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山谷、街歩き

街歩き

東京に来て何年経っただろうか
仕事をしているときは、自宅と会社の通勤、あるいは夜の飲み屋街
そんなところしか記憶に残っていない
華やかな場所の思い出は、光の輝き以外は記憶から薄れて消えていく

たまたまネットで見つけた「あなたの知らない東京【山谷】街歩き」に参加した。
ブラタモリの気分。

ガイドは生まれも育ちも山谷のYさん。
約50年、この街で暮らされてきたそうだ。

山谷の印象は、なんとなく好奇心もあるが、なんとなく恐れ(不安かな)もあった。
僕は常磐線の松戸駅を利用しているので、会社務めをしていた頃は通勤電車から見える回向院や延命寺に行ってみたい、でもなんかグイグイ行きたくなる感覚ではない。

そんな回向院、延命寺からツアーはスタートでした。
入り口には解体新書のモニュメントがあった、隣にある刑場で亡くなった方々の身体を使わせてもらい蘭書と実際を確認したそうだ。
ゾクゾクする感覚を背中、首元に感じつつ施設内を歩いた。
ふっと気が抜けたのは「カール・ゴッチ」のお墓、プロレスは好きな方なのでなんとなく重苦しかった感覚から空気が抜けた感じがした。
ここら辺りは、東京大空襲の際に火災に追われた人たちが、この首切り地蔵に助けを求めてきて災難から逃れたらしい。

さて、場所を移して貨物専門の駅(隅田川駅)を眺めながら陸橋を歩いていくと、右側に小塚原刑場跡がある。
処刑場だ。 明治まで使われていたらしい。
ゾクゾク感が身体に蘇る。

ツアーは進み泪橋へ
現在は川は流れていないが、昔は川があり架かっていた橋が泪橋。
処刑者と身内が別れる橋、どんな別れがあったのだろう。

丹下拳闘クラブもこの辺りがモデル


路上に佇む「どや」の住人をチラホラ見ながら吉原方面へ
風俗街と思いきや、人通りの少ない街。
女郎さんは27歳までしか遊女として働けないルールがあったそうな
意外と年若くして引退されたのかと思ったが、多くの方は27歳を待たずにお亡くなりなされたということ。 死因は病気もろもろ。
医療歴史ドラマ「仁-JIN-」で中谷美紀さんが話されていたコトバには名前があり、「ありんす詞」と言うらしい。

この日のスタートは雨だったが、雨は上がり灼熱の暑さになってきた。
Yさんは慣れているのだろう、テンポよくツアーは進んでいく

そしてドヤ街へ

ドヤ、 この辺りは労働者が集まり、東京の高度経済成長を支えた街である。 人が集まれば宿場が必要になる。 この宿場がドヤである。
43代総理の東久邇さんが中心にドヤ街を整備したらしい。

個室とかテレビ付きでアピールしている

ワンフロアに窓が二段で付いているが、部屋の中は二段ベットで上段用の窓と下段用の窓に分かれているらしい。このドヤ街に住まう人たちも労働者は減ってきたという。数年前(日韓サッカーワールドカップの頃)には、海外からのサポーターが宿として利用していたとのこと。そして、今回の東京オリンピックで、また変容するのではと期待されていたとのこと(Yさん談)



ドヤの住人の朝は早く、仕事をもらいに職業安定所に向かうという。

仕事にありつけなければ、朝から質の悪い酒を飲むのだと。

左下も現役のドヤ

ドヤの住人を横目で見ながら、住人の人生を妄想しつつ南千住の駅に向かう。

日本にいながら刺激的なツアーでした。
Yさん、ありがとうございました

ツアーはこちら
https://helloaini.com/travels/3259

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