【血縁関係シリーズ⑤】上杉鷹山は今までの上杉家と血縁関係が全くないのか?

いきなりですが上杉鷹山(1751~1821)をご存じでしょうか?米沢藩の9代藩主として、財政難に陥っていた米沢藩の藩政改革に努めた名君です。

アメリカのケネディ大統領が、尊敬する日本人は誰か?と聞かれた際に、上杉鷹山と答えるなど外国人にも知られている人物です。

米沢藩は、上杉謙信の養子である上杉景勝が初代藩主となって始まった藩です。

そこから150年の月日が流れ、鷹山が生まれます。そして米沢藩8代藩主である上杉重定の養子となり、1767年に藩主となりました。

鷹山はもともと秋月家の人なので、一見すると上杉とは関係なく、果たして今までの米沢藩主と血縁関係があるのかないのかと疑問に思うと思います。

しかし、鷹山の母方の祖先をたどると初代藩主上杉景勝につながります。なので上杉家と無関係ではないことがわかります。

今からウィキペディアを参考にして自分なりに家系図を作ってみたいと思います。

上杉景勝
  ↓
 定勝
  ↓ 
 富子
  ↓
 綱憲
  ↓
 豊姫
  ↓
 春姫
  ↓
 鷹山

鷹山は初代藩主上杉景勝、2代藩主上杉定勝、4代藩主上杉綱憲の血を受け継いでいることになります。

鷹山が藩主になれたのは当時後継ぎがいなかった上杉重定に対し、鷹山の祖母にあたる豊姫が鷹山を推薦したことがきっかけです。

後に、上杉重定に後継ぎが産まれたため鷹山は重定の息子である上杉治広に譲り、そこから亡くなるまで藩主の後見として政治に携わりました。

鷹山の息子は全員若くして亡くなってしまったため、鷹山の子孫は途絶えてしまいました。なので鷹山の子孫は誰も米沢藩主にはなっていません。

明治時代初期の廃藩置県まで米沢藩は続きますが、治広以降は、治広の弟にあたる上杉勝熙(読み方は かつひろ)の子孫が藩主の座を世襲していくことになります。

今回は、米沢藩の危機を救った上杉鷹山の血縁関係について見てみました。他にもいろいろな人物を取り上げるつもりなのでよかったら見てみてください。

ではまた!





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