私は息子を元気に送り出せた。
#鬱気味観察日記
末っ子長男22歳、今日から社会人である。
走馬灯(※1)のように蘇る息子の誕生からの悲喜交々。
あへ?玩具だったのね。
私が思い描く走馬灯とは慣用句として分類されており
死に際に見るという、自らの人生の様々な情景が脳裏に次々と現れては過ぎ去っていくさま(ライフレビュー)を、「走馬灯のように」と形容する[3]。まんまウィキさんコピペ。
死に際ではないが、赤ん坊から学生へと移り行き今社会人として玄関に立つ息子に思いを馳せ、たくさんのエールとして猫ミームを応援歌として送り届けた。
猫ミームが流行ったのは、それだけ人はくたびれて責務の重さに床にめり込む日々の癒しとなったような気もしなくはない…๓´˘`๓
昨日3/31の私は散々で、脂汗と軽い動悸が続いて情緒不安定になっていた。Xでも醜態を晒している。私が自分を認めていないクセに他者に擁護してもらおうという傍若無人さで とある人を攻撃し終いにゃ子どものように泣きじゃくっていたのに相手は笑っていた。
今日はエイプリルフールでもあるから、
楽しいウソを考えようか。
誰も傷付けないユーモアがありくだらないと呆れられるぐらいがちょうど良いかもね。
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