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昭和のgifted - 52 部屋と過呼吸と私

前回のお話しはこちら

10年ちょっと前に過呼吸患って精神的に追い込まれるとパニックを起こしていた私。

泣きじゃくって癇癪を起こすと息ができなくなることは子供の頃からあったけど、それのもっとひどいバージョンというか、このまま死ぬかも。って毎回思うくらい辛くて過呼吸起こした日はもう一日使い物にならなくなるくらいぐったりすることが定期的にあった。

そんな私も今ではそこまでの過呼吸を起こさなくなった。平和な毎日だ。

基本的には信じてた人に裏切られた、またはぞんざいな扱いをされたみたいな陳腐なきっかけで発症したんだけれど、対人トラブルがある度にその時のことがフラッシュバックしてもう癖みたいになっていた。

道端で倒れて救急車呼ばれて意識が飛んでたときは搬送されて、迎えに来てくれる人いない?って看護師さんに聞かれて「迎えにきてくれそうだった人にひどいことされて今なんで、ひとりで帰らせてください…」とか、そんななのに1万円越えの搬送料は請求されちゃうからその次からは救急車が来る前に意識取り戻して乗車拒否をするようになった。

6年くらい前にいよいよこれは本格的に治さないと癖になってるなって思って心療内科に行ってみて薬を処方されたんだけど、パニックを抑えるための抗鬱剤(なんだったかは忘れちゃったけど)を飲んで、むしろ生気を失った。ただ生きてるだけのなんにもできない毎日で躁にギアも入んないから飲むのをやめた。

その時セカンドオピニオンで行った診療内科でギフテッドかもといわれて、「鬱じゃない可能性も高いから合わないと思ったら薬はやめていい。」と言われた。

でも電車乗れないし、電車に乗らないといけないときは一駅ごとに降りないとくらくらしちゃうし、めちゃくちゃ困ってる。家に一人でいるときは過呼吸起こして泣き疲れて寝て、起きてもしばらく使い物にならないから生活に支障でてるし…と相談したんだけど「それで良いのよ!」と言われてしまった。

「普通」の人たちはそのコミュニティにいる人たちに理解してもらわないといけないから診断書を書くし、病名をつける。つまり診療内科は免罪符を発行しているに近いみたいなことを言われた。

そしてこう締めくくられた。

「あなたは自力で過呼吸起こしてもまわりに迷惑をかけない環境を自分で作れているし、本当は薬なんかで抑えなくても泣きたい時にないて、泣き疲れて寝るのでなんの問題もないのよ。」

「あとまぁ月並みなんだけど頼れる相手や理解してくれる人とのコミュニケーションで安心感を得たりできると良いのだけれどそういう人は身近にいない?」

頼れると思った相手に罵詈雑言吐かれて過呼吸起こしてるから頼れる相手なんていない私はどうしたらいいんだ!!!

結局自力でなんとかする他なくなった。

めちゃくちゃしんどかった。

この経験のお陰で積極的分離も進んだような気がする。

とはいえ「あー、なるほど。私は自力で過呼吸と向き合っていかなきゃなんないのね。」と諦めがついたらわりと楽になった。

開き直れ、開き直れと自分に言い聞かせながら「死ぬかも!って思ったことこれまで何回もあったけどその都度死ななかったじゃん!!」

みたいなことを繰り返していく度にいつしか上手に過呼吸の発端となる情緒不安定を上手く扱えるようになった。

最初は辛い、しんどいって思うとフラッシュバックが起こって過呼吸起こしてたけど、慣れてくると「これまでだってひとりでなんとかしてきたんだから今回もひとりでなんとかするしかない!!」という変なエビデンスが残って自力で克服していった。

「これいつものやつじゃん。しんどいだけなんだから一旦泣き疲れて寝ちゃえよ。」

と、もうひとりの私が私に問いかける。

そんなことを繰り返していたら辛いとかしんどいとか思うときに「本当にこれまでにくらべて辛くてしんどいか?」と自問自答できるようになった。

哀しいときはもちろんいっぱい泣くけれど、「このまま死ぬかも」と思うことは格段に減った。

こんなこと私以外の人ができるかと言うと難しいきもなぁという気もしないではないけれど、寄り添ってくれる人を見つけられたらこんなに自分のことを追い込まなくても回復には向かえると思う。

電車に乗れなかったときも友達に手を繋いでもらったらちょっとくらくらするけれど電車にも乗れたし、一駅が乗れたら二駅連続してみるとかいろいろ試してみた。

あとおすすめなのは電車に乗ってるときに「なにか没頭できるものを持ち込むこと」。

私の場合は編み物だった。

電車に持ち込むなら鉤針がオススメだ。
何を作るでもなくて良くて、ただ単調な作業に集中して無になれば案外なんとかなった。

一時期はヘルプマークを持ち歩いていたけれど、今日はいけそう!と思えた日は家においていくようにした。

完全に手放し切れていなかった頃はヘルプマーク持ってなくても優先席で編み物することもあって、その時たまたま目の前にヘルプマークをつけている人が立ってたのに気づけなくて、気づいてから席を譲ったことがある。

「気付けなくてすみません、席どうぞ。」

そしたら「編み物見させてもらってたら同じリズムで進んでいくのに夢中になれて、そんなにしんどくなかったです!」ってお礼をいってもらった。

単調な作業でリズムが良いものってずっと見ちゃう。

なんか誰かのためになったのかもと思えたので私は今でも電車に乗るときは編み物をしている。

優先席とはほんとによく言ったもので、外的に障害があるとかお年寄りだとか妊婦さんみたいにわかりやすい人には譲りやすいんだけど、ヘルプマークつけてても「若い癖に!!!」みたいなことを私も言われたことがある。

電車に乗るだけでも苦痛なのに立っては無理だよぉ…。でもどうしても病院行くのに乗らないといけなくて頑張って乗ってるのに…。

みたいな気持ちになったことがあるからほんとに難しいなって思う。

免罪符として診断書やヘルプマークを使う人がいないとは言いきれないけれど、もっと優しい気持ちで想像できれば生きづらいと感じている人も少しは生きやすくなるのかなと私は思う。

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