土曜日の随筆

 仕事が早めに終わり、テキトーにチョリソーと砂肝を買って帰って、家の掃除を済ませ、パソコンを開く。何も浮かばず、ネットサーフィン、電子の波を受けても何も響かず、西村賢太先生の『疒(やまいだれ)の歌』をめくってみても意味を成さず。
 なんとも茫漠な思考に足を踏み入れようとした時、はたと小用を済ます為トイレに向かった。解放感にひたるなか、
「そうだ、随筆を書こう」
 そう思い立ち、さっそく『随筆』の意味をネットで検索。
「特定の形式を持たず、見聞、経験、感想などを筆にまかせて書き記した文章。日本の古典「枕草子」「徒然草」が有名。西洋では小論文、時評なども含めてエッセーと呼ばれるが、日本のものはよるい断片的である。漫筆。」
 ほお。へぇ。ふーん。
「――筆にまかせて」
 ここに依拠して筆を滑らすことにする。根が物臭で縛りを嫌う私には、うってつけの概念かもしれない。『エッセー』よりも普通に『随筆』のほうが好ましい。古風な響きに、日本人として琴線に触れる感覚がある。
 ところで明日は日曜日である。
 今年で三十八歳の私。月曜日から今日にいたるまで、仕事とnoteと読書に勤しみ、それなりに疲れている。
 それは週一のアルコールと、高めの入浴剤(眠りやリーフバスソルト、150g、380円税抜き)で癒す予定である。
 それにしても、明日は中々のハードスケジュールである。
 映画館で、映画鑑賞をはしごするのだ。作品は、
『ドッグマン DOGMAN』
『デューン 砂の惑星PART2』
 である。後者が先行上映であるため、しかたなく、いち早く鑑賞したいための決断。加えて、一度で観ることで、来週の交通費を節約することが出来る。何かと節約が必要な昨今、致し方ない。
 が、ドッグマンが午後一時から。デューンが午後四時半から。家に帰るのは夜九時前後になるだろう。
 丸一日が娯楽に投入される。嬉しい限りだが、疲労が残りそうであるし、せっかくの休みでのんびりもできない。朝から草枝刈り、部屋とトイレ掃除と忙しく、楽しみ半分気疲れ半分といった様相である。
 そしてあっという間に月曜日の悪魔が寝首を搔きにやってくる。
 贅沢な憂鬱に苛まれながら、一端、シャワーを浴びて風呂を焚き、酒のアテの砂肝を切り刻んでこよう。
 二十六分、経過した。
「あ、忘れないうちに薬を飲もう」
 私は軽度の副鼻腔炎のため、毎日これらを体内にぶちこんでいる。
『クラリスロマイシン錠』
『カルボシステイン錠』
『モメタゾン点鼻液』
『モンテルカスト錠』
『レボセチリジン塩酸塩錠』←new‼
 三週間分で1,820円。普通に格安、病院へ行って処方してもらえ。間違っても、市販薬でお茶を濁そうなんて思うな。効果は薄く、高いだけである。
 病気は病院。間違いない。診察料も含めて3,000円もいかないのだ。
「健康保険料、払っててよかった~」
 閑話休題。
 そうか。明日、新宿で映画二本、連続鑑賞で忙しい。であった。
「それがどうしたのか」
 贅沢な悩みは空の彼方に吹っ飛ばすとして、書籍は何を買おうか。
 西村賢太先生をいくらかつまみ、その影響で藤澤淸造も一冊つまもう。あとは何かハードカバーに手を伸ばそう。
 五千円は超えそうだが、いいだろう。
 だって、本ですよ? 活字ですよ? これを浪費だなんてなんの冗談ですか。パチンコにぶち込むならいざ知らず、本ですから。知性の象徴である読書になんの罪があるというのか。
 それにしても、徒然すぎる。筆にまかせすぎている。とりとめが消失している。空腹が顔をだし、手を振っている。
 さりとて、もうそろそろ風呂が焚ける。
 砂肝を昆布つゆで適当に炒め煮にして、チョリソーをレンジでチン。ビールで流し込む。そうして土曜日の夜は更けていく。『苦役列車』は薄い本ですが、漢字検定準1級または、1級レベルの単語が頻出しますが、おススメです。もう、書くことはない。家に帰りたい(在宅中)。                      

(遅くなりましたが、明けましておめでとうございます)

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