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【第3回】空間/場所読書会 報告記事

 「近代体操」では「空間/場所」をテーマに読書会を行なっています。成果として雑誌を制作することが予定されていますが、その過程自体で読者を巻き込み、私たちのインプットの過程自体を外に開こうと考えています。

 本記事は、その読書会第3回(8月7日)のレポートとしての、左藤青と古木獠による報告のまとめです。

 ここでは課題本の読解における骨子をまとめるにとどめますが、報告の際には多くの論点が展開され、質疑でもさまざまな意見が交わされました。本レポートで関心を持たれた方は、noteのサークルからご参加いただけます(本読書会の趣旨については、下記の記事を参照ください)。

◆左藤青:「「後ろめたさの」都市空間――東浩紀・大山顕『ショッピングモールから考える』における普遍性とその外部」

東浩紀・大山顕『ショッピングモールから考える』

 左藤の担当は、東浩紀と大山顕による2016年の対談本『ショッピングモールから考える』である。

 左藤はかつて東浩紀と外山恒一の活動を対照的に描き出した論評を書いており、しばしば自身の批評的関心の出発点が東の『福島第一原発観光地化計画』にあったと公言している。今回の発表は、彼にとって「東浩紀総括回」とも言えるものであった。

(1)東浩紀の活動の変遷と本書の位置

 まずは、左藤は東の活動を大きく分けて、5つに区切るところから報告を始める。すなわち、

①批評空間期(1993-1999)

②情報環境論期(2000-2007)

③ゼロ年代サブカル期/「新たな公共性」期(2007-2010)

④震災ダメージ期/ツーリズム期(2011-2017)

⑤社長マインド期/プラットフォーマー期(2018-)である。

 思想的な問題意識や多用されるフレーズには持続性があるとは言え、時期ごとに強調されるポイントや想定される読者層が異なることが指摘されている。

 その上で、課題本である『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』を、左藤は④期に位置付けている。活動の変遷と本書の位置は、東によっても対談の冒頭で明快に宣言されている。

東 まずは、なぜショッピングモールをテーマにしようと思ったのか。一言で言うと、「新しい公共性を考えるため」です。
 では、もう一歩踏み込んで、なぜ新しい公共性を考えるのかと問われれば、それは従来の「軽薄な消費者(=資本主義)」と「まじめな市民(=共同体主義)」という構図に限界を感じているからなんですね。むしろ市場の軽薄さを前提に、それをどう公共性に結びつけていくのかを考えるべきではないのか。『一般意志2.0』や『福島第一原発観光地化計画』での議論も、同じ問題意識から出発しています。(p,19)

 「まじめな市民」ではなく「軽薄な消費者」から、いかに「公共性」を作り出すか。「啓蒙」ではなく「欲望」を通じた公共空間はどのようにして可能か。対話を通じた人間的コミュニケーションではなく、同じアーキテクチャーに偶然動員された動物的コミュニケーションを「公共性」と言えるのか。まずは、以上のような問題意識が、本書では「ショッピングモール」という具体的な場所へと投影されていることを確認しておこう。

 なお、報告では触れられなかったものの、東はかつての『思想地図beta vol.1』(2011・1)でも「特集 ショッピング/パターン」を組み、消費生活が作り出す均質的な広がりに注目していた。「同じ消費行動、いわばショッピングという共通言語が、ほかのあらゆる差異を塗りつぶして彼らをたがいに深く結びつけている」(傍点原文、「『思想地図β』創刊に寄せて」)。『ショッピングモールから考える』では、五年前の提言からより具体的な空間へと注視が向けられている。

 上記の引用に続けて、東は毛利嘉孝の『ストリートの思想』に触れながら、そこでは「管理されていない空間こそがもっとも公共的なのだという議論ばかりがされている」と批判を加える。東によれば、毛利の言う「ストリート」は、例えば「家族」に開かれていないという点で「公共」なる概念の理解の幅が貧しい。この辺りの論旨は、もう一つの課題本の議論と重なってくるので、目をとめておきたい。

(2)モール的な公共空間

東 ひとくちに「開かれている」と言っても、若者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子供がいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれていることもまた全然違ってくる。(…)思えば、ショッピングモールというのは、人々が政治も文化も宗教も共有しないまま、互いに調和的に振る舞い、なにかを共有しているかのような気になれる空間です。(p,21-22)

