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映画「鳩の撃退法」考察

映画「鳩の撃退法」観てきました!

まず、めちゃめちゃ面白かった!!そしてミステリーオタクの血が騒ぐ!!!

ということで、考察を書いてみたいと思います。文字量多めだからサクサク行こう。ここで注意事項をいくつか。

・ネタバレありまくりです!!

・原作未読、映画は2回見てます。映画のみで考察していきます。

・公式な情報源としてHP、チラシ、パンフレットを見ながら書いていきます。

・「ピーターパンとウェンディ」についてたくさん書いてあるので、簡単なあらすじだけでもググっていただくとわかりやすいと思います。

・時系列

物語では時系列が行ったり来たりで分かりづらいので、公式パンフを元にざっとまとめてみました。

鳩撃時系列画像

見えないかもしれない!けどそんなに細かく見なくても大丈夫です!

年は仮に去年を現在軸としました。閏年だったので。もしかしたら予定では去年冬公開とかだったかもしれないですね。

2/29から書き終えるまで、もっとあると思ってたら年越えてなかったですね。並べると意外とシンプルなんだなーと分かります。

・「ピーターパンとウェンディ」との交わり

津田が偶然読むことになった「ピーターパンとウェンディ」(以下「ピーターパン」)は、物語に大きく影響しています。それは秀吉だけでなく、津田がこの小説を書く時にも大きく影響していると考えられます。私が考えるのは構造キャラクターです。

「ピーターパン」の構造は、ピーターパン達の冒険を語り手が語る、物語の中に物語がある形になっています。この「鳩の撃退法」も同じで、津田の物語を津田が語る形式です。

そして現実世界で原稿を読む視点をくれるのが鳥飼なんですが、もうややこしくてしょうがないので「小説津田」と「語り手津田」でひとまず考えます。

そして重要なのが、ピーターたちと語り手、小説の中の津田と語り手の津田は違う世界を生きていて、またそれらは現実世界とも違う世界を生きているということです。

自分のツイートが簡潔だったので、引用したいと思います。

ちょっと補足すると、この状況を語り手は当たり前のように語ってるんですよ。現実じゃありえないのに。そしたら語り手はキャラクターの世界と全く同じかと言えばそうではなく、ネバーランドの不思議に首をひねることもあるんです。

この二重構造は「鳩の撃退法」にも共通していて、さも体験したかのように書かれたパートにも、分かりやすいセリフがあったり、心情を表すようなBGMをかける演出があったりと、津田は「ピーターパン」を真似ることでフィクションと現実の境目が分からない作品を作った、と考えられます。そして、物語そのものが現実とは違うということは、藤原さんが言うようにこれはファンタジーである、と言えると考えます。

そしてキャラクターについて。

劇中にもあるように、ピーターパンは無邪気で残酷な子どもです。そして、大人になろうとするやつは殺してしまいます。「ピーターパンに似てる」と言われた津田子どもができない秀吉家族はいらないと言う倉田、この3人はピーターパンとして書かれているのではと思います。そして倉田と秀吉が育ったSpinはネバーランドです。倉田は秀吉が大人になろうとしていると思ったのかもしれません。

ここまではパっと思いつきましたが、ウェンディやティンクについて考えると中々…。奈々美は淀殿でも寧々でもなくナナで、「ちゃんとした大人ではないけど子育てをしてる」と考えるとナナでありウェンディであるとも考えられるかもしれません。津田の周りにいる女の人ってみんなティンクっぽいよね。

・どこまでが本当か

前にも書きましたが、結局現実っぽいパートも津田の演出がかかってるので、100%本当のところってないのかなと思います。あの状況の秀吉と会う場面で悲愴は都合良すぎだろ。私が秀吉なら、あの状況で悲愴流れたら無理過ぎて帰る。いや帰れないからどっか泊まるかな。

なので、私が絶対に本当と考えられると思うことはただ1つ。津田が秀吉を救いたいと思っていたこと。

エンドロールに差し掛かる時、津田以外の登場人物の名前は全て仮名であると明らかになりました。つまり、津田以外のキャラの名前は津田が決めたということになります。この津田は物語の外にいるので、私たちが唯一見れる「現実の津田」の思いと考えられると思います。

