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昭和のgifted - 8 ご機嫌でいる方法

前回までのお話しはこちら

私が街でよくやること。

記念写真を撮り合いっこしてるカップルを見かけたら声をかけて2ショットの写真を撮ってあげること。

喫煙所でタバコを1本手に持ってもじもじしている人を見かけたらライターを差し出すこと。
予備があったらなんならあげちゃう。

土地勘のある場所で地図をみながらきょろきょろしてる人を見かけたら声をかけてみること。
時間があっておばぁちゃん相手とかだったら、ここ曲がったら後はまっすぐなんで!というところまで案内してしまう。

自転車に乗ってる人が何か落として、股がりながら取ろうとしてるのを見かけると代わりに拾って渡してあげること。
子供乗せてるのなお大変そうだなって思う。子供嫌いなんだけど。

一日一善とか、偉そうぶりたいとか、そういうことではなく、普通に自然に身体が動く。
感謝されたいとかアピールしたいとかも思わない。私が何かしたことでされた側の人がとても喜んでくれたり、私が嬉しくなった場合はSNSに書くことくらいはある。「やってあげました」ではなくて、何の気なしになんかやったら凄く喜んでもらえて嬉しいというほっこりのお裾分けだ。

病みすぎて死ぬ死ぬ言う友達からアラートがなったら(ほとんどいないけど)余程の予定がない限りすぐ駆けつける。

今からだと1時間くらいかかるけど、それまで頑張れる?と。

こういったことは全部私がしてもらったら嬉しいことだけどなかなかしてもらえないことだからなんとなくやりたくなる。

ここまで書くと私は愛情深いとか優しい類の人間である、といったアピールに見えるかもしれないが一方で世間的な道徳や倫理感に関してはややバグっている。

例えば両親や先祖を大切にするべし、や不倫や浮気は許されない、みたいなことに関して全くそうだと思えない。(長くなりそうなので恋愛感については次回にしよう)

もちろん、両親や先祖を大切に思えればそれに越したことはないだろう。
私もそう思って親に返せる恩があるなら返そうとか、期待に応えたい、みたいな気持ちはあった。

けれど母は幼い頃から優しく朗らかな人ではあったと思うが自分の価値観が大前提正しい信念の元「私のことを思って」と苦言を投げ続け、やることなすこと否定文脈で私のことを語っていた。その上生活力がなく、なにかあってもご先祖様のお陰でなんとか難を逃れることができたので日々感謝、と私にもその思想を刷り込もうとしてきた。

父は良くも悪くも職人気質で不器用だが優しい人ではあると思う。が、事業を失敗してから今日まで「いつかそのうちやってやる気持ちはある」といいながら20年ほど時は経っているし、「お前が20歳を過ぎてからはお前のやることを尊重してきたつもりだ」とも言ってはくれたけど、こっちからすれば特に何も言われなかっただけで肯定してもらった記憶もない。
なんなら事業失敗して私が上京してから連絡がある時は決まって母に内緒で「ちょっとだけ振り込んでもらえないかな…」だった。最初は私も生活が厳しかった時送金してもらったこともあったので少額ならと仕送りしたこともあったが甘やかしてたら図に乗るな、と思ってそれも止めることにした。

そんな両親が家賃の未払いで家を追い出されたときは新居の保証人になってくれと呼びつけられて自腹で新幹線に乗って判子つきに行ったし、家電が壊れただのお盆でお寺さんがくるから旬の果物が欲しいだののリクエストには物品支給で恩返ししてきた。
洋裁や編み物が得意だった私は父の還暦には紅いジャケットを仕立て、母の還暦にはなにも用意できないほど疲弊していて、それを申し訳なく思いそれからの数年リクエストに答えてカーディガンを編んで送っていた。
もちろん母の日と結婚記念日には花束を、父の日にはお酒を、体を壊してからは何か好きそうなものを送り続けていた。

20年育ててきてくれた恩をそんな感じで20年返し続けてきたのに、母は今だに親のエゴで「あなたのことを思って」と私が嫌がる話をし続けてきたので私の中の何かが弾けて「あ、もういいです。もう連絡とかも一切しないので」と自主的に絶縁状態にした。

私が生まれて20年間育ててくれた恩よりも、その後20年追わされた負債の方が私に取っては大きい。

ここ最近は母からの連絡は一切とっていない。心配した父が時折連絡をよこすが、元気か?頑張ってるか?気をつけろよ。意外の事を話さないので適当にあしらっている。

どれだけ幻滅しようとも私の中では優しく自慢の父と母でいて欲しいかっただけの話で、実際父はお洒落でカッコよかったし、母は美人で優しかったし、所々抜けていて可愛い人だった。

なるべくこれ以上私に嫌な思い出を残さないで欲しい。

そうした決断から自主的に絶縁してる訳だが、親が心配しているとか、孝行したいときに親はいないからとお節介をやく人たちもいる。

実家と連絡を取らなくなってから、気にかけることはあるがほとんどがこれからの心配ごとばかりで、それ以外のストレスからは解放された。

毎日死にたいと思う日々があり、そんな時でも金銭的な理由や信頼からか駆けつけてくれることもなく、否定しないまでも積極的に肯定してくれなかった父と肯定しているというものの否定文脈から入る母。

私がどれほど両親のことを考えていて、その結果どれほど頼り甲斐がなく不甲斐なかったかを突きつけるまでをしないのが私ができる最後の優しさだと気づいてはくれているんだろうか。

優しい気持ちで、ご機嫌でいたいから、私はこういうことをする。

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