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本と嘘①

嘘と本①

 人は多かれ少なかれ嘘をつく。なぜ人は嘘をつくのか。自分を守るためか、それとも人を護るためか。

 私に嘘はないのかと問われればYESでありNOである。SNSの世界も含めて、の話だからだ。SNSでは嘘は書いていないが、晒していない部分もある。知られたくない部分は、なかったことにできてしまうから、怖さもあり楽さもある。顔が見えない分よく見せようとすることは、見栄なのか嘘なのか。知られたくない部分を表さないようにするというのは、自分が弱いからか、それともこうありたいという願望なのか。毎日その狭間で揺れ動いている。

 最愛の祖母が亡くなったのは、22歳の冬だった。毎日、毎日、「今日、亡くなるのかもしれない。」という不安に駆られていて、大学4年生の後半は、正直、あまり覚えていない。亡くなる前年に癌が発覚し、秋には咳き込んでいた祖母の電話の声は今でも忘れない。転移をすぐに悟った電話だった。「最近、先が止まらなんだ…風邪、こじらせたかもしれん。」という祖母に、「季節の変わり目だからね?大丈夫?」と笑って誤魔化すしかなかった。祖母の癌を知ってから、できる範囲で医学系の雑誌、本、DVDで調べた。その癌は肺に転移しやすく、転移後はそう長くはないことも知っていた。とうとう、この日が来た、恐れていた日が来た…。その時のショックは計り知れなかった。よくある表現をするならば、ハンマーで殴られたような、というのだろうか。今でもその声と咳は耳から離れない。祖母の癌を知ってから、私は祖母に対し知らないフリをしていた。親戚でそうしようと決めたのだった。そして祖母もおそらく、自分が長くないことも知っていたと思う。身辺整理を始めたのをみんな、黙って手伝っていたんだ。だから、私が知っているだろうことも祖母は「知らないフリ」をしていたのだと思う。

 小さいころから「おばあちゃん子」だった私は、祖母への愛情がそれはすごかった。そして祖母からの愛情もそれはそれは大きかった。長期休みが終わって祖母宅から自宅に帰る車のなかでは1時間も泣き続け、家に着くころにまた泣き始め…両親が閉口していたことを思い出す。どんな祖母だったかといえば、時には、「めぃちゃぁぁぁぁん!」と叫んでいた「トトロ」にでてくる「おばあちゃん」だったり、ミニスカートが似合って、しっかり仕事をしているかっこいいおばあちゃんだったり、ストーブでお正月の豆を煮たり、きんとんを作るときには花屋にくちなしを買いに行って色付けから教えてくれたり。キチンとしたお箸の持ち方を教えてくれたのも祖母だったし、抹茶を立ててくれたのも祖母だった。長期休みはいつも横に寝て、どこにいくのも一緒で、一緒にいると元気がもらえたし、一番の安らぎであり、自分が自分でいられる場所だった。冬の毛布みたいに温かい場所だったんだ…。

 早めの冬休みに入り、夜行バスで祖母の病院へ向かった。そろそろ危ないという連絡をもらっていたから。早朝についてすぐ、病院へ向かった。もうその時は、頷ける程度の力しか残っていなかった。でも、私の問いかけに頷けるくらいの力はあったんだ。もう入れ歯も入らなくなるほど痩せて息をするのがやっとだったのにね。夜になり、祖母の付き添いは私が朝までいる予定だった。そう、大好きな本を持ち込んで。傍にいることに甘んじていた。

なんで、もう少し話しかけなかったんだろう、なんで私は本を読んでいたんだろう。なんで手を握っていなかったんだろう。なんでなんでなんで…

 そう、まだ大丈夫だと思っていたんだ。朝までまだ返事ができ、明日もまた傍にいられるだろうって。
 でもその日の夜中に祖父が病室にやってきた。嫌な予感がした。昔から祖父は死期がわかる人だった。なんとなくの予感で死に際にきちんと間に合う人だった。「今日だと思うからお前は家に帰れ。」と。

 意味を悟った。祖母はもって半日だろう。祖父の口調が強かった。「今日は私の泊まる番だから!」といっても一歩も引かなかった。

続く…

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