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昭和のgifted-63 死ぬ日は自分で決める

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木春さん、ずっとめんどくせぇなぁ…いやいや、それより前にすることあるだろ、みたいに思いつつ知人案件だからお友達価格で受けていた仕事の打ち切りが決まった。

私は座敷童子だから、あー、なんだかんだで私に予算割けない状況が前もって見据えることができたであろう状況の中で(半年くらいツッコミはした)私に予算を割く段取りをつけられなかったor割く判断ができない人が偉い人だった感がさもありなんだったのでさよならバイバイ案件(泥舟)かーと腹を括っていた。

これまでの私の経験上、案件の支払いが今月末です!デッドorアライブ!!!となったらするっと美味しい仕事が舞い込んできてくれて、なんとなく乗り切ってこれたし、家財道具全部売っぱらったらなんとかなりそうな気配もするからこれはいつもの「一瞬鬱に浸りたい期」なのだろうなと、ひりつきながらも「家宝は寝て待て、これまでだってそうだったじゃないか」と自分に言い聞かせていた。

そんなこんなしてるうちに久々に好きな人ができた。

名前も、どこの誰かも知らないけれど、一緒にいて楽しい!!!と、久しぶりに思えた人だった。

ただ、なんとなく私に似た気配を感じたからなのか、ただ好きだなぁ以外の情報を知らないようにしていた。

恋愛はいいものだ。

「好きな人がいる」それだけで毎日が楽しくなる。

私くらい破茶滅茶な恋愛経験を経れば、逢えない日々も、結ばれることのない事情も、全部含めて若いうちであれば病んでしまうような、この世の終わりを感じるような切なさも、滅多に感じれない尊い感情な気がして尊さを感じる。

その、「君がいるから頑張っていられる」という感情をモチベーションにしたかったんだけど、なんだか忙しい人みたいで逢えない日が続いて、最後に会った時になんだか寂しそうにしている気がしていて、それがずっと気掛かりだった。

私は「楽しかった良い思い出」が残っていただけなんだけど、ちょっとした気掛かりが引っかかって「楽しかった」だけにすることになんとなく後ろめたさを感じていた。

私の杞憂が杞憂であれと、ただの杞憂だよって教えてもらえればスッキリできると、思いながら数週間過ごしていたらばったりその人に逢えた。

モヤモヤしていた感情をぶつけて、受け入れてもらって、私の全部ではないけれど、云いたいこと、伝えたいことを聞いてもらって私は破茶滅茶に満足した。

「来世でも見つけてね。」

と格好をつけてみたけれど、大人の世界では満足いくまで話せる時間の確保も難しいものだ。

ギフテッドは熱量が多い分、感情をぶつけて良いと思える相手が少ない(ような気がする)。

友達だったらなんとなく気づいたら友達になっているものなのに、恋愛はどうしてなんとなく好きになっただけで関係性を続けられないのだろう。

ただ、私はとても満たされた。

これまで好きになった人もなんか違うなとか、ズレを感じて同じ道を歩むことなく別れて自分の理想を叶えてくれる人を探してきた。

私が久々に好きになった人は、私の言って欲しいことやして欲しいことを全部くれた。

相手にしてはほんの些細なことかもしれなかったけど、ギフテッドとして受け入れてもらうことの少なかった私はすごく満たされた。

新しい扉を自分で開けば新しい出逢いがあって、私は探し続けるんだろう。

でもちょっとゴールに辿り着いた気持ちになって、仕事もなくなるし、責任負わなくて良くなるし、だったら今この満たされている状態で死ぬのが幸せなのかもしれないと思った。

これまでの経験上簡単に死ねないのもわかっているし、死にそうなくらい辛いと思った日々も今では乗り越えてきているから私はまた違う幸せをみつけるのかもしれない。

作家は満たされたらつまらなくなるとかよく言われているから、私が辛い気持ちになるのも創作の原動力にするためだと思ってきたけれど、満たされたら満たされたでまた違う溢れ方をする。

ギフテッドは枯渇しない。

辛くともその思いを原動力にできるし、幸せでもまた原動力を産む。

生きているからには幸せを探し続けても問題ない。

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