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一瞬の奔走

一人の人が花を一輪持っているとして、それがいつか枯れることに対して、綺麗なうちに捨てるか、枯れない花を作るか、醜く枯れるまで見送って悲しみを携えて生きるか別れると思うのだけど、私は圧倒的に最初である。終わりよければすべてよしというように、物事には終わるべき潮時があって、美しいうちに散るのがいいと、私は思っている。それが寿命を縮めることに繋がるとしても、一瞬の奔走というものに私は憧れるのだ。

こんばんは、お久しぶりです。しばらく文化祭やら試験勉強やらで忙しかったので留守にしておりましたが、ふとnoteを思い出したので、今日の日記を綴るべく開きました。最近コロナに罹ってしまい、他にも辛いことが重なっていて色々としんどいところもありますが、待ちに待った池袋ショー(鉱物のイベント)があと15日後に控えているので、なんとかモチベを保てています。


私は、自分の終わりは自分で決めて、最期は(間接的あるいは直接的)自殺で終わらせる、と決めています。年老いて老衰して、意識が混濁した中終末医療に無理矢理生かされるなど絶対に嫌です。私は自分が自分で、美しい自分でいられるうちに全てを終わらせようと思っています。

でも、別にこれは悲しいことではないと、私は思うのです。漫画の作者が決められた最後に向けて筆を進めるように、自分のありたい最後の姿を見据えて、そのために前向きに生きることは、決して悪いことではない、と。自殺が良いとは決して思いませんが、自分が自分であるうちに穏やかな死を享受したい、という人は多いのではないでしょうか。

輝けるうちに輝いて、遥か遠くの緑色の光を信じてひたすら走って、走って、走って、満面の笑みでゴールする。その姿は、きっと彗星の如く眩しい、一瞬の光となるだろう。私は一瞬の風になろうと思う。


すっかり寒くなりましたね。どうかお身体にお気をつけて。これを読むあなたが輝かしい人生を送れますように。それではまた。

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