 左藤は、ここで東が「誰にとって開かれているのか」という論点を提起することで、「開かれ」を無限定に肯定するような「リベラル」な論潮から東が差異化の身振りを取っていることに注目する。この部分は「家族」としてモールを使用する東の実感に基づくとともに、モールを公共空間のモデルとして提示するその思想の根幹を形成している。

 東はシンガポールのヴィヴィオシティ、ドバイのドバイモール、ミネアポリスのモール・オブ・アメリカなど、世界各地のモールを旅した経験を交えながら「政治も文化も宗教も共有しないまま」繋がるモール空間を新たな公共性の土台として描き出す。例えば、ドバイモール(画像)では、「宗教だけでなく階層も混ざって」おり、ハイブランド店から日用品を売るスーパーマーケットまでが入店することで「社会階層の混ざる空間が結果的につくられている」と言う。

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(3)バックヤードの不在/幽霊
 

 モールの特性は空調設備やトイレの位置あるいは客の動線までを完全にコントロールし、外部から切り離された環境として一種の自閉的なユートピアを形成している点にある。「ショッピングモールには窓がない」。また、モールの外観がそっけないのは、多くは郊外に建築されたその場所が車によってアクセスすることを前提に作られているためである。モールが理想とするのはディズニーランドのような外部が見えない設計であり、あたかも家や自室というプライベートな世界と自由に遊歩する消費の世界=公共空間が地続きであるように見せることに工夫が凝らされている。

 ただし、以上のようにモールという奇妙な空間を対談形式で縦横無尽に語っていく本書(ここまでの指摘は、東と大山によって相互に出されているものを大まかにまとめたものである)に微妙な断層が走っていることを左藤は指摘する。あたかも「工場萌え」のように楽観的に・美学的に「モール萌え」を語る大山に対して――「工場萌え」という言葉自体、大山が一般化したものである――、東にはモールという消費空間のユートピアを語る際に微妙な屈託がしばしば現れる

東 その頃〔一九八〇年代〕の日本は、今日の対談の言葉で言えば、国全体がショッピングモールみたいなものになっていて、外から見ても無機的な外観しか伝われない、ブラックボックスのような場所だったのだと思います。つまり、バックヤードがすべて巧妙に覆い隠され、日本全体が一種のテーマパークになっていた。(…)しかし、ニコ生のコメントを見ていると、若い世代には「戦後日本で生きていることそのものが後ろめたい」という感覚がうまく伝わらないみたいですね。うーむ…。(p,104)

 ここではショッピングモールの明るく開放的な性格が一九八〇年代の日本の好景気に重ねられるとともに、いわばその奇妙なまでに明るすぎる光景に「後ろめたさの感覚」を覚えることができるかが問われている。それはある意味、批評の条件であると言っても良い。

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 東の議論が、単なる消費空間の全肯定と微妙な一線を画しているのは、この「後ろめたさの感覚」に他ならない。東は「その後ろめたさの感覚が、一九八〇年代くらいまでは残っていたんじゃないかと思うんです」と述べ、「ぼくのショッピングモールへの関心の原点には、あの時代への疑問があるような気がします」と述べている。左藤は、ここから「東自身、正統派左翼からの「転向派」のような自覚があるのではないか」と指摘している。

 だが、やはり劣等感のようなナルシシズムの円環の中でしか「後ろめたさ」を語れないことには限界がある。実際、彼自身現場で吐露しているように、その微妙な感情は対談相手の大山や内容が同時中継されていたニコ生の視聴者には伝わっているとは思えない。報告の後の議論でも、このことが俎上に載せられた。

◆古木獠:「ストリート、来るべき空間――毛利嘉孝『ストリートの思想』」

毛利嘉孝『ストリートの思想』

 古木の担当は、毛利嘉孝の2009年の著作『ストリートの思想』である。

 毛利は日本に所謂「カルチュラル・スタディーズ」を導入した論者として知られており、東とともにゼロ年代の知的潮流を形作った一人である。古木の報告は、毛利の前著『文化=政治』を合わせて参照しながら、「政治」「思想」「文化」が重なる領域として「ストリートの思想」を定義する毛利の議論に触れるところから始まる。

(1)「ストリートの思想」とは何か?

