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わたしとアニメとヒーロー

わたしを取り巻くいろいろを
お話しさせてください。


アニオタだった


おばあちゃんの読み聞かせのお陰様なのか
本が好きな小学生でした。
図書室にもよくいきましたし、友達と本を交換したりして読んでもいました。
するとマンガを読んでいる子がちらほらでてきはじめたのです。本好きからマンガ好きへと
転じていきました。

そしていつの頃から仲の良かった女子たちは
「りぼん」や「なかよし」に夢中になりました。
「恋」とか「おしゃれ」とかを楽しく感じ始めるころだったのでしょう。女子たる雰囲気を
ちゃんと早くから備えている子たちもいました。

そんな中、わたしは毎週「週間少年ジャンプ」を買いに走る日々に変わり始めました。
とにかく「DRAGON BALL」が大好きでした。
生まれて初めて書いたファンレターは
『鳥山明先生 宛』でした。
アニメだと「Dr.スランプ アラレちゃん」
は幼い頃からか見ていたし、なんなら
コスプレしている写真すらあって
親のせいかな?とすら思うほど鳥山先生の
作品は気づくと身近なところにあったので
わたしが「ジャンプ」派になるのは自然な流れだったと思います。
原作はもちろんアニメにどっぷりとハマりこんでいくのです。

小学生になるといろいろなことがわかりはじめます。
田舎の小さな村ですので弟がダウン症である事も
ある程度周知されていました。
その上で対応が違ったりもしてくるのです。
やさしい人。イジワルな人。興味なさそうな人。

加えて、子供は思った事をそのまま正直に口に出すので残酷ですね。

ある日の帰り道の事です。
上級生男子のいじめっ子が突然追い抜きざまに
「おまえの弟、あほなんやってな。」
とわたしに向って言いました。

ブツンっ。
頭のどこかで何かが弾ける音がしてとたんに自分から聞いたことのないような声がでました。
「人にあほ言うやつがあほなんじゃーっ!」

彼は年も上だし、体も大きく力もあるいじめっ子でしたので、こんなことを言い返して
ケガをさせられて帰ってもおかしくなかったのですが、彼はわたしに言われっぱなしでゲラゲラ笑いながら帰って行きました。
きっと体の小さなわたしに
ケンカをしかけるまでもなかったのでしょう。

彼がいなくなった道に向ってわたしは小石を
投げ始めました。
「おまえがあほじゃ」
「おまえのほうがあほじゃ」
1つ投げ、2つ投げ、ポロポロと涙がでました。
くやしい。強くなりたい。
こんな事言われても泣かないように。
弟を守ってあげられるように。
かめはめ波撃てるように(!?)。

当時のわたしにとって
「恋」や「おしゃれ」よりも
「正義」のために闘い、成長していくストーリーが強く背中を押してくれていたのだと感じるのです。まさに「DRAGON BALL」は心を育てるバイブルであったのです。


最後に、
大好きだった鳥山明先生。
たくさんのすばらしい作品をありがとうございました。
わたしは何度も勇気をいただきました。
わたしの心には先生のキャラクターたちが
ずっと生きていますから。

御冥福を心よりお祈り申しあげます。










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