくポケベルかPHSを持たせてもらえるような時代だった。
そんな時代に模索して「ここじゃない場所」に飛び出すためにどうすれば良いかをずっと探してきた。
学校は、多分違う。予備校や習い事の場は本当の私に近くいれる。
そう思うと学校は仕方なくやり過ごす場所と思えて楽になったし、その経験が私が私の世界を飛び出すことを簡単にさせてくれた。
令和のギフテッドたちは多分本人たちにとっては生きづらくともきっと恵まれている。変な支援団体とかが現れて迷い、病まされることも増えたかもしれない。だけども「違う」と思ったのであれば「ここかもしれない」と思える居場所を探してたどり着くことも昭和や平成の頃よりは格段に、そして比較的簡単にできるようになったからだ。
私は40年かかった。この人たちは信じられると思える人に、そう思える人たちはまだ両手に足りないけれど、それでもずっと探し続けて巡り会えた。
仕事がなくて詰みそうだ。
と話しても「後悔しない道を行けば良い」と背中を押してくれる人たちに出会えた。
そりゃこれまでの人たち同様ある意味無責任な発言に、見方を変えれば思う人もいるかもしれない。けれども私にとって、本当に私のことを思って「やりたいようにやれよ」と言ってくれる人たちが今はいる。
本当にある種無責任かもしれないが、そういった人たちは私に思いを託してくれる。
作家であれ、と。
なんでも上手にできるのは知ってるし、当たり障りのない立ち振る舞いができるのもしってる。だけどそれは本当の私じゃないことを知っているから、他の誰にもできないことをやってのけてしまう気がするから、やって見せてよと私を奮い立たせてくれる。
思いが人を強くする。
とはよく言ったもので託し、託された思いに報いるためにギフテッドは生きる。
辛くとも哀しくともそういう生き物なんだから仕方ないと一歩を踏み出すんだ。
そうして私が踏み出した一歩を書き残すことによって、何処かの誰かが報われるかもしれないから、私は多分踏み出すべきなんだと自分にも言い聞かせる。
ただ、ちょっと踏み切れなくて、私が今になって信用できると思った人たちに住所と部屋番号と目印を送りつけて「今悩んでるから助けにきて」とだけ送りつけてみた。
これまでの人だったらとりあえず「大丈夫?」とだけいって延命措置をして終わりだったかもしれないけれど、彼ら彼女らは駆けつけてくれた。
今から、明日なら、来週なら、それまで待っててと。
何度も自分の理想なそぐわない結果と相対してきたけれど、死んだつもりで飛び出したらその先の、さらに先かもしれないし果てかもしれない。
けれども私を私として受け入れてくれる人たちがいるという事実を掴むために、私は今日も旅に出る。
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