津田が出会った男に与えた名前は「幸地秀吉」。子どもはできないが淀殿の子を我が子として育てた秀吉の名は彼を表していますが、名字の方ですね。変換で出ないからどういう意味なんだろうと思っていたけれど、シンプルに「別の場所で出会って幸せになってほしい」という願いが込められているのだと思います。

ではその他はどうでしょうか。

「津田と秀吉が出会った」は本当と考えていいと思いますが、あれだけ物語に関わってる「ピーターパン」が本当にあそこにあったのか、津田は本当に秀吉を救う言葉をかけられたのか、出会ったのは本当にコーヒーショップだったのか、この物語が「津田が秀吉を救うために2人を別の場所で出会わせる」ものであると考えればキリがないですね。2人ってそもそも誰って話だし。

津田テキトーだし、本当は(その時の秀吉にとって)心無い言葉をかけてしまい、後日知って後悔して「津田と秀吉がコーヒーショップで出会い、それが後の秀吉を救う」というシナリオを書きたかった、という可能性もあるし。

また現実にいるとされる鳥飼も、先述のように物語の中の人であり、仮名なので、「鳥飼がいれば全てのことが現実」とすることはできないと思います。鳥(津田・ピーターパン)の面倒を見てるから鳥飼なのかな。

「津田が知り得ないことはフィクションだな」とも思ったんですが、上の表を見てもらうとわかる通り、意外と知ってること、知ってることから推測できることが結構多い。そして現実の津田と物語の中の津田の区別がほぼつかない。これもあまり判断材料にはなりませんでした。

しかし逆に、全部本当だと考えることもできます。

さすがにLIBERAのところは「現実」ではなくても、本当に秀吉が考えていたことだった、とも考えられます。「それだと津田がそれを知る由もない」っていうのはあるけど、そこで秀吉視点の物語に変わってしまったとも取れるし。

ということで、ひとまず「分からない」ということで結論づけます!これだけ書いておいてあれですが!まぁ津田は分からないように書いてるので。はい。

・「鳩の撃退法」というタイトル

鳩はニセ札なので、ニセ札の出処の倉田をやっつけるとか、ニセ札のせいで追われてたけどもう追われないぜとか、そんな感じでも考えられるんですけど、ちょっと複雑に考えてみたいと思います。

「ピーターパンとウェンディ」の元となった、ピーターパンが初めて登場する話では、子供は産まれる前まで鳥だといいます。その中で、ピーターパンは鳥でも人間でもない存在として扱われます。つまり、「鳩の撃退法」とは、ピーターパンというキャラクターを撃退する話、と考えられないでしょうか。

秀吉はネバーランドから出たがっていました。家族を忌み、父親になることを憎む世界から抜け出したがっていました。自分の中のピーターパンを撃退したかったのです。そして、ネバーランドに縛り付ける倉田を撃退する、その方法が拍手をすることであることがこの「鳩の撃退法」には書かれています。

倉田がなぜ裏社会のドンになったのかは分かりませんが、「ネヴァーランド」への寄付から見られるように、ニセ札も、秀吉の妻を孕ませた男を殺すのも、自分の「ネバーランド」の平和を守るためのものだったのかもしれません。

今も倉田と共にいる秀吉に撃退法を伝えるのがこの「鳩の撃退法」である、というのが1つの結論です。

ただ、Spinでの倉田と秀吉の会話の内容も抗争の様子も津田が知り得ない情報であるため、このように描写したかった津田が想像して書いた、と考えることも出来ると思います。

・感想

ずーーーっと考えながら書いていて、正直分からないことがありすぎて、疑問点と考えられる答えを並べていったらそれだけでもなかなかの文字量になると思うんですが、それは「TMI」なんでしょうね。これが適切な文字量かは分かりませんが。

しかし、これだけ考える余白を与えてくれる作品は私はすごく好きで、観終わった後の気持ちや行動を変えてしまうような、強く心を掴まれる作品にまた1つ出会えて嬉しい限りです。

そして、もちろん謎を解く要素もありますが、エンタメとして振り回され翻弄されるのがとても心地よい作品でした。書ききれないくらい各キャラクターが魅力的でした…!これは書ききれないのでまた今度。

最後に、素敵な作品に出会わせてくれた、素敵な作品をみせてくれた風間俊介くんに心から感謝しています。


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