思考の砂漠で

 作家は思考の砂漠を彷徨っていた。どこまでも果てなく、砂と砂、砂丘と砂丘。燦燦と残酷に照りつける混迷は、容赦なく、そして確実に精神力を奪っていく。最早タンパク質のキルゾーンを超えている。実際は超えていないとしても、このままでは死んでしまう。
 締切が迫っている。一歩踏みだす度に崩れ落ちそうだった。
 アイデアは蜃気楼のように浮かんでは消え、掴んでは指と指のあいだからすり抜けていく。まるで形をなさない。到底価値のあるものが産まれるとは思えない。沈思黙考。雑念は一瞬にして闖入する。
 作家が才能を疑いだしたとき、前方にオアシスを認めた。それは湯水のよいうに湧く、生命の輝きを放っていた。
 その横に茅葺屋根の休憩所があった。
 そこに、白シャツの背広男がテーブルを挟んで座っていた。
 作家はたまらず力を振り絞って走り、オアシスの水をたらふく飲みほした。頭痛はするものの、生気が漲っていく。身体の管という管に水分がいきわたっているのが分かった。
「ちょっと。そこに座ってください」
 白シャツの男に着席を促され、作家は素直に向かいの椅子に座った。
 白シャツの男は『編輯者』とだけ名乗った。
「ところで、昨日と一昨日のショートショートはどういうことです?」
「と、いうと?」
「あなたも分かっているでしょう。最悪の出来であることを」
「まぁそうですが」
 編輯者はまず、『爆縮』の原稿をテーブルに投げた。
「漢字二文字で、意味ありげなタイトルを付けた。内容は、カップルに嫉妬している奴が、実は作家の執事ロボットだった。それだけのこと。フリも弱いし、作家に対するイメージが安易すぎるうえ、大体、オチが読める。弱い。単なるでっち上げで、作品とも呼べない」
 編輯者は次に、『猛毒ピエロ』の原稿をテーブルに投げた。
「内容は、不気味なピエロの夢を見た自殺願望をもった男が、結局、自殺未遂に終わる。雰囲気をだしたつもりでしょうが、こんな意味ありげで何の意味もない、衒学的ともいえない、純文学的ともイカが裂けても言えない、なんというか、思考の排泄物ですよ。ユーチューブの<浅くて濃い夢>というドリームコア系のプレイリストを聴きながら、そこに投稿された電波なコメントに影響を受けて、適当に書きましたね。暗いだけで面白みにかける。これも単なるでっち上げで、読むだけ時間の無駄です」
 編集者の言った通りだった。
 茅葺屋根の下とはいえ、熱気が作家を襲い、額から汗がだらだらと噴き出してくる。返す言葉ない。
「そろそろ、粗製乱造も卒業してください。2年目ですよ? ショートショートを週3回書き始めてもう7ヶ月が過ぎたというのに、この体たらくでどうするつもりです。もう言い訳できませんよ」
 なんとか返答しようと考えを巡らせるが、効果的な、的を得た、編輯者が納得する言葉なんて、全く浮かばない。
 頑張りますとか、精進しますとか、いや、そろそろ掴めそうでなんて軽口を発したところで、眼前の鉄仮面に通用しそうにない。永遠とも思える沈黙の沼に沈もうとしたところで、編輯者が口を開いた。
「結局、何が書きたいんです?」
 作家は真っすぐ編輯者を見て言った。
「私小説のような心身性をもち、混沌極めるサイバーパンクな世界観で、娯楽性のある、そんなSFを書きたいです」
「では、それに到達するためのショートショートを書いてください。思考の軸をもってください」
 作家は無言で頷いた。
 編輯者は何も言わず、炎天下の空に浮かんで消えた。蜃気楼のように。
 作家は思わず全裸になり、オアシスに飛び込んだ。
 思考のトンネルを抜けると、そこは見慣れた自室だった。
 大量の書籍と、DVDと、服がある。
 作家は独り言ちた。
「架空の編輯者との会話。そのでっち上げで、なんとか今日を凌いだぜ」

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