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やりたいこと 好きなことがわからないあなたへ(第28話〜第36話)

(第28話)

 シェフはオーナーも認める料理人で、ワインに負けない料理で店を支えてきた。シェフは常連のお客様が10回来店したら、10回とも微妙に味を変えると言い、それがお客様からいただく、「いつも美味しいね」の言葉につながると教えてくれた。

 私はこの頃、エスプレッソ発祥の地であるイタリアのカフェ文化に興味を抱いていた。
 そのことをシェフに話すと、「日本人のDNAは、年を重ねるごとに " あんこ ” を美味しく感じるようになっていると思う」と意外なことを口にした。

 私は子供の頃から食べ物の好き嫌いはなかったが、饅頭のあんこだけは苦手で、和菓子を好んで食べる習慣もなかった。あんこはちょっと違うよなぁ・・・。
 でもシェフとはスポーツなどの共通の趣味も多く、仕事についてもさまざまなアイデアを持っていて、話していて楽しかった。

 ある日、出社するとシェフから「今月で辞めることになった」と告げられた。数日前に店の方向性について、シェフの意見を聞いていたので、あまりにも突然な気がした。
 事情を聞くと、以前からシェフとオーナーの奥様との間で、店で提供したい料理に相違があったという。

 シェフからすると、奥様の考える料理は、お客様が「また食べたい」と思えるものではなく、本当の現場を知らない人の机上の空論だと感じたようだ。
 シェフには基本を大切にしながらも、毎回 " ひと工夫 ” を加えることで、少しずつお客様を増やしてきたという自負があった。雑誌から飛び出してきたような華やかな料理をそのまま出しても、この店の持つパワーに負けてしまうのだと。

 シェフ本人はあくまでも意見を言っているだけだったが、奥様には「やる気がない」と受け止められてしまったらしい。
 シェフは、「辞める気はなかったんだけど、オーナーに辞めてって言われたら、辞めるしかないよね・・・」と寂しそうに語っていた。

 後任のシェフが決まるまで短期で女性シェフを雇ったのだが、体調を崩して1日休むとオーナーはそのまま彼女をクビにした。2カ月連続でシェフをクビにしてもいいのか?
 これではワインの神様に見放されるのではないか? そう思わずにはいられなかった。

 しかし、話はここで収まらず、翌月には私もクビを宣告された。
 理由は、オーナー抜きでランチ営業を始めたいので、新たにソムリエ経験者を雇いたいと。その人に夜も引き続き残ってヘルプしてもらえばいいので、私には2カ月後をめどに退社してほしいとのことだった。

 ランチ営業をスタートさせるために私を辞めさせるという判断自体は、何の罪も犯していないし仕方がないと思った。
 でも翌年の世界大会が終わるまでは夜のみの営業を続け、大会への準備に集中した方が良い結果につながる気がして残念だった。

 他の人が辞めさせられるのを見ていたためか、私はすぐに「今、一番したいことって何だろう?」と、頭を切り替えられた。
 そして、ワクワクのスイッチを全開にして真っ先に浮かんだのが、イタリアのカフェ文化をこの目で実際に確認すること。
 あるスイーツ雑誌で紹介されていた " イタリア最高のカフェ ” が、ずっと気になっていたのだ。この流れは必然だ! そう思うと、私をクビにしたオーナーに感謝したい気持ちだった。

 このタイミングでイタリアへ行こう!

 すぐに往復の航空券を予約した。期間は3週間で、ミラノ・トリノ・ジェノバ・フィレンツェ・ペルージャ・ローマ・ナポリまで一気に回る。初のヨーロッパ、5年ぶりとなる海外が本当に待ち切れなかった。

 店を辞める少し前、想定外だったお客様が現れ不思議な気持ちにさせられた。飲食業に進路を定めたあと、最初に履歴書と手紙を送ったカフェオーナーが来店したのだ。
 当然、私が誰かなど分からず、笑顔で話しかけてくる。あの時会いたいと思って会えなかった人と、こんな形で会おうとは・・・。

 どうしてあの時、手紙の返事をくれなかったのですか? と聞いてみたい気もしたが、聞いたところでただの自己満足でしかなかった。もう過去のことだ。私も笑顔で対応した。

 残りの日々をスッキリとした心で過ごせたこともあり、特にわだかまりもなく退社できた。
 次のイタリアではどんな出会いが待っているのか? 
 もし気になっているカフェが、私にとっても
" 最高のカフェ ” だったら、その時は躊躇なく飛び込むつもりだ。

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