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昭和のgifted - 43 ギフテッド論争の違和感

前回のお話しはこちら

いろいろ読んでるとギフテッド関連の記事を書いてる人は難しい言葉で記事を書くなぁ。という印象で、専門用語が多くてピンとこないこともある。

私は読めばイメージがつくから、私のように自分が何者かに悩んでる人とかならそういった記事に辿り着いて勉強して理解して自分がどういうタイプの人間かの場合ができるから良いんだろうけど、悩んでない人たちにも知ってもらいたいから私は『昭和のgifted』を書いている。

ギフテッドがどういう性質なのか、ではなくそうした性質を持つ奴はどんなこと考えててどんなことをしてきたかを書くことでなにか理解をするためのヒントをみつけてもらいたいからだ。

分析や研究についての記事はあるが「はいはーい!自分ギフテッドなんです!なぜかというと高IQだから!子供のとき浮いてたし!」系以外の実体験によるエビデンス(私の記事がエビデンスと呼べるのかは定かではないが)が少ない気がする。

基本的に私の記事は近くにこんな奴がいても変人扱いしないで優しくしてあげて。ってメッセージなので「私はこうだった。」「こうしてもらえたら嬉しい。難しいかもしれないけど。」をなるべく読み物的に読めるように書いているつもりだ。

いつも思いが溢れて長くなるので読みやすいか、わかりかすいか、といわれるとすまん…そうでもないかも。と思ったりもするけれど。それでも多少は読んでもらえている。そしてコメントももらえてるので専門用語がわからない人にも読んでもらえて理解を深めてもらえてるのではないだろうか。

ここでふと、IQが離れると会話が成立しない。だからギフテッドは生きづらい。という設定に疑問が湧いた。

思いのままに会話がはずむ、言いたいことを全部理解してもらえるなんてことは確かにほとんどない。
なので落ち込んでいるときは誰も私を理解してくれない…とさらに落ち込むことは確かにあるけれど、飲み屋とか友達とか仕事関係の人とかと話すとき、みんな大抵私の話を面白いといい、めちゃくちゃ楽しかったからまた話そう!と言ってくれる。

私がギフテッドなのだとして、そこそこIQが高いんだとしても普通にいろんな人とコミニュケーションが取れていて「お話し上手!」と言われるということは会話はちゃんと成り立ってるじゃん。

相手の話聞いて相談とかだったら答えてあげたりして、すごい!めっちゃ理解してくれてる!って喜ばれることも多いってことは会話はちゃんと成り立ってる。そんな時、別に私は相手のレベルに合わせてあげてるなんて驕り高ぶったことは考えたことないし、多分無意識で相手に合わせられている。

ということはIQが離れてると会話がなりたたないっていう自称高IQの人たちって比喩表現とか語彙量が単純に足りてないだけなのでは?

ギフテッドって共感性異常だし、洞察力も高くてコミュ力もあるから相手に合わせるとかわかりやすく説明するとかは得意なはずなんだけどなぁって疑問が湧いた。

あとギフテッドの2E型って言うのも意味わからん。

ギフテッドの性質を持っているが故に感受性高く多くの情報を摂取してしまってストレスを受けやすく、その結果鬱になることはあってもそこって発達の問題とは全然関係ないはず。

身体的な部分で発達にどこかしら障害があって+ギフテッドの素質があるって言うなら2Eってあるかもしれないけれど、心的な部分の発達障害にギフテッドの性質って付随しないような気がする。

だってギフテッドって足り過ぎてるからギフテッドなんだもん。

障害=欠落、欠陥、というのは私の思慮が浅くて短絡的かもしれないけれどピンとこない。

私自身「ASDの素質もあるかもだけど、女子校という環境で好転的にコミュニケーションの取り方を学習したのかもね」ととある診療内科で言われたときに「そんな訳なかろうが」と思ったほどだ。

私は自他共に認めるコミュ力お化けだ。

当時(5、6年前)まだHSPとかもまだなかったし、その時ある情報の中でASDという可能性を導き出したのかもしれないけれど、びっくりするくらい納得いかなかったのでセカンドオピニオンして脳波検査受けてそこで「ASDではないわ。 日本ではまだ研究も認知もされてないジャンルだから診断はできないけどIQめちゃくちゃ高いと思う」って言われてギフテッドに辿り着いた。

2Eを自称してる人たちは発達障害があることを受け入れられている。私は受け入れられなくて模索したからやっぱり2Eという概念が理解できない。

ギフテッドなんていいもんじゃないよ。大変だよ。

それでも自身が2Eだって思うことで楽になれている人がいるのであればギフテッド 2Eという概念は存在していた方が良いのかな、と思う。

ギフテッドの概念がほんとのギフテッドと乖離していくんだとしても、誰もが生きやすくなるんだったらキーワードとして形骸化していくことも必要なのかもしれない。

ギフテッドって自己犠牲を厭わないんでしょ?
だったら「ギフテッド」という概念も称号も欲しいという人たちにあげてしまえばいい。

繋がろうとさえしていればどこかで誰かに届くはずだから、私の記事もどこかの誰かに届きますように。

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