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高校生時代 東日本大震災のときの僕 I

高校ではこれまで続けてきた野球をやめて、弓道部に入部した。
「どうして、野球から弓道に変えたの?」ってよく聞かれるけど、ただただ

先輩方がカッコ良かったから

袴姿、落ち着いた感じ、狙いを定めた目。静かに弓を引き、放たれた矢が真っ直ぐに的を射抜いた時のパーンという的中音。かっこよかった。

「自分もやってみたい」そう思って入部を決めた。

弓道部に入ってから友達がたくさん出来た。弓道以外にも、ゲームをしたり、ご飯を食べたり、大勢で我が家に来てくれたこともあった。楽しい日々だった。

振り返ってみると、僕は、小学生から高校生まで真面目に勉強した感覚がない。
小学生の時は野球とゲーム、中学生の時は野球とゲーム、高校生の時は弓道とゲーム。出題範囲がわかる学校のテストは上手くこなしていたけど、高校生になって徐々に自分の学力が結構ヤバいということに気付き始めた。
中学の頃は上位10位以内には入っていた定期テストでも、高校になると上位層には入れなくなり、模擬テスト共に中間層あたりに居続けた。
勉強できなくなっていた自分を目の当たりにして、僕は進学先を、卒業生が多く進んでいった地方大学にしようとしていた。僕の高校からは、その大学に毎年30~40人は進学していたから、それなら自分にもできそうだと思った。


そんなことを考え始めた矢先、あの災害が起きた。

2011. 3. 11 14:46 東日本大震災

実家のある地域は震度6強。高校のあたりは震度5強だった。

その日は学校で模擬試験があり、地震があったときは最後のアンケートに答えている時間だった。突然物凄い地鳴りがして、建物が激しく揺れた。少し止んだと思ったら、また揺れて、とても長い時間続いた。「地震が起きたらすぐに机の下に隠れること」避難訓練で死ぬほど練習したはずなのに、揺れと恐怖で体が動かない。机につかまって揺れがおさまるのを祈るのが精一杯だった。

窓の外をみると、雪が散らついていて、高校の近くにあった工場からは真っ赤な炎が上がっていた。校舎が崩壊する危険があったから、全校生徒、グラウンドに避難するよう指示がされて外へ出た。

雪が散らつく位に外は寒かった。
初めはみんな非日常的な出来事にどこか好奇心をくすぐられたような感じだった。でも、ラジオから聞こえてくる被害状況が聞こえてくるようになると「家族は大丈夫か?」「うちは大丈夫か?」と、不安が増していったのだろう。徐々にみんなの表情が暗くなって、賑やかさはなくなっていった。

「このままここにいても不安なだけだ」

一刻も早く家に帰りたかった。家族は?自宅は?とにかく確認したかった。

「僕ら歩いて帰ります」

先生にそう伝え、同じ方向に自宅がある友人たち4人と一緒になって自宅まで歩いて帰ることにした。時刻はもう夕方。あたりはだいぶ暗くなっていた。
「急ごう」僕たちは高校を後にした。

歩いている途中でお腹が空いてはいけないと、高校近くのコンビニに立ち寄ったのだけど、灯りもない店内には既にたくさんの人がいて、たくさんの人がたくさん物を買い込んだから、売り物はほとんどなくなっていた。仕方なく、スナック菓子とペットボトル飲料、歯ブラシセットを買って自宅を目指した。

道路は渋滞。「お兄ちゃんたち、気を付けろよ」車内から声をかけられた。外灯のない道もあった。寒さで凍結している道もあった。
あたりは真っ暗になっていた。僕たちは携帯のライトで足元を照らしながら前に進んだ。

それでも自分の家までは途方もない距離があった。おそらく6-7時間は歩いたのだけれど、自宅には到底着けそうになかった。

だから、僕らは何とかたどり着くことのできた友人の家にお邪魔することになった。


つづく

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p.s. 震災当時の話は語りきれない。


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