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『夕飯がスパゲッティということへの憧れ』

20230716

 幼稚園生や小学生の頃、毎日の楽しみと言えば遊ぶことと食べることの二つだった。
学校からの帰り道はいつも今日の夜ご飯は何だろうとぼんやり考えていたし、家に着けば母親に「今日の夕飯なに?」と毎日聞くような子どもだった。食べることへの楽しみが当時の生活全体の楽しみの大部分を占めていたこともあり、おかげで小学生の時の自分は結構丸かった。

僕の家の夜ご飯は、父親の意向もあったらしいが、ごはんとみそ汁と大皿にのったおかずが何品かあるといった形式だ。「今日の夕飯何?」という質問は、言い換えれば「今日のおかずは何?」という質問と同じで、僕はいつもおかずを楽しみにしていた。

周りの友達も夜ご飯はだいたいそんな感じなんだろうと思っていたが、幼稚園生の頃、とある友達に「昨日の夜ごはん何だった?」と聞いてみたら、「ええとね、昨日、なんだっけなあー、あ、ミートソースだ!」と答えた。え、おかずじゃない、この衝撃はとても大きかった。ごはんとみそ汁とおかずというあのスタイルではなく、ミートソーススパゲティを夜に食べられるというのは大変羨ましかった。


 当時の僕の家ではミートソーススパゲティを食べられる可能性があるのは休日の昼ご飯に限定されていた。さらに土日はサッカーの試合があることも多く、家で昼ご飯を食べる機会はそこまで多くなかったため、ミートソーススパゲティを家で食べることはそれなりにレアなことで、そのミートソーススパゲティをなんでもない日に夜ごはんで食べられるというのは、とても羨ましいことだった。自分もごはんとみそ汁とおかずではなく、ミートソーススパゲティを夕飯に食べたいと思うようになった。

 そんな素直な気持ちを母親に伝えたところ、すんなりOK。
ただ、父親が飲み会で夕飯いらない日にしようということになった。

後日、ついにその日が来た。その日は夕方に習い事があったが、夜ご飯のことを考えるといつもより帰り道の自転車を漕ぐスピードは自然と早くなった。もちろん、母親が作ってくれたミートソーススパゲティは美味しかった。当時の自分にとっての幸せとはこういうことだったんだと、今になって思う。



 大きくなってしまった今の僕は、夜ごはんが何であろうと、帰り道に自転車のスピードを上げることはない。

 大きくなってしまった今の僕は、「夜ご飯がミートソーススパゲティ」が意味するところは必ずしもポジティブなことだけではないと知っている。あの頃の幼稚園の友達も、もしかしたら両親が忙しくてレトルトの簡単なミートソーススパゲティだった可能性があることも考慮に入れる。この前テレビで見たドキュメントでは、様々な事情から貧困に悩むある若者が、一人でトマトソースだけのスパゲティを食べて、「来月はここにソーセージを入れたいですね」と言っている姿を見たこともある。

 大きくなってしまった今の僕は、何を楽しみに毎日生活していけばいいのかわからなくなることもある。

 大きくなってしまった今の僕は、ミートソーススパゲティよりも蕎麦をよく食べる。

その影響もあり、最近「蕎麦」を漢字で書けるようになった。

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