ここで、図式的に把握するために三つの軸を導入しよう。
それは、
(1)政治(対抗的社会運動、左翼政治からアナキズムまで)
(2)文化(ポップカルチャー、サブカルチャー)
(3)思想(とくにポストモダン以降の政治文化理論)
という軸である。(…)
本書の中でも繰り返し述べるように、「ストリートの思想」は、この三つの軸がつくる三角形の中心に位置づけられる。(p,23-24)

 このように本書では、「ストリートの思想」は「文化」「政治」「思想」が切り結ぶ関係性のなかで位置付けられている。

名称未設定

 本書は、そのような知の構造転換が起こった前史として、八〇年代の所謂「ニューアカデミズム」を置く。東と同じく毛利もそこで八〇年代のメディア環境に固執しつつも、ガタリの来日、インディーズシーンのパンクロックカーたち、寿町や山谷での労働運動の流れを紹介することで、バブル景気に沸いた時代として描かれがちな八〇年代日本に政治的な色彩を与えようとする。その上で、九〇年代からゼロ年代に向けて日本の不況化や新自由主義の進展に伴って「大学からストリートへ」の流れが本格的に生じたとされている。そこでは「イラク反戦運動」「だめ連」「素人の乱」などの動きが「ストリートの思想」の直系として位置付けられている。

 「大学の研究室、自室、図書館、職場、レストランやカフェ、ライヴハウス、公園、駅といったさまざまな点を横断するところに「ストリートの思想」は生起する」(p,20)。古木は、毛利がこのように「ストリートの思想」の特徴として述べる「点と点をつなぐ「線の思想」」を、第2回で扱った人類学者ティム・インゴルドによる『ラインズ 線の文化誌』を参照することで、より普遍的な文脈へと開こうとする。

 インゴルドによれば、「近代の大都市」は効率的に張り巡らされた「巨大なネットワークで地球全体を覆いつく」し、人類に本質的であったはずの「さまようライン」や「有効な放浪」を排除する。したがって、「ストリートの思想」が道路や通路という場所にこそ、資本と国家の囲い込みに対する抵抗運動を組織するのはたしかに理にかなっていると古木は述べてゆく。

(2)「ストリートを取り返せ」(RTS)と日本のストリートカルチャー

 けれども、今日こうした「公共圏」は徹底的に切り詰められている。かつて「公共」と呼ばれた民主的な領域は国家に回収されるか、資本によって私有化されてしまっている。(…)「ストリートを取り返せ」のスローガンが意味するところは、やはり現在ストリートで切り詰められている「公共性」を、ダンスや音楽など身体的な身振りによって取り戻そうということだろう。(傍点原文、p,188-189)

 毛利は「ストリートの思想」の代表的な例として、イギリスの「ストリートを取り返せ」(Reclaim The Streets)という運動を紹介している。

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 それは当初レイヴパーティやカフェを開くことで高速道路建設に反対する運動であったが、次第にロンドンという都市の一時的な占拠を運動の方針にするとともに、大掛かりなパーティ文化へと発展していった。毛利はここに「文化」「政治」「思想」の交錯を見る。彼によれば、あらゆる「文化」はこうして「政治」や「思想」のレベルへと波及してゆく効果を有している。このような眼差しの下に毛利は、八〇年代や九〇年代の日本の文化シーンを回顧しつつ、自身も関与した「新宿ダンボールハウス村」の運動や「素人の乱」周辺の下北沢再開発反対運動などを評価してゆく。

(3)マルチチュードの時代
 

 ネグリとハートは、人々を運動へと駆り立てる「愛」や「情動」を、「ポッセ」という語で表現している。ポッセとはラテン語で「活動性としての力」を意味する。(…)ネグリとハートがおもしろいのは、この古い哲学用語をヒップホップ用語の「ポッセ」と重ね合わせているところだ。「ポッセ」はヒップホップ文化では、「集団」「仲間」「連中」「奴ら」というニュアンスで用いられる。ヒップホップ用語と重ねられることで、この古い哲学用語は、現在のマルチチュードの存在様式の核として再生するのである。(p,243)

 「文化」「思想」と重なり合うところに新しい「政治」を開こうとする毛利が全面的に依拠しているのが、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『〈帝国〉』および『マルチチュード』である。従来の労働組合のような運動の基盤はもはや解体され、集会に参加する人々の多くは不安定な就労状況に置かれている。だが、そうした状況だからこそ「「政治」という領域もまたラディカルに変化しつつあ」り、「マルチチュードは、そうした多種多様な人々を重要な政治主体として位置づけなおす」ものであった。また、毛利が同時代の日本の「ロスジェネ論壇」を斥けるのは、それが「怒り」という否定性によって駆動しているためであり、ネグリとハートが着目した「愛」によってこそ初めて「身体が出会う場所」を作り出すことができると述べられる。

