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昭和のgifted - 58 ギフテッドやHSPが生きづらい理由

前回のお話しはこちら

突き詰めたら本当は自分が何を欲しているのか。

私がメンブレして立ち直る度に自問自答することなのだけど、ひょっとしたらこの「自分は本当はどうしたい?」を掘り下げるのがギフテッドの人は苦手なのかもしれない。

私が未成年の時代はきちんと「自分」のことを考えられていたはずなのにできなくなった期間を経て、どうやって「自分」のことをきちんと考えられるようになったかを残しておきたいと思ってスマホを取ることにしたので、今回も長くなるけど悩んでる人には読んで欲しい。

人も時代も価値観も、いづれ変わる。どう変化できるかが大切だと思う。


ギフテッドの人は他人軸で共感性異常で相対している事象に対して、他の人より圧倒的に受け取っている情報量が多いから、それまでの経験の記憶を参考に瞬時に無限とも思える可能性を閃いてしまうような気がする。恐らくこれはHSPさんも近いものがあると思うので、一旦ギフテッドの側面を記録するが参考になれば幸いだ。

社会に適合するために自分を抑えることを余儀なくされてきたギフテッドが多いであろうから、そういうギフテッドたちは「ありのままの自分を受け入れて欲しい」と願い、だけどもそれが難しいことも知っているから「自分の気持ち」を後回しにしてしまいがちなのではないか。

私自身、「木春はどうしたい?」と言われたときに物事に関してはやりたい、やりたくないがはっきり言えるが、対人関係となると相手の気持ちを先に想像してしまう。

どうしたいかと言うと、一緒にいて楽しいと思う人となるべく長い時間一緒にいれると嬉しいし、嫌いな人は視界に入ってほしくない。でもそれって難しいことで、私が一緒にいたいと思っていても相手は一緒にいたくないと思ってるかもしれないし、私が嫌いな人でも私と一緒にいたいと寄ってくるかもしれない。

私の好き嫌いに関わらず、相手が好意を持って接してくれるなら答えてあげた方が良いと思うし、いくら私が好きな人でも相手が私のことを避けていたら諦めるしかないじゃない?

私が我慢すれば世界は平和に回る。

と、長年思ったり悩んだりしていたんだけど、ようやく40代を目前にした頃、自分の考えは間違ってないときちんと認識して、きちんと人のせいにすることができるようになってきた。

自分を大事にできない人はダメ

この考え方は諸刃の剣で、そもそも自己中な人がこの言葉を鵜呑みにすると周囲に撒き散らす。

そんな人と自分は違うはずなんだけれども…と思う人の方が余計に割を喰う呪いの言葉でもあったりする。

ギフテッドとかHSPの人とかは特に他人に敏感動だから本来かからないで良いはずの呪いにかかる。

私が開き直れたきっかけは地元の銭湯の常連のお母様にこんな話を聞けたからだ。

「あたしねぇ、もう80歳なんだけどまだ働かされてるのよ〜。50歳で今の会社に入って勤続30年になっちゃったわ。」

この話を聞いたとき、ようやく個人事業主10年目を迎えようとしていて、そろそろ自分のキャリアに自信を持っても良いのかな?と思っていた頃だった。私は私なりにちゃんと頑張ってきたし、認めてくれている人も多いんだからしっかりしなくちゃ、と。

その矢先にこの話である。

私の生まれた時代はバブルが弾けた直後で、よりによって1999年に世界は滅亡するというノストラダムスの余計な予言のせいで20歳で死ぬと思っていた。

太く短く生きるんだ!と好き勝手やって40歳くらいに死ぬと思っていた。

だからそれまでの期間、わりと自由に生きてきた。

だと言うのに世界は滅亡するどころかハッピームミレニアムと言わんばかりに私の苦手なパリピたちがアニバーサリーを祝い、もうこの世に私の居場所はないのかな?とか思うくらい急なお祭りムードに包まれた。

多様性なんて想像する余地もない、セクハラも痴漢も「短いスカートを履いている方が悪い」とか言われるようなクソみたいな時代。20代の個人事業主が仕事をもらうにはあまりにも「働き方」への理解をできる業界が少なかった時代を私はなんとか自力で駆け抜けた。

めちゃくちゃしんどかったし、何回か死のうかなって思ったし、道端で倒れて救急車呼ばれたらこともあったけど、無駄な責任感で死ねないままここまできた。

生まれてから40年、もう20代の頃の予想では不摂生もたたってそろそろ死ぬ予定だったのに身体はめっきり健やかで全く死ねる気配がない。

そんな頃に人生の大先輩に「50歳で転職して勤続80年」という話を聴いてしまって、開き直った。

これまで40年頑張って生きてきたつもりだったけど、今折り返し時点なの!!!!?これまでの人生しんどいことの方が多かったんだからこっからの折り返しは全部ハッピーでないとやってらんねぇ!!!!!

そうして私は「40代を自分史上一番可愛い状態で迎える」と決意して筋トレや美容に力を入れた。

40歳になんて見えない!めちゃくちゃ可愛いし美人!

とか言ってくれる人にも「40代を自分史上一番可愛い状態で過ごすために努力してるんだから可愛くない訳がないだろ。」とまで言えるほどにまで開き直った。

30代半ばの頃に当時まだギフテッドに関する情報が少なかったときに「木春さんはギフテッドかも。」と言われた言葉を胸に、対人関係でも「しょうもない人のせいで私が動かなかったら社会的損失がでかいはずだから頑張んないとなー。」と仲の良い友達には言えるようになっていた。

いろいろ頑張ってきた私は、その頃ようやく「そうだよ!木春が元気がないのは社会的損失だよ!」と言ってくれる友達にも恵まれるようになった。

生きづらいから死にたい気持ちはよくわかる方だと思っている。

でも、どうせ死ぬんだったらそんな生きづらさを押し付けてくるコミュニティなんて捨てたって構わない。

どう立ち上がって良いのかわからないかもしれないけど、死んだつもりで新しい世界に飛び出して行くってことが積極的分離のスタートなのかもしれない。

頑張って新しい世界に飛び出しても、そこは終着地ではない可能性が高い。

それでも、随分今の世の中は多様性に寛容にならなくてはと模索している時代だから、大学生時代でもパソコンを持ってる人はオタク認定されていた時代に比べれば比較的避難所を見つけやすくなっていると思う。

他人を変えるのは難しいから自分が変わる方が早い。とはよく言ったものだ。

環境が変われば気持ちに変化が起こることは当たり前のことなのだから、変化を怖がって終わりを迎えるくらいなら窮鼠になったつもりでなにかに噛みついてみるのも良いのかもしれない。

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