 だが、ここでは詳しく言及しないが、憲法学・政治学を専門とする古木はネグリとハートの著作にまで遡行しながら、毛利が引き出してくる議論はいくぶん現前性に囚われてしまっており、「無時間性・非歴史性」へと落ち込んでいるのではないかと指摘する。

【総括】ゼロ年代の政治/文化

 『ショッピングモールから考える』と『ストリートの思想』の二著を並べて気付かされるのは、いずれの著作にも互いへの言及が張り巡らされている点である。

 前者で東は、モールに注目した際に「意識していたのは、(…)毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』です」と述べ、「毛利さんの本では、セキュリティが働いておらず、ホームレスも受け入れられるような管理されていない空間こそがもっとも公共的なのだという議論ばかりがなされている。けれども、ぼくはそれこそ狭い見方だと思うんです」とその公共空間の理解に批判を投げかける。

 対して、毛利もやはり「「ストリートの思想」と対照的なのは、「オタク的な思想」である。ここで、「オタク的」と私が呼んでいるのは、アニメやライトノベル、テレビゲーム、コンピューターやインターネットなどを中心に社会のあり方を論じる一連の若手批評家の議論である」と暗に東を中心とするグループを当てこすっている。

 両者が対立するのは、大学の研究室や図書館といった従来的な知の拠点を閉ざされたものと批判し、より開かれた街路から新しい公共空間の立ち上げを模索しているところにこそ求められよう。それはまさに知の構造転換が生じた(と信じられた)「ニューアカデミズム」が登場した八〇年代を、彼らが共通して高く見積もっていることに端的に現れている。

 討論のなかでもやはり、毛利と東のすれ違いが深刻であるとともに、彼らの断層が現代の我々をも拘束していることが様々な角度から確認された。ここではその対立点を簡単に紹介するに留めよう。

 例えば、都市の再開発とその反対運動の文脈で毛利は下北沢再開発計画を批判したあるエッセイで、東浩紀と北田暁大との対談『東京から考える』を引きながら、東のモール論を「東のいう「人間工学的に正しい」「だれにでもやさしい公共空間」というエセの科学、エセの理念」と痛烈に批判している。

 あるいは、サイバースペース論の文脈で。東は『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』の冒頭で、毛利の「サイバースペース」論では国家と資本に囲い込まれない「ユートピア的な空間」が志向されており、電子情報網から形作られる「幽霊」が没却されているとそれを退ける。

 または、日本文化に対する評価の文脈で。『日本的想像力の未来 クール・ジャパノロジーの可能性』(東浩紀編)に収められた、あるシンポジウムに両者は同席している。そこで毛利は「どうして日本を含めた非西洋は「理論」をただ「応用」し続けているのか」とシンポの趣旨自体に異論を投げかけ、「国家を中心としないようなアソシエーションとして機能するような知識の生産体制をつくる」べきだと訴える。対して、東は「オタクをフランス現代思想で語るのは滑稽だ、と毛利さんは言われた。これは僕のことですね。しかし、それではマルチチュードという言葉でフリーターについて語る毛利さんも、また同様に滑稽だ」と返答し、そこには「人文系知識人の間でのみ通用する内輪受けのロジックがあるだけです」と反論している。

 さらには、政治運動に対する評価の文脈で。毛利がSEALDsの運動に機敏に反応し、「新しいネットワークの作り方やデモの見せ方」として「とにかくすばらしいと評価しています」と述べていたのに対して、東はSNSを通じたデモの形態が近年に至るまで「祭りのための祭り」という傾向を脱しておらず、「SNS民主主義」のむしろ否定性にこそ注目する

 重要なのは、このような対立が生じるまでに彼らの前提が共通している点であろう。ここでは詳しく討論の内容に触れてゆく余裕がないが、『ストリートの思想』と『ショッピングモールから考える』だけを見ても、彼らはいずれも大学という場での「啓蒙」の不可能性を前提にした上で、市場や街路が開く非言語的なコミュニケーションに賭けていた。また、「オタク」にせよ「ヒップホップ」にせよ、そこでは感性的なものと政治的なものを直結するところから新たな公共空間の立ち上げが志向されている。

 我々が空間/場所を持続的な問題関心とするのは、そこで後景化されている空間/場所――「モール」や「ストリート」は彼らにおいては人々が動物的・情動的に参集する場以上の意味を持たない――そのものを主題とすることで、この膠着した地点を突破することができるのではないかと思われるためである。

(文責 – 松田樹)

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